歌声
ようやく意識が戻ったのは、全てのものが寝静まった丑三つ時だった。
体を起こしたは、自分の寝ていた場所が記憶の最後と一致しないことに驚いた。
そこは、どう見ても洞窟の中。少し離れたところに焚火がある。その周りでりんと邪見と阿吽が、気持ちよさそうに寝息を立てている。その様子に微笑し、ふと辺りを見回すが、殺生丸はいなかった。
ずっと寝ていたせいか、喉が渇く。
は自分にかかっていた布を優しくりんと邪見にかけると、できるだけ静かにその場を後にした。
少し歩くと、小さな泉が見える。は駆け出すと、泉の淵に膝を折って座った。片手をつけて、少し冷たい水をすくい挙げる。半椀型に作った手から水がぽつぽつとこぼれだし、小さく音をたてた。
「(あのとき、私はどうしたんだろう。…変な感じ)」
揺れる水面を見ながら溜息をつく。鏡のように空を映し、星と月とで妖艶な光りを放っている。
あのとき。…妖怪に殺されそうになったとき、に意識はなかった。ただその瞬間の、自分の物ではないような記憶だけは、不気味なほど鮮明だ。
自分ではない自分が出てきた気がする。
そして、それを拒めない自分がいる。
本来あるべき姿へ戻っているような。
でも、戻るのが怖いような。
不安。安心。正反対の感情が、を支配する。そんなとき口をついて出るのは、落ち着いた唄。夜空に溶けていくような、少し低めな、清涼な歌声。
そして殺生丸はそれを、少し離れた場所で聞いていた。まるで訴えかけるかのようなその歌声に耳を澄ます。
ゆっくりとに近づく。しかしはそれに気づかず、彼がすぐ後ろに立ったとき、水面に写った彼を見てようやく後ろを振り返った。
「殺生丸…いたの?」
「お前より早くな」
「あ…そうなんだ」
へらっと笑って見せる。…だが、殺生丸にはそれが無理をしているように見えた。さっきまでの歌も、殺生丸にはが自分自身を慰めているようにも聞こえた。
「…聞いたことのない歌だ」
「いつのまにか覚えてたんだよね」
微かに笑みを浮かべ、また歌いだす。
…不思議な雰囲気のある曲だった。と同じように、どことなく違和感のある曲調。この世には存在しない歌のように思える。けど耳障りではない、寧ろ心地よく響いてくるような、柔らかな歌。
「あ、もしかして…うるさい?」
「いや」
顔を逸らして、ぽつ、と漏らす殺生丸。は静かに微笑むと再び曲を奏で始める。
目を瞑れば響いてくるの声と風の音。近づく冬に耳を澄ますように、殺生丸はその歌に聞き入っていた。
2004.11.24 wednesday From aki mikami.
2006.03.04 saturday 加筆、修正
2008.08.13 saturday