月の光が、筋のように射している。このままの時がずっと続けばいいのにと、は思った。


こんなに心が穏やかなのは、久々だった。一日何事もなくすぎていった日。毎日がこうならよいのにと、叶わないことを思った。


殺生丸と一緒にいて、平穏を手に入れることは難しい。彼は妖怪と言う種族で人間にとって普通とはいえない生活をしている。そんな彼と行動をともにしているのだから、平穏など早々手に入れられるものではない。…それでも、彼と一緒にいることを望んだのは自身だ。は殺生丸の表情をうかがい見た。いつも通り横を向いて、何を考えているのか読めない表情で、静かに目を瞑っている。

…何を考えているのだろう。はいつもその心を知りたいと思うのだが、まさか尋ねることなどできようはずもない。仕方なしに、また月を見あげた。


どこか顔のようにも見える月が、美しい。そっと目を閉じて、その光を身体いっぱいに取り込んだ。





突如、殺生丸がを呼んだ。驚きで肩が軽く震えるが、すぐに笑顔に戻る。


「…何?」
「話しておくことがある」


話しておくこと。その言葉に、は目をぱちくりさせた。…今まで彼が改まってに話をすることなど、数えるだけあっただろうか。


「あの霧…」
「…あの霧が、何?」
「…覚えがある」
「え?」
「父上の古い友人。…霧霊」
「…霧霊?」
「幻術を見せることを得意とする妖怪だ。両手で持つ壺から霧を放ち、悪夢を見せる」
「悪夢…?」


確かに、その霧霊と言う妖怪の仕業であると考えてもよい。が、は彼の言葉に首を傾げる。二人が見たのは悪夢ではなく、神楽の姿のみ。


「私達がみたのは、悪夢じゃない…よね…」
「幻術使いだ。…どんな夢をも見せられる」
「でも…なんのために?」
「…」


正直それを聞かれると、彼にも答えようがなかった。霧霊であるという確信もない上に、彼にはそんなことをする理由がない。奈落に操られているのかとも思ったが、彼の記憶の中の霧霊は自尊心が強く、その意思は奈落などに簡単に揺らぐとは思えない。ましてや殺生丸の父の友人だ。弱い妖怪であるはずがない。


彼はまた黙りこんでしまった。はその様子を見て、切なげに目を細める。


なぜすべてを話してくれないのだろうか。そう思うのは、おそらくだけではあるまい。邪見も、りんも、口に出さないけれど思っていることだ。ただそれが彼なのだと受け止めていること…それが、二人ととの違いだ。


何も聞けないのは、聞いて嫌われるのが怖いだけ。はゆっくりと目を閉じた。そしてまぶたごしには見えない月の光を感じる。


結局、平穏な心のままで一日を終えることは出来ないのだと、心の中だけでため息をついた。






数日後、一行はとある森の中を歩いていた。太陽の光が緩やかに射しこみ、顔に影をつくる。見上げると、木々の隙間からを照らしている。


あの霧の夜から、何もおきることはなかった。殺生丸の言う霧霊と言う人物が現れる気配もないし、奈落が現れたり、犬夜叉が現れたりするわけでもない。


「なんか気持ち良いね、りんちゃん」
「うん、ちゃん」


二人がのんびりと言葉を交わす間、殺生丸は妙な違和感を感じていた。気にするほどでもないと言えばそうだが、しかし。


「(―――霧霊)」


彼は、幻術使いだ。他人を惑わすことに長けている。…いますぐそこで様子を見ていたとしてもおかしくない。そして、この森はあの霧の中と同じ気配に満ちている。


「―――殺生丸?」


は、彼の様子を察知したのか顔をのぞきこんだ。


「どうしたの?」
「いや」


殺生丸が答えると、邪見が無礼者!と叫びながらの元へとかけてくる。


!お前殺生丸様の考えごと中に話しかけるとは何事っ…ぶはぁ!」
「うるさい邪見」


殺生丸が邪見を踏み潰す。はその様子に苦笑すると、話を元に戻した。


「もしかしているの?殺生丸のいってた人…」
「何もいない。だが、何かがある」


難しいことを言うなぁと、は首を傾げた。それは結局、何かいるが何だかわからないと言うことなのか。


「で…結局何があるの?」
「…」


殺生丸は何も言わない。それはいえないのか、それとも言わないのか。彼に何かと問おうとした瞬間、二人は一斉に一方向を振りかえった。妙な気配が突然湧き出て来たかのようだ。は雨月刀を構え、殺生丸は天生牙に手をかけた。


「霧霊」


この臭い。殺生丸は妖気の源を斬る。そこから黒い影が飛び出し、二人の前に舞い降りた。


「殺生丸」
「何のつもりだ、…霧霊」


殺生丸の視線の先には、真っ黒い衣服に身を包んだ、一人の男が立っていた。



2006.03.19 sunday From aki mikami.
2010.03.13 saturday 加筆・修正。