永久の記憶


炎は、の家を焼き尽くした。そして、の心に恐怖という名の火傷を残した。


忌まわしい、永久に消えることのない、記憶。



「!」


突然かけられた声で目を覚ました。目の前には、自分をじっと見つめている殺生丸の端正な顔がある。しかも、殺生丸のひざの上に体が乗っていて、異様なほど顔が近い。


殺生丸は目を白黒させているに小さく溜息をついた。


ここは小さな河原だ。は少し離れた焚火の前でりん達が眠った後、水を飲もうとしてここまでやってきたのだが、水を少し飲んだところで急激な眠気に襲われ、そのままそこで眠ってしまったらしい。


「私、眠っちゃってた…?」


自分の記憶を辿ってみると、確かに水を飲んだところで意識が途切れている。…だが、河原でそのまま寝たにしては随分と温かいし、そこにさっきまでいなかった殺生丸がいる。なぜかと考えるまでもなく、理由は一つしかなかった。


がいなくなったことに気づいた殺生丸が、彼女を探しに来て、寝ている彼女を見つけて、わざわざ温めてくれていたようだ。


「せ、殺生丸、あの…ありがと」


河原で寝てしまったこと、殺生丸の優しさ、色々なことに恥ずかしいは、顔を赤くして殺生丸を見上げた。だが殺生丸はそんなを気にする様子もなく、彼女の額に貼り付いた前髪を軽く梳いて、言った。


「…嫌な夢でも見たのか」
「っ」


どきりとした。それは、その言葉が図星だったからだ。…そんなことない、と言っても無意味なことはわかっている。前髪が張り付くほど汗をかいているのだ。ましてや殺生丸に嘘をつくなど、無駄なことだ。…だが、自分の口から語るには少し気が引ける。と言うより、口に出すのもおぞましい夢だ。


「昔の夢…か」
「っ…何で」
「なんとなく、だ」


なんとなく、と言っているがおそらくの表情を読み取った上でのなんとなく、のだろう。なんだか殺生丸に不似合いな言葉だと少し思ったものの、そこまでばれていて何も言わないでいるのも気が引けてしまい、は重い口を開いた。


「村が焼けた日の夢。…最近あんまり見てなかったんだけど」


今のの言葉は、以前はよく見ていたことを示唆しているのだが、本人にはその気はないのだろうと殺生丸は思った。


の体が震えている。


「家が燃える様子とか、お爺さんを殺した夜盗の顔とか…焼き付いて離れないの。憎くてたまらなくなる」


ギュッと強く拳を握り締める。


「私あの日、浮かれてたの。お爺さんに新しい着物貰って、自分でも仕事うまくいって。なのに、村に帰ったらそこはもう、火の海で…」


それ以上、は言葉を続けなかった。正確に言うと、続けられなかった。…それ以上話していると、泣いてしまいそうだった。


殺生丸は震えるをただ見つめていた。…そうしていて、気づいたことがあった。の話には登場しない存在があること。


「…父母はおらぬのか」


そう尋ねたものの、もし村に父母が住んでいたとしたらきっと話題に上るはずだし、別の場所に住んでいるならきっと、あんな風に殺生丸と出会うこともなかっただろう。聞く必要はない話だったかと殺生丸は思った…が、から返って来たのは思わぬ返答だった。


「あれ、殺生丸に言ってなかったけ?私十歳より前の記憶が一切ないの」
「…聞いていない」
「そっか、ごめんね」


そう言うと、は泣きそうな顔のまま無理矢理笑顔を作った。ちゃんと笑えていると本人は思っているらしいが、どう見ても無理がある。はそう言う表情をよく見せる。


殺生丸が何も答えないので気まずくなったは、彼の膝の上から立ち上がって足を河原に向けた。…だが、殺生丸はそんな彼女の腕を掴んで引き止める。


「…殺生丸?」


振り返ると、殺生丸の射抜くような視線と目が合った。悪いことをしたような気分になって大人しくそこに座ると、掴んだ腕をそのまま引かれ、かなり強い力で抱きしめられる。

「っ…殺生丸…」
「勘違いするな。……寒いだけだ」


そう言うと、更に力を強められた。正直すこし痛かったが、文句を言うのも気が引けては黙っていた。


の肩に当たる彼の額は、ほんのりと温かかった。胸板の体温も熱いほどで、ぎゅうぎゅうと締め付けてくるものだから、までもが熱くなってしまいそうだった。時折吹き付ける風は冷たく、温度差で胸がざわめく。


だが、それだけではない。胸がざわめく、理由は。


つぅ―――― と、の頬を伝う涙。


殺生丸はの頭に手を添えて、深く自分の肩にうずめる。…啜り泣く声が小さく聞こえてくる。


暖取り。この行為に、それ以上の意味がなかったとしても。


…不安がらなくていい。安心していいといって貰えているようで、は静かに目を閉じて、泣いた。






歩きなれた道に、異変が起きていた。


道の真ん中に、子供が倒れている。子供の周りには荒れた様子が全くなく、なぜそこに少女が倒れているのか、わからないほどだ。翁は少女を抱き起こすが、応答がなかった。


ぐっすりと眠っているようだった。特に目立った外傷もない。翁は背中に背負っていた籠を下ろすと、変わりに少女を背負った。降ろした籠は道の陰に置いて、歩き出す。やがて辿り着いたのは、決して広くはない藁屋根の家。だが、翁は一人暮らしで、彼にとっては大きいくらいだった。


