あたりは濃厚な霧に包まれている。殺生丸一行は歩みをとめて、大きな木の下で休んでいた。


「ひどい霧…」


が呟く。りんも邪見も空を見上げるが、真っ白で何も見えない。


「…なんかいやだね、ちゃん」
「うん、すごくいやだね、りんちゃん」


じめじめする。空気が良くない。そう思うと気分まで悪くなってくる。


仲直りしたと言っても、は殺生丸と神楽のことを忘れたわけではなかった。二人が通じ合っていたことは確かだし、新しい天生牙の力は神楽のおかげでついたものだ。は殺生丸に対して何も出来ていない…何も。そんな考えが未だに頭をめぐり、気分がすっきりしない日々が続いていた。


「―――ちゃん?」


りんが不思議そうな顔で尋ね、その声でようやく我にかえった。


「あぁ…ごめん。何でもないの」


笑って言うが、わずかに引きつって上手く笑えない。りんはそれに気づかなかったが…殺生丸は少し離れた所で、の変化を感じ取っていた。






「霧…晴れないね」


夜になって、一行は横穴へ移動した。あのまま休んではいけない。方向感覚を失うからだ。


「…」


殺生丸は警戒していた。何にとは具体的にわからないが、なにかに。このあたりは広い原で、障害物は左方の山とそれほど大きくない岩だけだ。何かがいても、身を隠すところはない。だが、それでも何かある。そう思えてならなかった。


「…何か、いそうね」


が呟く。殺生丸は目を細めると、洞窟の外へと目をやった。


白い。それが、どこまでも続いている。まるで雲の中にいるようで、気がおかしくなりそうだった。


「…
「ん?」
「いや」
「…どうしたの?」
「何でもない」
「殺生丸…?」


目を霧に泳がせる殺生丸。はそんな殺生丸の顔を見上げた。殺生丸がハッキリしない態度をとるなど、とても珍しいことだからだ。


「なんか変だよ?」
「…そうか」
「そうだよ。…この霧に、何か変なところ、あるの?」
「……気配が」
「え?」
「気配に包まれている気がする」
「…っ」


気配。は霧の中に目をやった。真っ白い霧に、暗い色…そこに、ぼんやりと浮かび上がる影。はよく目を凝らす。


「殺生丸、そこに」
「何だ」
「人影が」
「…」


殺生丸はの視線の方を見遣った。臭いも感じない。気配も。本当に人なんているのか、そう思ったが、確かにそこには影がある。


「っ!」


次第にはっきりと見えてきた影に、二人は目を見開いた。


「っ、神楽!」


死んだはずの神楽が、そこに立っている。穏やかに笑みをたたえて。


やがて、うすぼんやりとしたその姿は二人に背を向けて走り去って行く。


「待って!」


が叫び、殺生丸は瞬時に腰をあげる。だが、を置いて彼女を追うわけにはいかない。殺生丸は神楽のうしろ姿を見送った。の声で起きてしまったりんと邪見が、何事かとバタバタする。だが、も殺生丸も何も語らぬまま、ぼんやりと霧の中を見つめていた。






その後、二人は気まずい時間を過ごした。も殺生丸も眠れず、朝になって殺生丸が外をみたとき、霧はすっきりと晴れていた。


「殺生丸…」


ゆっくりと身体を起こしたが、彼に向けて言う。


「顔洗いにいこっか」


殺生丸は、正直少し驚いた。今までがずっと起きていたことは知っているが、まさか自分から話し掛けてくるとは思わなかったから。以前、神楽のためにを置いていった…そのことで、彼女の心に闇が出来たと、奈落が言っていた。は神楽のことを憎んでいて、そんな神楽に会いにいったことを怒っていた…だから今、憎む神楽が目の前に現れて機嫌を損ねていると思ったのに。


殺生丸は同意のかわりに立ち上がり、外に目をやった。はふわりと笑って、彼の隣に並んで歩き始める。の足取りはいつも通りで、訳もなくざわついた気持ちになった。


「…あれから神楽、現れなかったね」


殺生丸は、何も答えない。控えめな声が空へとけるようだった。


「死んだはず、なのにね」
「…」
「追いかけて、いきたかった?」
「いや」
「本当に?」


の瞳が、真っ直ぐ彼を射抜いた。


「絶対、嘘」
「…」
「だって、私だって、追いかけたかった」


下を向いて歩きながらこぼす。…殺生丸は、小さくため息をついた。先程彼が思っていたことは、大きな間違いだ。いつもどおりなどではない、は、しっかり気にしている。…だが、なぜそこまで気にするのか。


「…気にならないわけではない。あれからは臭いがしなかった」
「それって…どういうこと?」
「あれからは、神楽の気配は感じなかったと言うことだ。おそらく本物ではない…霧が見せた幻か…何者かがこの私を惑わそうと、幻術でも使ったか」


殺生丸は思い返す。霧、喋らない神楽、においがしない、そしてあの笑み。どれをとっても胡散臭い。奈落の罠かもしれない。


川については顔を洗い、それからりんと邪見のための朝食の魚を獲った。そして、殺生丸はずっとそれを見ていた。…静かな時間。朝日がとても穏やかで、二人の空気も、いつの間にか和んでいる。聞こえるのは鳥の声と、川の流れる音、そして悪戦苦闘しているがたてる、バシャッという音だけ。


自然と笑顔をこぼすの顔を、もう少しだけ見ていたいと、殺生丸は思った。



2006.03.17 friday From aki mikami.
2010.03.13 saturday 加筆・修正。