愛執
殺生丸の母に別れを告げた一行は、現在河原で休憩を取っていた。
とりんは、二人で川に入って魚をとっている。それを離れた所で見つめる邪見は、ふぅ、と大きなため息をついた。
殺生丸があれから、ずっと思いつめている。近づくと鬼のような形相で睨まれる。だが、やりんはその原因を知っているらしく、いつもと変わらない様子でふるまっていた。なんでわしだけ?そんな思いをかかえながら、邪見は殺生丸の顔を眺めた。気難しいのはいつものことで、なれた、と言えばそうなのだが、しかし原因が全くわからないから気分が悪い。まるで消化不良のように…
「邪見!」
「っ、わ!いきなりなんじゃい!」
「捕まえた魚、焼いてほしいの!」
「なんでわしが…」
「邪見も魚食べるでしょ?だったら分担分担♪」
「だったら琥珀にやらせればよいではないか!」
「いーじゃない、邪見の方が近くにいるんだから!」
「あ、俺やりますよ…」
喧嘩になりそうな二人を見兼ねて、琥珀が割って入ってくる。邪見は誇らしげな様子で琥珀に命令を始めた。そうして結局自分も焚火作りをやることになるのだが、当の本人はそれに気付いていない。はしめしめと二人を見ながら、先に川から上がったりんの元へと走った。
「邪見、焼いてくれるって!」
「本当?よかった!」
膝までまくり上げた着物を元に戻しながら、りんが笑った。
「あの二人、喧嘩にならないかな?」
「大丈夫だよ。琥珀君って大人だもんね」
「…うん、そうだね!それに、喧嘩になっても勝つのは琥珀だよ」
「そうだね!」
「こりゃ!聞こえておるぞ!りん!」
邪見が火のついた木をもって二人の元に走ってくる。そんな邪見から二人で逃げ回っていると、やがて木の火が邪見に燃え移り、慌てて水に飛び込んだ。その様子を見て、りんも、琥珀も、も笑う。それはぎこちない笑顔でなく、本当に楽しいから出る笑顔だった。
「…」
突然背後から聞こえた声に驚いて、振り返る。声の主は当然…
「殺生丸!何?」
「話がある…」
「あー、ごはんのあとでいい?もう魚焼けたみたいだから!」
殺生丸に背を向けたは、琥珀の焼いた魚に飛びついた。そんな後ろ姿を見ながら、殺生丸は複雑な気持ちになる。
は、確かに殺生丸を好きだといった。大好き、と。だが、その後のの態度は完全に殺生丸を避けている。二人きりにならないようにしている。…まるで、彼のことを嫌いになったかのように。はそういうつもりではないのだ。ただ、返事に対する不安があって、彼を避けている。だが、殺生丸の考えはそんな女心まで及んでいなかった。
小さくため息をつくと、騒がしい声に背を向ける。特に行く当てもなく、ゆっくりと歩き出した。
魚を食べ終ったころには殺生丸の姿は消えていて、はほっと胸を撫で下ろした。
「ちゃん、どうしたの?」
「あ、な、なんでもない!」
「…ふぅん?」
じろりと疑いの目を向けるりん。
「なっ、何っ?私なんか変?」
「変っていうか…今あからさまにほっとしなかった?」
「え"っ!?ししし、してない!してないよっ!」
「……そうかなぁ?」
「そうですそうです!そーでーす!」
「…ふぅん?」
「な、なんかりんちゃん怖いんだけど…」
「そう?」
「うん…」
「…だってちゃん、嘘つくんだもん」
「………うぅ」
じろ、としたりんの視線に負けて、小さく呟く。二人の立場が逆転しているが、それはどうやら気にしない方向らしい。
「…殺生丸さまと、何かあったの?」
「え…うん、あったっていうか、いったっていうか…」
「言ったって…好きって?」
「……うん」
「おめでと――――――!」
きゃっきゃっと笑いはじめるりん。少し離れて座っていた琥珀と邪見は何ごとかと顔をあげた。
「こりゃりん!脅かすでない!」
「だってー!ちゃんが殺生丸さまにこっ…むぐ!」
「い、いわなくていいから!」
りんの口元を押さえ込み、顔を真っ赤に染める。何のことだかわからない男二人は首を傾げ、りんはの腕から離れると、えー、と言いながら頬を膨らませた。
