後継者選びの鍵


「受けます」


はしっかりとした声音で言った。水憐はそれにほっとしたのか、長めに息を漏らして微笑んだ。


「その代わり、あなたの知っていること…私の村のことや、奈落のこと、わかる限りで教えてください」
「もちろんだ。ありがとう」
「…自分の罪を償いに行きたいの」
「……罪?」
「村の人達を…殺した罪」


そう言って目を伏せるを、殺生丸は離れて見つめていた。


例えば慰めなんて持ち合わせてはいないし、厳しい言葉ですら、もう出て来ない。他に気のきいたことが出来るかと言うと、当然出来るわけがない。


大体そんなことを考えている自分自身にも嫌気がさした殺生丸は、余計な思考を全部振り切って と水憐を見やった。


「わたしは何をすれば良いの?」


拳を握りしめ、水憐に強い視線を送る。強い意志を持ったその背中は、とても凛々しく見える。…長い間追いかけていた背中に少し似ていると、殺生丸は思った。


水憐は少し長めの髪を翻して、について来い、と言った。


「…殺生丸」


は殺生丸を振り返ると、不安げな声で尋ねる。


「あの、もし、殺生丸が、よければ…」


その言葉の先は紡がれることはなかったが、殺生丸には聞かなくてもわかった。そしてが言いよどんでいる理由も。自分のわがままで迷惑をかけてしまうことを申しわけなく思っているから、そしてについていくことが、殺生丸に何の利益もないとわかっているから。それを承知で、殺生丸についてきてほしいと思っている。…そうさせるのは、胸の痛みと焼けるような孤立感。村を焼いた炎に、の心は未だとらわれたままなのだ。


殺生丸は、今にも泣き出しそうなを見つめた。


自分の決めた道が正しいとも分からない。ただ、決めたことはやり抜きたい。そんな強い気持ちをの目の中に感じる。たった今殺生丸に置いていかれることに恐怖を覚えているのに…いつも泣いてばかりの弱い生き物が、なぜこんな目をできるのか。


もう少し、この目を、背中を、見てみたいと思った。


「いいだろう」


殺生丸が答えると、は一瞬驚いた顔をした後、満面の笑みで笑った。そのままの勢いでりんと邪見に向き直り、あれやこれやと説明をしている。


殺生丸は、なぜ自分の言葉ひとつでこんなにも表情を変えるのか、などと考えながら、その様子を見ている。


ついてきてほしいの、というの問いに、りんは当然うん、と答えた。邪見は、わしは殺生丸さまについてゆくのだ!と叫んでいる。二人の答えに嬉しそうな笑顔を見せたは、阿吽の首に抱きついて頬をすり寄せた。気持ち良さそうに喉を鳴らして、阿吽もにすりよっている。


「ありがとう、みんな」


が言うと、りんは嬉しそうに頷き、阿吽もの頭を軽く小突いて答えた。邪見は顔を背けている。そして殺生丸は、そんなを静かに見守った


水憐はそんな殺生丸一行の様子に…特に殺生丸の様子に、驚きを隠せなかった。


そもそも、人間と妖怪が共に旅をしているという時点で、中々に異質な集団なのだ。さらに以前の殺生丸は、同じ妖怪にすらさしたる興味も持たず、人間という存在そのものを憎んでいた。その彼が、人間を二人も連れて歩いている。


「随分変わったな、殺生丸」


殺生丸にしか聞こえないように、水憐は言った。殺生丸から鋭い視線がかえってきたので、やれやれと首を竦めて距離を取る。そして口には出さずに、自覚はないのだな、と思い笑った。


水憐は、殺生丸のその変化が少し嬉しかった。だがそう思っていることがばれたら殺生丸は怒るのだろうと思って、笑みを浮かべるに留めておいた。殺生丸は顔を顰め、水憐をさらに睨み付ける。水憐がその視線から逃れるように歩を進めると、は慌ててりん、邪見と共に阿吽の背に乗っかった。


