兄弟


ばらばらになった肉塊が、殺生丸の足元を覆っていく。はその光景を不安げに見つめていた。


「奈落よ…城の外が気になるようだな」


殺生丸がそう言って奈落を睨みつける。奈落は僅かに顔を俯けて言った。


「殺生丸様…。ゆっくりとお相手している暇は無くなった。貴方様のその完全なる妖怪のお力…全てこの奈落が喰わせて頂く」


転がっていたはずの肉塊が、殺生丸を中心にごそりと集まってくる。こうなっては自分が間に入ってなんとかするしかない、は雨月刀を握りしめて一歩踏み出した。そのとき。


「奈落!」


初めて聞く声に振り返ると、赤い衣に身を包んだ犬耳の青年が、大きな刃の刀を持って奈落に飛びかかるところだった。


「それが…てめぇの本性か!!」
「犬夜叉…」


奈落のつぶやきに、は驚いて犬夜叉を見遣った。


「(彼が…殺生丸の弟…)」


初めて対面する犬夜叉。雨月刀の記憶で見た殺生丸の記憶、その中に、確かに彼もいた。殺生丸の左腕を奪ったのは、間違いなく犬夜叉だ。は、その姿をまじまじと目に焼きつける。


「くらえ、風の傷!」


そう言って大きく刀が振りぬかれ、風圧の塊のようなものが奈落に向かっていく。まさに風の傷の名に相応しく、地面を削り上げて傷を残していく。奈落は自身の周りに結界を張ってそれを防ごうとするが、犬夜叉の攻撃は結界を貫いて、奈落の体を打ち砕いた。


はその光景に一瞬目を奪われるが、すぐにはっとして肉塊を見つめる。ピシッと筋が入り、砕けたところから殺生丸が現れ、はほっと胸をなでおろした。皮肉にも奈落の肉塊が犬夜叉の風の傷を防ぐことになったようだった。


「殺生丸…」


犬夜叉は殺生丸がいることに驚いているようだった。は改めて奈落を前に並ぶ兄弟を見つめた。


その顔はお世辞にも似ているとは言えないし、二人の雰囲気もまるで違う。だが、色見は若干違うように思うが同じ銀色の髪をしていて、目は金色をしている。それに、見た目以外のところにも、確かに二人には似ているところがある気がした。


「ふっ。奈落よ、皮肉だな。私を包んだ貴様の肉片が…犬夜叉の風の傷の盾になるとは」


殺生丸は薄く笑みを浮かべている。さすがの奈落も焦りの表情が見える顔で、犬夜叉をじっと見やった。


「くくく、犬夜叉貴様…結界を斬れるようになったのか」
「奈落てめぇ…今度こそ逃さねぇぞ。覚悟しやがれ!」


刀を大きく振りかざす犬夜叉。その後ろから殺生丸が、犬夜叉を追い抜いてゆく。


「こやつは私の獲物だ」


言葉と共に闘鬼神を振り下ろすと、奈落の体が砕け、そこから凄まじい瘴気があふれ出る。犬夜叉と殺生丸はそれを瞬時に感じ取り後ろへと飛び退いた。


「殺生丸様…今日の所は退散いたします」


ザァッと渦巻く瘴気が、沢山の虫と共に空へと消えてゆく。それを見つめる殺生丸の妖気が少しだけ増し、目が赤く変化する。これはきっと犬の姿に変化するのだとが思うより早く、奈落が嘲笑うかのように言った。


「くくく、殺生丸様。変化してわしを追うよりも、お連れの小娘を早く迎えにいかれた方が良い」


殺生丸の変化がぴたりと止まり、赤かった双眼が元の金に戻った。


「りんは今…琥珀と言うものと一緒にいる」


奈落の言葉に犬夜叉は驚いた表情を浮かべる。


「それがどう言う事か…犬夜叉…貴様なら想像がつくだろう…」


そんな言葉を残して、淀んだ空の彼方へと消えていく奈落。犬夜叉はその様子に一瞬だけ目を細めると、刀を鞘へと納めた。はようやく奈落が去っていったことに一瞬胸を撫でおろした。…だが、当初の目的は達成されていない。奈落が言っていた「琥珀」という名前は、には心当たりがなかった。