「せっかく二人が恋仲に
「こ、ここここ、恋仲!?」
今度は邪見の大声が響き渡る。ざわりと森が揺れた木さえした。
「お、お前まさまさか!せせせせせ、せっ、せっしょ、まるさまと!」
「や、邪見落ち着いて!まさかあの殺生丸が人間の私と恋仲になるわけないでしょう!?」
「! …………まぁ、そりゃそうだな」
「え―――?違うの―――!」
「…別に、私が一方的に好きなだけだよ」
「貴様!殺生丸さまを好きなどと、人間の分際で下らんことを…!」
「邪見様、落ち着いて…」
今にも興奮で倒れそうな邪見に琥珀が優しくいうが、どうやら火に油を注いだらしい。お前はこいつの肩を持つのか!と暴れはじめてしまった。
「…ごめん、私ちょっと…向こう行くね。私がいると邪見がうるさいし…」
「うるさいとはなんじゃ!」
「あとよろしくね、りんちゃん」
「うん」
「なにがよろしくじゃ!りんも返事するな!」
「じゃ、あとでねー」
「うーん!」
「わしの話をきけー!」
木霊する邪見の声を聞きながら、は森の中へと入っていく。心の中では、邪見の言葉が響いていた。
『人間の分際で―――』
殺生丸は妖怪、は人間。それは変わらない事実。そして、殺生丸は人間を嫌っている。例えやりんがある種の特別だったとしても、まさか殺生丸と恋仲になるなんて、そんなことは考えられない。
「(殺生丸にとって私が特別出会ったとしても…所詮は人間)」
そばにいられるだけでも、それはすごいことだ。以前の殺生丸ならきっと考えられない。
「(私はきっと、殺生丸の一番にはなれない)」
ふぅ、と溜息をついて、はその場に座りこんだ。鳥の声が降り注いでくる。太陽がゆらゆらと揺れて、気持ち良くて目を閉じる。瞼越しにも、白い透きとおった光を感じた。
ふと、"あのとき"のことを思い出す。鏡の道が開けた瞬間。
『…もう、いい』
自分の言葉を思い出す。
『殺生丸が私を、好きじゃなかったとしても…私は殺生丸が好き』
「―――そうだ」
誰がなんと言おうと。
「私は、殺生丸が好き。殺生丸が―――どう思おうが」
は今やっとわかった。あの時、もう一人の自分が言った言葉の意味が。
『迷わないでね、私』
「私は、好きになってほしいから好きなんじゃない。…好きだから、好きになって欲しいの。だから、私が殺生丸を好きな気持ちに、殺生丸の気持ちは関係ないし、他の人の気持ちだって…」
自分自身に強く言い聞かせる。もう二度と迷わないように。
「―――…一人ごとが多いな、」
「っ、殺生丸!」
声に振り返ると、呆れたような目の殺生丸が立っていた。
「今のはおまじない。…それより殺生丸、話があるの」
「……今まで自分が避けていたくせにか」
「それはいわないでよ。…心の整理つけてたの」
「…そうか」
くしゃ、と頭を撫でられる。その温もりが心地良くて、うれしくて、はふわりと笑って見せた。
「…私は、殺生丸が好きなの」
「あぁ」
「でね、今までは殺生丸にも私を好きでいて欲しいって、思ってた。私だけを見ていて欲しいって思ってた」
「…あぁ」
「でも…でもね、これからは…もちろん、好きでいてほしいとは思うけど…そうじゃなくて、…私は私なんだって。殺生丸が私をどう思っていようが、私は殺生丸が好きなんだって…そのことで、殺生丸を恨んだりしないって、思うから…だから…だからね、殺生丸、私、返事聞かないから!殺生丸が私を好きになってくれるまで…頑張るから」
「…」
「ごめん、今はこれで終り!…じゃあね」
たっと走り出す。その後ろ姿を、殺生丸は茫然と見つめていた。
ずっと、彼の中に答えはあるのだ。だが、それを口に出せない。それは、今までずっと、人間を嫌ってきた意地もあるし、男からは、と言う自尊心もある。
一体告げられるのはいつになるのだろうか、と思わず考えた。
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2007.05.09 wednesday From aki mikami.