それを確認すると同時に、水憐と殺生丸が空へと飛び立った。






「うわぁ…綺麗…」
「本当…」


りんとがそう言ったのを聞いて、水憐はほっと息をついた。だが、殺生丸は違う。…驚いていた。


聖域の清らかな空気は薄れているし、水面を埋め尽くす睡蓮の花は、以前の半分ほどしかない。水憐の笑みは恐らく、それでも綺麗だと言って笑ってくれることに対する安心なのだろう。


「…水憐」
「殺生丸、お前はわかっているだろう。この土地の変貌ぶりを」
「…」
「親父が、死んでからだ」
「水霊神が…?」
「あぁ。数ヶ月前にな。…その後、後継者が…つまりは、竜王が決まらないのだ」


聖域の風景をぐるりと見回しながら、水憐は小さくため息をついた。


「聖域は竜王がいてこそ成り立つものだ」
「水霊神の子であるお前が、次の竜王ではないのか」
「そう…なのだろうな。だが私は…あとを継ぐのは気が進まぬ…。それに、親父は遺言を残さなかった」
「…それで次の竜王を争っているのか」
「察しが良いな」


再びため息をついた水憐は、殺生丸と目があうと、困ったような笑みを浮かべた。


その会話を黙って聞いていたが、恐る恐る口を開く。


「で…あの、私はどうすればいいの?」


の問いに、殺生丸は呆れ顔と共に大きなため息をついた。水憐は呆れ顔とまではいかないものの、僅かに苦笑をもらす。


「つまり、候補者が三人いるから、お前の夢見で竜王を見てもらいたいのだ」
「でも私、夢見なんてできるか…」
「それについては、中で話そう」


の言葉を遮って、水憐は水の中に入っていった。それを見てたじろぐ達だが、殺生丸はさも当たり前のように飛び込めと言ってくるので、はりんと顔を見合わせた。


達が一向に追ってこないので、水憐が水から顔を出して、来ないのか?と尋ねた。


「あ、あの…私たち、人間だから…水の中で息は…」


が言いにくそうに言うと、水憐はまるで忘れ物を見つけたかのように、ああ!と呟いた。


「そうか、人間は水の中で息ができないんだったな。だが心配ない。底の屋敷にさえたどり着いてしまえば、空気があるからな」

そう言って、に手を差し伸べる水憐。その手を取れば水の底まで連れて行ってくれるということなのだろうが、どれくらいの深さかもわからないところに潜っていくというのはなかなかの恐怖だ。…しかし、このままここにいてもどうしようもないことも事実。


がそろそろと水憐に手を伸ばすと、水憐はの気持ちがわかったのか、優しい笑みを浮かべて自分からの手を握った。…そして握った瞬間、いたずらっ子のような笑みを浮かべて、水の中にを引きずり込んだ。


あまりの不意打ちに鼻から水を吸い込んでしまったは、半ば溺れかけながら水の中を超速で引きずられる。水面の方から殺生丸に抱えられたりんと、阿吽に引きずられた邪見がやってくるのが見えたものの、そんなことを気にしている余裕はなく、咳が出そうになるのをなんとか堪えていた。


そうやってたどり着いた水の底には、睡蓮が敷き詰められている。そして巨大な建物と、その前に大きな門が建っていた。水憐は門を通過して建物の中に遠慮なく入っていく。


最後の方は苦しくて目をつぶっていたためほとんど周りを見ていなかったは、水憐に声をかけられたことでようやく周りに空気があることに気がついた。


呼びかけに答えようとしたが、鼻に入った水のせいで咳が出て、うまく答えられなかった。


「はは、すまんすまん」
「すま、じゃな、…殺す、気?!」


息も絶え絶えになりながら水憐を睨みつけたが、彼は楽しむような笑みを浮かべている。そうしているうちに、後ろに別の気配を感じて、は息を整えながら振り返った。


ちょうど、殺生丸と阿吽がそれぞれりんと邪見を連れてやってきたところだった。ちなみにりんはよほど水の中がきれいだったのか喜んだ様子で、邪見はよりも死にそうな表情でぜーはーと荒い息をしている。


