平穏


「…ここで、匂いが途切れている」
「…結界がはってある、みたいね」


がおそるおそる殺生丸の視線の先に手を伸ばすと、ばちんと電気のような音を立てて弾かれてしまった。


あれから、殺生丸が瘴気を吸い出してくれたこともあり、はなんとか歩くことが出来るまで回復した。とは言ってももちろん本調子ではないし、相変わらず体は重かったが、いつまでも殺生丸に抱えてもらっているのも恥ずかしいと思い、なんとか自分の足で立っている。


そんなの気持ちなどつゆほども知らぬ殺生丸は、闘鬼神を抜いて結界に斬りかかるが、の手と同じようにはじかれてしまった。軽く舌うちをする殺生丸。はそんな彼を一瞥し軽く苦笑すると、一歩だけ結界へと近づいた。


「…この結界…とても邪悪な気」
「奈落の結界だ、当然だろう」


忌々しげに結界を睨みつける殺生丸。…どうやら殺生丸の力では、この結界を破ることは出来ないようだ。だからといって、にその方法がわかるわけでもない。…困ったは、何の気なしに目の前の結界に雨月刀で触れた。


すると、雨月刀の刃先が結界に刺さるようにしてすり抜けた。あまりに予想外のことに、向こう側で青く光る刀身を見つめ、殺生丸とは目を見開く。


「…なぜその刀は結界をすり抜ける?」
「え…わかんない…」


すり抜けたというよりは、お野菜を切っている感覚?と正直に答えると、殺生丸は不服そうな表情でを睨んだ。…にしてみればそんな顔をされても困ると言いたいのだが、確かにこの状況で緊張感にかける発言をしたかもしれない。仕方ないので特に反論せず、また自分が思ったことを口に出した。


「ただ…私が奈落の城にいた時、結界を張って守ってくれた。だから今も…」
「その刀の力が働いていると?」
「そうなんじゃ…ないかなぁ…」


間違ったら怒られるような気がして、殺生丸の様子を伺いながら言うと、殺生丸は何かを考えるようにうつむき、やがてゆっくりと顔を上げた。


「その刀にそんな力はない」
「え、でも…」
「あるとすれば、それはお前の力だ」


そう言って、をじっと射抜く殺生丸。はそんな彼と雨月刀とを交互に見つめ、人差し指を自分に向けて私?と呟いた。


「お前には、強い霊力がある」
「た、確かに人に見えないものが見えたりはするけど…」
「結界はお前が無意識に張ったものだろう」


自分に霊力があることは、も薄々感づいていたが、それの使い方なんてわからないので、無意識にやったと言われてもいまいち納得がいかない。は僅かに唇を尖らせた。





殺生丸に呼ばれ弾かれるように彼を見上げる


「何?」
「結界を破れ」
「えっ…どうやって…?」
「自分で考えろ」


言い放ってふいと目をそらす殺生丸。…が何を言っても助言する気はないらしく、すでに傍観体制を決め込んでいる。


は殺生丸にわからないようにため息をつくと、改めて結界を見据えた。


正直には、結界ですらどうはったのかわかっていない。自分がはったと言うことにすら納得していない。すべては雨月刀の力だと思っている。霊力があることをきちんと自覚したのも最近だし、霊力があるからといってそれを何かに使うことなど、出来たことも、考えたことすらもないのだ。


は半ば自棄になって、雨月刀を結界に向けてぶんぶんと振り回した。それはただの苦し紛れだったが、予想外にも結界に蒼い光の筋が入り、細切れになった結界のかけらが地面に落ちて弾ける。


こんなに簡単に、お豆腐感覚で切れちゃうの?などと呑気なことを思いながら、は雨月刀を円型に動かしてみる。すると、そこだけが切った通りの綺麗な円形に切り抜かれ、抜かれた部分ははらりと地面に落ちていった。つまり雨月刀によって、そこだけ穴が開いた状態になったのだ。


開けた穴は、小さな音を当てて塞がろうとしているものの、すぐに塞がりそうな速度でもない。


「殺生丸…もしかしてこれで入れない?」


殺生丸は結界を破れといったが、それは中に入るためだ。ただ中に入るだけなら、穴が開いてるだけでも事足りる。が彼の顔を伺い見ると、呆れた様子で一つ息を吐いた。巫女や法師などの派手な術を見てきた彼にとっては、さぞ意外な方法だったに違いない。


は殺生丸の反応にびくついたものの、なんだかんだで殺生丸が立ち上がって促すので、すこし笑いを浮かべつつも、人が入って通れるくらいの穴を先程の要領で作り、再び彼を振り返った。


「ほら殺生丸、これで向こうにいけるよ?」
「…せっかくの霊力をこんな風に使うとはな」


ちらと視線を向けながらつぶやく殺生丸。はそれに口を尖らせて言い訳しようとするが、殺生丸は聴く耳を持たずさっさと結界の奥へと入っていった。はそれでも言い訳を並べながら、慌てて彼の後を追った。