「おぅ、殺生丸。お前人質でも捕られてんのか?」


犬夜叉が殺生丸に問うが、殺生丸は奈落が去った方を見つめたまま動かない。が彼に近づこうと一歩踏み出すが、殺生丸は一度に視線を寄越したあと、すぐに空へと向き直り、ふわりと浮かびあがった。


追いかけてくるな、といわれた気がして、は動くことが出来なかった。そのまま空に浮かびあがった殺生丸は、どこかへと飛んで行ってしまった。


「せ、殺生丸様置いてかないで…」


邪見がその後を追いかけようと必死で手を伸ばす。だが、そこを犬夜叉に引っ掴まれて止められてしまった。


「い、犬夜叉」
「おぅ、邪見。説明しな。奈落と殺生丸の間に何があった?」


犬夜叉が乱暴に邪見の服を掴んでそう尋ねる。邪見の性格上、そんな態度で大人しく何かを語るわけもないと思って、はひとまず二人の動向を眺める。邪見は忌々し気に顔を歪めた。


「貴様ごとき半妖に話す事など無いわい」


犬夜叉は一瞬顔を引きつらせ、拳を大きく振り振り抜いた。鈍い音が響き、邪見の顔がたんこぶだらけになったところで、これは穏やかではないとは慌てて二人に駆け寄った。


「話せば長い事ながら…」
「短く話せ」
「ちょ、ちょっと待ってよ…!」


ひとまず犬夜叉が持ち上げている邪見を引っ張って自分の腕の中に確保する。犬夜叉はいぶかし気にを振り向いた。


「何でぇ、お前。お前も殺生丸の連れか」
「そ、そうよ」


が頷くと、犬夜叉は立ち上がってをまじまじと見つめる。ふーんとか、へーとか漏らしながら。


「な、何?」
「お前、見たところ普通の人間だな。本当に殺生丸が連れて歩くような奴なのか?」
「なっ…し、失礼ね。ちゃんと一緒に旅してるわよ。一応霊力もある…らしいし…ねぇ邪見?」
「なぁにが一緒に旅じゃ!殺生丸はお前を仕方なく連れて行って下さってるのだ!」
「あ…そっか…」


邪見の言葉に妙に納得してしまう。ここ最近色々な出来事がありすぎて、自分が霊力のおかげで旅に同行出来ていることを忘れかけていたからだ。ぽんっと手を叩いてこくっと頷いた。


「まぁんなことどうでも良いけどよ。なぁ、お前名前は?」
。貴方、犬夜叉って言うんでしょ?」
「何で知ってんだよ」
「刀々斎さんに聞いたの。それに今奈落が呼んでたし」


が言うと、犬夜叉はあのくそじじぃと悪態をつく。しゃべり方や口調などから察するに、性格も殺生丸とはかけ離れているようだ。犬夜叉はしばし刀々斎の悪口を言っていたが、すぐに本題を思い出し、に尋ねた。


「おい、お前も知ってんだろ?奈落と殺生丸に何があったか、教えろよ」
「えっと…りんちゃんが連れられて…」
「りんちゃん?連れの娘か?」
「うん。…神楽が来て、りんちゃんをさらって行っちゃったの。それでここに…」
「それで何であいつらが戦ってんだよ」
「奈落が、殺生丸を取り込もうとして…」
「何?殺生丸をか?」
「うん」