「みな無事にたどり着いたようだな。では行こう」


一行の顔をぐるりと見回してから、水憐が言う。ははしゃいだ様子で足元にかけてくるりんになんとか笑いかけながら、むせそうになるのを咳払いでごまかした。


そこは、りんがはしゃぐのもわかるほど、不思議な場所だった。水の底だというのに、上を見上げると太陽がある…ようにみえる。泳いで降りてきたときに見た水底の睡蓮は、庭の花のようなものらしい。地上でみた湖の外周よりも遥かに広い範囲に水底が広がっていて、その広い湖には見渡す限り、魚一匹住んでいる様子がなかった。


建物の中にはいると、これまた外側からは想像がつかないほど大きな玄関がたちを出迎えた。その荘厳な雰囲気に萎縮してしまうをよそに、入り組んだ建物内を迷わず進んでいく水憐。


がどこまで進むのか尋ねようとしたとき、ちょうど水憐が襖の前で足を止めた。


「ひとまず、この部屋で休んでいてくれ」


そう言って案内された部屋は、畳が敷き詰められた、広い部屋…おそらく客間だった。


あまり畳を見たことがないのだろうか、りんは楽しそうに畳の上を転がっていて、邪見は最初それを叱っていたものの、りんがやめる様子を見せないので、そっぽを向いてしまった。ちなみに阿吽はさすがに建物の中には入れないので、庭でのんびりと体を休めてもらっている。は静かに腰を下ろし、りんたちに目をくれることもなく静かに室内を見回した。


正直自身も、翁とは貧しい暮らしをしていたので、このような畳の部屋はとても珍しかった。以前奈落の城で畳の部屋に幽閉されたものの、あの時はそれどころではなかったし、何より立ち込める瘴気のせいで異様なほど畳臭く、とても客間といえるような場所ではなかった。なので、こうして美しい畳が敷き詰められた部屋に通されるのは、実ははじめてなのである。誰も来ないとわかっているならりんと一緒に転がりまわりたいほどだ。ただ、水憐がそのうち戻ってくると思うので、さすがにそれはできないと、大人しく座って待っていることにした。


ちなみに殺生丸はというと、特に変わった様子もなく部屋の隅に背を凭れて座り、静かに目を伏せている。…こういう場所には慣れているのだろうか、などと思ったが、それを今聞くのはよくない気がして、静かに観察するにとどめておいた。


ほどなくして、部屋に三人の男が入ってきた。その三人はそれぞれ派手な格好をして、に貢物を差し出した。ははじめ、三人が候補者であることに気が付いていないようだったが、話しているうちに気が付いたようで、結局こんなものをもらっても何もできませんからと、差し出されたものを何一つ受け取らなかった。


散々に媚びを売ってから、三人は部屋を出ていった。というより、水憐に半ば追い出される形だったが。三人を部屋から出したあと、少ししてから戻ってきた水憐は、疲れた様子で深いため息をついたあと、に向き直った。


「客人は疲れているから後にしろといったんだが…すまないな」
「それは別にいいんだけど…候補者に貴方は入ってないの?」
「ああ。辞退したんだ」
「え?」
「…竜王にはなりたくないんだ」


そう言って、水憐は僅かに苦笑した。どうして、と聞こうとしたが、はその前に切り出さなければいけない話を思い出し、はっと水憐を見上げた。


「あのね、私、夢見の力ってよくわからないの」
「?」
「自分ではそんな力持ってるってことも知らなかったし…」
「どういうことだ?」
「力はあるみたい…なんだけど、それをちゃんと自覚したのも、実は最近で…自分で制御できないって言うか、見たい夢を自由に見れるわけじゃないの。だから確実に見れますとか、いつ見れますとか、全くわからなくて…」


