月に願う
「殺生丸様、一体いかがなさるおつもりで…」
「奈落の城だ」
「はて…城など見えませぬが…」
邪見がそう言って目の前を見るが、そこにはただ木々が広がるばかり。だが、にはわかった。前に自分がさらわれたときと同じ、結界があるのだと。ただひとつ違うことは、その結界が突然波打ち、なぜか中に入れるようになる。…殺生丸を、誘っているように。
「わざと臭いを漏らし、城の場所を教え、この殺生丸を招き入れるとはな」
殺生丸が目線をやった先から、狒々の皮を被った奈落が現れた。
「ただお招きしただけでは、来ていただけそうになかったので…」
そう言って殺生丸をながめる奈落。は奈落を睨みつけると、雨月刀を強く握りなおした。
「最もお探しの小娘はここにはおりませんがな…。何しろこの城の瘴気の中では人間は一瞬たりとも息が出来ぬ。まぁ…例外もおりますがな」
そう言って、奈落は一瞬を振り返る。もちろん例外とはのことだ。だが、以前来たときより瘴気が増しているようで、さすがのも少し息苦しさを感じている。こんなところにりんがいては、ひとたまりもないだろう。
「小娘は城の外でお預かりしております。今の所はご安心を」
奈落の言葉に、殺生丸は表情を変えぬままで言った。
「奈落貴様、私がりんを助けに来たのではない事くらいわかっているだろう」
殺生丸の言葉に、は驚いて彼を振り向く。はてっきり殺生丸がりんを助けに来たとばかり思っていたからだ。だが、奈落は殺生丸の言葉に、狒々の皮の奥で不敵に笑みを浮かべた。
「はい…。殺生丸様は人に指図されるのが大嫌いなご様子…。言いなりに犬夜叉を殺すでなく、小娘を探すでなく…まず、この奈落を殺しに来ると…わかっておりました」
奈落がそこまで言うと、途端に殺生丸の纏う空気が変わる。怒りなどという優しいものではない。殺意のような、獲物を狙う動物のような。
は僅かに身を震わせて、殺生丸を見た。これが妖怪としての殺生丸の姿なら、今まで自分に見せていた姿は…とても、人間らしい姿だったのではないか。そんなことを考えながら、殺生丸の目線を追って奈落をじっと見据えた。
「ふっ…。まんまと私をおびき出したとでも言いたげだな…。…用件は後でゆっくり聞いてやろう。貴様が生きていたらの話だがな」
そう言って指を鳴らす殺生丸。少し離れた位置にいても、彼からの圧力のようなものが伝わってくる。
は震えそうになるのを堪えて、加勢しようと雨月刀を構え直し一歩前へ出る。だが、その瞬間殺生丸に横目で見られ、は足を止め殺生丸を見た。
「手出しは無用だ」
「えっ…でも…」
「くどい」
「っ」
殺生丸はに一瞥をくれると、また奈落に向き直って鋭く睨み付けた。二人のやりとりを見ていた奈落は、くくくと笑みを浮かべている。
「殺生丸様、せっかくご足労いただいたのだ。この奈落…たっぷりとおもてなし致しましょう」
奈落の空気が変わる。今まで狒々の皮で隠していた邪悪な気が、渦巻くように奈落を包む。やがて、バキバキ、と言う音が聞こえ、奈落の体から触角や足、手など、様々な種類の様々な部位が生えてきて、明らかに人間ではない異形を成していく。は気味の悪さに思わず小さく声を上げた。
「ふっ、クズ妖怪の寄せ集め…奈落、それが貴様の正体か」
「正体…。いいえ、この姿は…まだ途中でございます」
にやり、と奈落が笑って、触角のような物が殺生丸目掛けて伸びてくる。殺生丸はそれを軽く跳んでかわすと、薄く嘲笑を浮かべた。
「ふん…。目的はこの殺生丸の命…か」
言いながら、ゆっくりと腰の闘鬼神を抜く。も邪見も阿吽も、ただそれを見守る事しか出来ない。
きっと殺生丸の戦いは、今までがしてきたものとは次元が違うのだろうと、そこはかとない恐怖のようなものが湧き上がってくる。
殺生丸の変化した姿…それをは綺麗だと思ったが…今のこの殺気を纏っていたら、違う感想を持っていたかもしれないと、は改めて思う。それでもなんとか殺生丸の力になりたい、なにより奈落に一矢報いたい、そんな思いで、は必死に自分に出来ることを考えていた。