が頷いて見せると、犬夜叉は「なるほどな」と納得した様子で何度か頷いた。


「(どちらにしても早くしねぇと、最悪の結果になっちまうな)」


そう想うと同時に、犬夜叉はさきほど殺生丸の消えた方向へと駆けだしていく。途中を振り返って、「ありがとな」と一言を残して。


「何か…嵐が去ったみたいだなぁ…」


遠くなってゆくその背を見送りながら、は小さく呟いた。殺生丸はどちらかというと寡黙だが、犬夜叉は人と話すことにあまり抵抗がないように思える。…先ほど邪見が言っていた「半妖」という言葉を思い出す。


「ねえ邪見」
「なんじゃ」
「半妖って…半分妖怪ってことだよね」
「そんなことも知らんのか」


はぁ~、と深くため息をついて、わざとらしく首を振る邪見。は少しイラッとしたものの、ここは大人しく邪見の話を聞こうと考えた。


「半妖って…半分が妖怪で、残り半分は…人間?」
「そうじゃ。あの犬夜叉の場合は、偉大なる親方様と、忌々しい人間の女から生まれた半妖!誇り高い殺生丸様とは似ても似つかぬ、下品で粗暴な汚らわしい生き物じゃ!」


粗暴なところは殺生丸にもあるのでは?と思ったが、それを口に出すときっと怒られると思うだけに留めた。邪見の話しぶりや先ほどの反応から、殺生丸と犬夜叉は仲が良くないことは容易に想像できる。そうでなければ左腕を切り落とされたりしないだろうし、犬夜叉があそこに来た時点で協力して奈落を倒すこともできただろう。


そこまで考えてから、は今度こそ本来の目的に向けて動くことにした。


「邪見!殺生丸のこと追いかけよう!!」
「おぉ、そうであった!よし行くぞ!!」


そう言って、阿吽に乗り込む二人。は邪見がきちんと乗ったのを確認すると、足で軽く蹴って阿吽に合図を出す。阿吽はふわりと浮かんで、二人が消えた方角へと進んで行った。






「おい」


不意に呼び止められ、は阿吽を飛ばせたままで動きを止めた。その声は間違いない、風使いの神楽だ。


「…ちょっと一勝負していかねぇか?」


飛んでいるのすぐ横を、羽に乗って並走している。は一度神楽を睨み付けたあと、正面に向き直った、


「……こんな時に、勝負?」
「あぁ」
「そんなの、受けると思う?」


僅かな怒気を見せる。神楽は口元に笑みをたたえ、手元の扇子を一振りした。そこから繰り出される斬撃を、は体を縮めてなんとか避ける。


「…なら、これでどうだ?あたしはお前を殺生丸のところへ行けないように足止めする。お前はあたしを倒せばあいつのところへ行ける」
「………わかった」


はそう答えると、阿吽に下に降りるように命じた。阿吽は一瞬戸惑うようにその双頭をに向けたが、の表情を見て静かに降下していく。の後ろで邪見だけがあれこれと文句を言っていて、神楽がうるせぇ小物だなと悪態をついた。


鬱蒼と茂った森の、少し開けたところに降り立った阿吽。はその背から飛び降りると、少し離れたところに降り立った神楽に向き直った。


「邪見、先に行って」


後ろを振り向かずにそう叫ぶ。さすがの邪見も少し迷ったようだが、「うむ」と頷いて阿吽と共に空へ飛びあがった。


は神楽をまっすぐに射抜いたまま、雨月刀を強く握りしめた。


「別に文句無いでしょ?私との戦いなんだから」
「あぁ、別に良いぜ。あたしはあんたが気に食わねぇだけだからな。人間のくせに妖怪と一緒にいるってことの意味、教えてやるよ」


じゃっと音を立てて、神楽の持つ扇子が広がる。もまた雨月刀を構え直した。


「それじゃあ、始めようぜ」


にぃっと笑みを零す神楽。二人の間を強く風が吹きぬけた。神楽がざっと扇を振ると、風が竜巻のように沸き起こる。


「竜蛇の舞!」


こうして、傍観者二人の戦いが始まった。



2005.01.08 saturday From aki mikami.
2019.12.29 sunday 加筆、修正。