そこまで言って言葉を濁したに、水憐は別に良い、と言って笑った。無理なら無理で仕方ない、と水憐が付け加えるので、は少し安心して笑う。


「ねぇ、夢見ってどうすればいいか…あなたは知ってる?」
「ふむ、確か…気持ちの高ぶりがより鮮明な夢を見せると聞いたことがあるな」
「気持ちの高ぶり…?何それ…?」


と言って殺生丸を振り返るが、彼は部屋に入ったときから変わらず、黙り込んで目を伏せている。の言葉にも、答える様子はないようだ。そんな殺生丸の隣で邪見とりんはいつの間にか肩を寄せ合って寝息を立てていた。仕方なく、はもう一度水憐を見た。


「言い換えれば…興奮と言うことではないか?」
「こうふん…?」
「…」


怒ればいいの?などと考えているに対して、殺生丸は僅かに表情を険しくした。もちろんはそんな殺生丸に気づく様子はないが、水憐は二人の変化を敏感に感じとり、くすりと笑う。…そして、少しいじわるなことを言ってみたくなった。


、今宵、私と共に寝るか?」
「へ?」
「隣にお前専用の部屋を用意してある。そこで…」


ばん!


その音は、殺生丸がものすごい勢いで襖を開けた音だった。は驚いて振り返り、眠っていたりんと邪見が慌てて飛び起きる。水憐はまるでこうなることをわかっていたかのように口元を緩めている。だが殺生丸は、そんな水憐の表情を見る様子もなく、の腕を乱暴に引っ張りそこから連れだした。そして隣の部屋…専用の寝室に入り、足で乱暴に襖を閉める。

そこには確かに、一組の布団が敷かれていた。


「…殺生丸…?」


何が起きたのかいまいち把握できないは、明らかに怒っている様子の殺生丸に恐る恐る声をかける。殺生丸は特に反応しないまま、乱暴にその場に腰を下ろした。彼が腕を離さないので、勢いで転びかけそうになり、つんのめるように殺生丸の肩にぶつかってしまった。


ぶつけた鼻をさすりながら再び殺生丸を見やると、彼は表情を険しくしたまま、小さく口を動かした。


「あいつと寝るな」
「……へ?」
「……」
「寝ないけど?」
「……」
「え!?」


ははじめ呆然としていたものの、ようやく殺生丸の言葉の意味がわかり、自分の顔がみるみる赤くなっていくのがわかった。もしかしてこれは、嫉妬、というやつでは…?そう思ったら、ますます顔が熱くなる。


「妬い、て…?」


その言葉を最後まで言い切る前に、殺生丸がの頭を強く自分の胸板に押し付ける。先ほど打ち付けた鼻を押しつぶすような形になってかなり痛かったものの、そんなことも気にならないほどには動揺と恥ずかしさを覚えていた。そしてようやく、水憐が一緒に寝るかと言った意味を理解する。


は、殺生丸の着物をきゅっと掴みながら、静かに口を開いた。


「あの、…変なことは駄目だけど…隣にいて、ほしい…です」


そうから言ってくることを予想していなかった殺生丸は、僅かだが目を見開いた。だがすぐにふっと笑って、布団をめくり、の体をそこに横たえさせる。殺生丸の行動に驚いただったが、直後に殺生丸が同じ布団に入ってきたのをみて、顔だけでなく体全体が熱くなっていった。


何か言葉を紡ごうとする間もなく、すらりと長い右腕が、の頭をやんわりと包み、ゆっくりと撫ではじめる。殺生丸の体温がじわりと伝わって、は撫でられたところから安心が広がっていくような感覚を覚えた。


これって、興奮してないけど、いいのかな。


そんなことをぼんやりと考えながら、ゆっくりと瞳を閉じた。



2005.01.13 thrsday From aki mikami.
2007.03.02 friday 修正。
2019.12.14 saturday 加筆、修正。