だが、手出しは無用だと言われた以上、加勢をすることは出来ない。
そのときふと、はあることを思い出した。りんはここではないどこか別の場所にいると。自分がりんを探し出せば殺生丸は戦いやすいのではないか。は思考を巡らせる。
そしての中の天秤は、りんを助けに行く方へと傾いた。くるり、と奈落と殺生丸の戦いに背を向け、阿吽の手綱を引いて歩き出す。そこに神楽の姿が見えたが、は構わずに横を通り過ぎようとした。だが、そのとき。
「…見ねぇのかよ」
不機嫌そうな神楽の声がを呼びとめ、は仕方なしに視線はそのままで足を止めた。
「二人の戦い、見ねぇのかよ」
「ただ見ているだけより、何かしたいの」
「あの小娘を助けに行くなら、無駄だぜ」
神楽が嘲笑を浮かべて言い、は顔だけを僅かに傾けて神楽を睨みつける。
「そこには何千何万の妖怪がいやがる。例えあいつらがクズ妖怪でも、お前一人じゃきついだろうよ」
「一人じゃない。阿吽も一緒に行くから」
「同じことだ。それにあいつらはいくらでもわいてでる」
そう言って、すぐ傍の木の柱にもたれかかる神楽。
「それは忠告?」
「そんなところだ」
「へえ、随分優しいんじゃない?」
「馬鹿。嘘に決まってんだろ」
ふんっと鼻を鳴らしたあと、再び殺生丸と奈落の戦いに目をやる神楽。丁度殺生丸が奈落を斬り刻み、その肉塊はビシビシと音を立てて殺生丸の手足に巻きついた。
殺生丸はもう一度奈落を斬るが、同じように肉塊が体に巻き付いてしまう。神楽はそれで、奈落の意図を即座に察知した。
「(間違い無い!奈落は殺生丸の体を――――――…自分の中に取り込もうとしている!)」
バッとの方を振り向く神楽。その表情があまりにも険しくて、は驚いて目を見開いた。
「おい、どうやら本当の忠告をしなきゃいけねぇみてぇだぜ」
「…えっ?」
「殺生丸が大切なら、出来るだけ近くで見守ってるこったな」
「えっ…ちょ、どういうこと?」
「……今まで奈落は、ああやって妖怪どもを取り込んできた」
「!?まさか、殺生丸のこともっ!?」
「……」
二人青ざめた顔になる。は不安と戸惑いの入り混じった目で、殺生丸を見つめた。
そのとき、城を覆う結界がゴオォと音を立てたことに気づき、は顔を上げた。見ると、結界が不安定に揺らいでいるように見える。奈落もと同じように顔をあげ、忌々しげな表情を浮かべた。そこではようやく気づく。誰かが結界を傷つけ、こちらに進入しようとしているのだと。
「神楽、行け!」
奈落は神楽にそう言って、ふたたび殺生丸に向き直る。先程より幾分か焦っているようにも見えた。
「来客か、奈落…その者は気の毒だな。せっかく尋ねて来たというのに…生きた貴様に会う事は叶わん!」
そう言って殺生丸が闘鬼神を振れば、彼は更に多くの肉塊に包まれてゆく。
は殺生丸に先程神楽に聞いたことを言うか迷ったが、今それを言えば殺生丸はを怒るだろうし、何より神楽が奈落に殺されてしまうかもしれない。そうして一瞬躊躇ってしまったら、次の言葉はなかなか出てこなかった。
は複雑な気持ちのまま、二人の戦いを見つめた。つい先程神楽が去って行った方を気にしながら。
恐らく結界を破ったのは、奈落に恨みのある人物だろう。そして殺生丸でも簡単に破れない結界を破ったのだから、それなりに力のある人物であることもわかる。
はその人物が一刻も早くここに来て、殺生丸と奈落を止めてくれることを祈った。
二人の間に誰か入れば、もしかすると殺生丸を取り込むことを止めるかもしれない。…そんな淡い期待を抱く。
雲が切れてあらわになった夜空は、月とたくさんの星を抱えている。その月は、先程見たときと変わらない、満月少し前の明るい月。
は何も出来ず傍観しているだけの自分に悔しさを覚え、ギリギリと歯を食いしばる。それを阿吽が気付いたのだろうか。寄り添うように双頭をに向けた。はその頭を二つ交互に撫でながら、頭の上の月に呟いた。
みんな、無事に帰れますように。
2005.01.07 friday From aki mikami.
2019.12.28 saturday 加筆、修正。