「!」


家に着いたとき、少女が目を覚ます。翁は家に入ると少女を床に降ろし、大丈夫かと声を掛けた。それから、たどたどしく頷いた少女の頭を撫でる。


―――、十歳。


翁は何度も何度も、どこからきたのか、両親の名前は、他にも色々なことを聞いたが、は名前と歳しか覚えていなかった。翁は結局を両親の元へ帰すことも出来なかった。


なぜ記憶がないのか、の記憶の裏に、どんな過去があるのか、それは一切わからなかったが、翁が連れてきた以上他人に頼むわけにもいかず、はそのまま翁と暮らすことになった。二人の生活には特に大きな問題もなく、は翁を本物の祖父のように思い、翁もまたを本物の孫のように可愛がった。はよそ者と迫害を受けたりもしたが、生活していくのに困るほどのものでもなかった。


貧しいながらも順調に、穏やかに日々が続いていた。


突然、その日はやってきた。


その日は隣村まで働きに出ていた。歩きなれた帰り道がいつもと違う、そう思ったは、村まで走って帰った。もしも翁に…大切な家族に何かあったら。そう思うと恐怖で足がすくんだ。


はただ走った。昼間翁に貰った、初めての絹織りの着物で。翁が自分の帰りを待っているはずの家へ。


だが。


藁屋根の家の燃え方は、他の家の比ではない。…は恐怖すら覚えなかった。もはや原形も留めていないほどに燃えて、二人が暮らしていたはず家だと、うまく認識することができなかった。


その場に茫然と立ち尽くした。その光景を受け入れることも、拒むことすら出来ない目で。…まるで、他に何も見えないかのように、じっと燃える炎を見つめて。


その時、後方から物音が聞こえて、ようやくは我に帰った。振り返った先にいたのは、のことを虐めていた村娘の一人だった。は急いでその娘に駆け寄った。


「ねぇ、じいちゃんはっ、ねぇ!!」


そう彼女に詰め寄るが、苦々しい表情を浮かべると、の顔を直視出来ずに下を向く。


それでことを悟れぬほど、は鈍感ではなかった。


駄目なのだ。幾ら思っても。たとえが今から炎の中に飛び込んでも、…それは無駄なこと。


がくりと膝をついた。


今まで当たり前のように傍にあったものが、スルリと手から滑って行った。頭上から「あんたのせいだ!」と悲鳴のような声が聞こえるが、の耳にはうまく入らなかった。娘は苛ついた様子で、の頭を二、三度殴りつけた。その衝撃で、は地面に倒れこむと、今度は娘の足がを強烈に踏みつけ、近くにあった棒きれで殴り始めた。だが、痛みも感じない。何もかもどうでもよいと思えていた。


死んだようなの瞳をみて、娘は逆上し、罵声を浴びせた。そして再び足を蹴り挙げる。…そのとき。


ぐしゃりと肉が裂ける音がして、がゆるゆると顔を上げる。娘の体がバラバラに砕け、地面に転がっている。の身体に血がかかって、独特のにおいが広がった。


何が起きているか確かめるため、は傷ついて重くなった顔を無理矢理上げる。…そこにいたのは、鎧を身にまとい、馬に跨った蒼い目の青年だった。


は青年を睨みつけるが、青年は顔色一つ変えない。


そのとき、青年の後ろから図体のいい男が二人馬に乗って現れて、彼の隣に並んだ。ちゃんと見えているわけではないが、顔がとても似ているようだ。


「…この娘が何か」
「いや…」


右側の男の問いに青年が答える。すると左側の男がを見据え、うすぎたねぇ女だといって嘲笑った。


は、それに対して何かを言い返すことはしなかった。ただじっと睨み続ける。やがて右側の男がいきましょう、と青年を促して、その一行は馬を後ろへと向けた。

だが。


「すまぬ…」


後ろを向きかけたとき、蒼い目の青年がそう呟き、去っていった。…その言葉の意味がよくわからなかった。すまないというのは、何に対する言葉なのだろうか。村を襲ったことに対する言葉なのだろうか。だとしたら、今更過ぎる。


はその後ろ姿を、いつまでも睨みつけていた。






村が襲われた、とは聞いてはいたが、改めて一部始終を聞かされたのははじめてだった。
不可解な話だと殺生丸は思った。


いくら藁屋根とはいえ、の住む家だけが燃え方が酷かったこと、村娘の「お前のせいだ」という言葉、最後に現れた青年の話、そして、狙ったようにのいない間に夜盗がやって来たこと。


何か作り物めいたものを感じるが、の顔を見ていればわかる、まさか彼女が嘘をついているはずはない。


「…何か…眠くなって来ちゃった」


ぽつりと零すようにが言うと、殺生丸は、眠りを促すように優しくの頭を撫でた。数分もしないうちに規則正しい寝息が聞こえてきて、殺生丸は一度をきつく抱くと、そっと自分の胸にもたれさせた。


「(嫌な風だ…)」


いつもと変わらず吹いているはずなのに、そう思う。…それは例えば、これから何か起きるのではと言う、予感の風。



胸に眠るを隠すように、白い毛皮でやさしくを包み込んだ。



2005.01.11 tuesday From aki mikami.
2007.02.11 sunday 修正。
2019.12.11 wednesday 加筆、修正。