城にたどり着いてすぐ、あっさりと奈落は見つかった。むしろ、こちらを出迎えるためにそこで待っていたようだった。


奈落の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。


「ようこそいらっしゃいました、殺生丸様」
「貴様は殺すぞ」
「随分お怒りのようですね」


相手を挑発するような笑み。殺生丸は闘鬼神を抜こうとしたが、の手がそれを制した。


一歩、奈落に近寄る。にはどうしても、奈落に聞いておかなければいけないことがあった。


「奈落、私のことを夢見師の女って言ったけど…あれはどういうこと?」
「…お前は本当に、自分のことを何も知らぬのだな」


喉の奥で低く笑う奈落。は雨月刀を奈落に向けて叫んだ。


「答えて奈落!あなたは私の何を知っているのか!」
「…さぁて、な」


意味ありげにそうとだけ答えて、奈落は舐るような視線でを見る。の背筋に冷たいものが走った。


「そんなことより…、気分はどうだ?」
「…なにを」
「殺生丸にかまれた傷は痛むか?」
「!?」


そのひとことで、は頭にカッと血が登るのを感じた。素早く雨月刀を捕まえて奈落に向け、逆の手では僅かに首の傷を隠すように触れる。その瞬間、の横を激しく蒼い光が通り過ぎて、奈落を直撃した。


の目の前の奈落は、いつの間にかバラバラになり、首だけが砕かれずに宙に浮かんでいた。


「殺生丸!」


が思わず彼を振り返るが、彼はただまっすぐ鋭い目で奈落を射抜いている。


「…殺生丸様、怒りをお静め下さい」


奈落がそういったかと思えば、ぼうっと淡い光が彼を砕けた体ごと包み込み、その光の中でどんどん体が再生していく。はその異様な光景に思わず目を逸らす。だが奈落はそんなとは正反対で真っ直ぐに彼女を見据えた。



「…」
「いずれ、お前を壊す。そして、…わしの物にする」


段々と元に戻っていく体。奈落はに向けてにやりと笑った。


は背筋に悪寒が走るのを感じ、顔を俯けて目をそらす。殺生丸は再び奈落を切り裂こうとするが、今度は結界に阻まれてしまった。


ふわり、と奈落の体が宙へと浮かんでいく。その瞬間強く風が吹き、奈落の体は、周りの城と共に粉々に飛ばされ、消えてしまった。それまで異様なほど暗く陰っていた空が、明るさを取り戻す。


途端にの体から力が抜け、その場にへたり込んでしまう。殺生丸は気の抜けたとは違い、しばらく消えた奈落の匂いを辿ろうとしていたが、風によってそれらは掻き消されてしまい、結局は見失ってしまった。


「殺生丸」


不意にに呼ばれ、目線だけを向ける 殺生丸。


「…ありがとう」
「?」
「嫌味言われたとき、あいつの事斬ってくれたでしょ」
「……奴が目障りだっただけだ」


ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向く殺生丸。はそんな彼に苦笑した。


「…


立ち上がって砂をほろっているところに殺生丸が呼ぶので、は顔をあげながらなに?と先を促す。目があった彼は思ったより真剣な表情でを見ていた。


「首の傷は」
「え?」
「痛むのか」


突然殺生丸らしからぬことを聞くので、は驚いて彼を凝視した。には殺生丸がこの程度の傷の具合を気にするような性格だと思えなかったからだ。だが、訪ねた本人は真剣な様子なので、は素直に、その質問に答えることにした。


「少し痛いけど…私を救ってくれた痛みだもん、全然平気!」


それより奈落につけられた痕が忌々しいよ!そう付け足すと、殺生丸は「そうか」とだけ呟いて後ろを向いてしまった。顔の角度から考えると空を見ているのだろう。その横顔を、はそっと覗き込む。


その顔は、穏やかに笑っているように見えて、は思わず目を見開いた。だが笑って見えたのもほんの一瞬で、次の瞬間にはいつもの仏頂面なので、見間違いだったのではとも思えてしまう。


「殺生丸…今、笑ってた?」


恐る恐る尋ねるが、殺生丸はなんの返事もせずにさっさと歩き出す。


は慌ててその背を追いながらも、その背に何度も同じような問いを投げた。


青く広がる空を見れば、陽の眩しさが目に沁みる。


そう言えば邪見たちはどこに置いてきたか、何てことを思いながら、殺生丸は広く続く緑の原をゆっくりと歩いた。


その後ろではが、お布団を干したい日だなぁとか考えていたりする。


そしてまた、二人に平穏な時が戻ってくる。



2005.01.04 tuesday From aki mikami.
2009.03.19 thursday 加筆、修正。
2019.12.13 friday 加筆、修正。