新しい着物
あの日みんなと合流してから、殺生丸はどこかへ出かけている。いつものように留守を任されているは、りん、邪見と共に本日の夕食を調達していた。
「ちゃん、そっち行ったよ!」
「わかった!!」
りんの声掛けには雨月刀を握る。その瞬間、木陰から一匹のウサギが飛び出した。
「今だっ」
自分自身に合図をして、そのウサギを捕まえる。その様子をみていたりんがトタトタとに駆け寄って来て微笑んだ。
「やったね、ちゃん」
「うん、りんちゃん」
はそう言って笑うと、りんと手を繋いでくるりと後ろを向き、邪見の元へ駆けて行く。
「はい、邪見!よろしくね」
とりんが捕まえ、邪見が焼く係りになっていたため、邪見は火の前で待機していた。そしてようやく回ってきた自分の役割なのに、なぜかぶすくれた顔をした。
「…捕まえるのが遅いぞ」
「ごめんごめん。お願いします、邪見」
言い方が少しぞんざいだったが、お願いします、の部分に気をよくしたらしい邪見は、仕方ない、とまんざらでもなさそうにもらしてウサギを受け取った。
は、帰って来ない殺生丸のことを考えた。
二人で邪見達に合流した後、いつのまにか一人で出かけてしまった殺生丸。ふらっといなくなるのはいつものことで、行き先を言わないのもいつものことなのだが、いなくなる前に何か考え込んでいるようだったので、それがずっと頭に引っかかっていた。
小さくため息をついたを、りんは不安気に見あげた。
「ちゃん、どうしたの?邪見様に嫌なこといわれたの?」
「ううん。…ただ、殺生丸が帰ってこないなぁって」
はりんに苦笑を漏らしながら、もう一度溜息をつく。
「きっと帰ってくるよ」
「うーん…そうねぇ。でもときどき思うけど、殺生丸、私たちのこと忘れてたりしないかな。殺生丸って以外と忘れっぽいと思うのよ。一回あったくらいじゃ人の名前とか覚えないだろうし…」
「悪かったな」
「「っ!」」
突然聞こえた殺生丸の声にとりんは慌てて振り返った。…そこにいた殺生丸は、不機嫌そうに顔を顰めている。
「殺生丸様!おかえりなさい!」
「せ、殺生丸…お帰り…」
殺生丸が帰ってきて嬉しいりんは、飛び上がって明るい笑みを見せたが、直前の言葉のせいでばつが悪いは、引きつった笑みを浮かべた。
殺生丸ものひとことに多少むっとしないわけではなかったが、ここに戻ってきた目的をしっかり覚えていた。の左腕を掴むと、引っ張って歩き出す。突然思い出したようにぴたりと止まると、振り返ってじ、とりんを見つめた。
「りん、邪見と阿吽と、ここで待っていろ」
「はい、殺生丸様」
りんの素直な返事を聞くと、殺生丸はまた強引にを引っ張って歩き出す。は行く先もわからず、殺生丸にひかれるままにその場を後にした。
立ち止まった場所は、たくさんの桑の木に囲まれていた。
「殺生丸……あの…」
見あげると、殺生丸はじっと、一番太い桑の木を見つめていた。それにならっても桑の木を見つめると、根元が僅かに光りはじめ、やがて白くて丸いものが浮かんできた。
眩しさで一度目を細め、光がおさまってから改めてそれを見る。
「か、か、かかか、か…!」
それは、巨大な蚕だった。
虫が嫌いなは、"かいこ"と言う短い言葉を言うのにどもってしまうほど動揺していた。殺生丸はそんなの襟首を掴んで巨大蚕の前まで引きずると、自分はその隣に並んで座って、も無理やり座らせて言った。
「これだ。直せるか」
「これくらいなら、お安いご用だ」
そう低い声が聞こえると、蚕がずるずると体を引きずってへと這ってくる。言葉にならないほどの嫌悪感を感じ、今にも逃げ出したい衝動にかられたが、殺生丸に腕を抑えられ逃げることが出来ない。
の目の前で止まった巨大蚕は、脱げ、と低い声で呟いた。
「えぇ!?ちょ、脱げって…」
「その服を、元に復元してやろうと言うのだ。そんなに私が嫌なら、さっさと脱げ」
「え?…だって……」
そう呟いて、ちらと殺生丸の方を見やった。つまりは彼がいるのに脱げるか、とそう言うことである。
殺生丸は予想していたらしい、特に動じた様子もなくを見やると、一体どこから出してきたのか、何かの布をに被せて頭を軽く叩いた。は驚き慌ててそれを頭からよけ、殺生丸に抗議しようとするが、かけられたその布が何か分かったは、言葉が紡げずにそれをまじまじと見つめた。
それは女性用の着物だった。黒地に白い彼岸花の模様、ところどころに赤い彼岸花もあしらわれている。が顔を上げて殺生丸を見ると、彼の目が少し離れたところに注がれ、つられるようにもそちらを見ると、新しい襦袢や帯などの小物まで用意してある。
「えっ…あの、これ…」
「早く着替えて来い」
「…はい」
きっと何を聞いても無駄だと、そう判断したは、着物を持って彼等から見えない木陰に移動した。…後に残った殺生丸は、ふっと深く溜息をついた。
帰り道。
今、の手には綺麗に復元された彼女の着物がある。殺生丸が何も説明しないので、は未だに不思議な気分でいる。
数歩前を歩く殺生丸に駆け寄って顔を覗きこんだ。
「ねぇ、殺生丸…あの大きい蚕は…」
「…あれは妖怪だ」
「よ、妖怪?あれが?」
「あぁ」
「あの、もしかしなくてもこの着物、直してくれたのよね」
「あぁ」
「じゃ…じゃあ、殺生丸もしかしてお願いしてくれたの?直してって…」
「……」
その瞬間、殺生丸はピタリと足をとめた。それを肯定と取ったは、小さく笑って、ありがとうと呟く。
「覚えててくれたんだね。これが大切な着物だって」
「偶然、思い出しただけだ」
「それでも良いよ。ありがとう」
例え、それが偶然思い出したことだったとしても。にとっては、その殺生丸の優しさが嬉しかった。そして、大切な着物が、綺麗になって戻ってきたことも、嬉しかった。
は嬉しそうに笑っていたが、ふと、あることを思い出した。殺生丸をのぞき見て、自分が着ている着物の裾を掴む。
「この着物…」
「……それはもうお前のものだ」
「もしかしてあの蚕が作ってくれたの?」
「あぁ」
「…もしかしてこれも、殺生丸が頼んで…?」
「…」
再び黙りこんだ殺生丸。…は、恥ずかしそうに頬を染めて、微笑んだ。
「殺生丸、ありがとう」
その言葉に、何も言わないし、何の反応も示さない。そんな彼に、はくす、と笑みを漏らした。
「優しいね、殺生丸」
「馬鹿なことを」
「優しいよ、すっごく」
「…優しくなどない」
「優しいってば」
「…覇道の道に、優しさは必要ない。それに、そんなもの元々持ち合わせてはいない」
「そんなことないよ…最近の殺生丸は何だか…すごく優しくて…」
その先の言葉を紡げなくなったは、赤い顔のまま俯いて黙りこんだ。そんなの頭を強めに叩いて、殺生丸は先を歩いて行く。
「っ、痛いじゃない!何するの!」
は駆け寄ってじろりと殺生丸を睨みつけるが、殺生丸はそれに一瞥をくれると立ち止まって、…少し躊躇って、口を開いた。
「もし、私が優しいとしたら… 」
「…えっ?」
殺生丸の言葉に、一瞬呼吸することも忘れ、目を見開いた。殺生丸はそんなの顔をみないままで歩き出す。がふと我に帰ったときには、既に遥か前方を歩いていた。
「ちょ…まってよ殺生丸!」
走り出して、やっと彼に追いつくと、は彼を見上げて尋ねた。
「ね、ねぇ、今の言葉、どういう意味?」
の疑問に答える気はないらしい殺生丸。答えたくないのだろう。あからさまに歩く速度を速めて、を引き離した。それを必死に追いかけながら抗議するが、殺生丸は聞く耳を持たない。
『それは、お前にだけだ』
その殺生丸の言葉が、特別な響きに思えて、二人の頭から離れない。僅かに吹く風が運んでくる木々の匂いが、それをより鮮明に二人の中に焼き付けていく。
たった今の着ている着物が、彼女にとって一生の宝物となった。
2005.01.10 monday From aki mikami.
2007.02.19 monday 加筆、修正。
2020.01.01 wednesday 加筆、修正。