朝日の中の背


咲き誇る美しい睡蓮の花と、朝の柔らかい光。清らかな空気が体に染みわたる。そして、目の前には広く、たくましい、水憐の背中。


目を覚ましたは、目の前に殺生丸の顔があることに驚いた。


「せ、せせせ、殺生丸!」
「うるさい」
「ご、めん…」


珍しく殺生丸も眠っていたらしく、機嫌が悪そう言ってに一瞥をくれると、緩く目を閉じる。言いながらの頭に回された手に力を込め、自分の方へ強く引き寄せた。


これはもしかして「寝ぼけて」いるんだろうか。そんなことを思いながらも、今の状態に気が気じゃない。殺生丸の方はそんなを気にかける様子もなく、静かに目を閉じている。殺生丸が眠るところなどあまり見かけないのでもの珍しく、もしかして疲れていたんだろうか、なんてことを思った。


そうしたら起こすのが申しわけなくなったは、彼の腕の中に落ち着いて、その横顔をじっと眺めた。


ちなみに、昨日は夜になる前に一度布団に入り…否、殺生丸に布団に押し込まれ、そのままうたた寝をしてしまったせいで、夜はなかなか眠ることが出来ずにいたは、そこを殺生丸に見つかり再び布団に押し込まれ…そして、現在に至る。


「(綺麗…だな…)」


整った顔を見ながら、彼の温かさに頬を染める。もしかしてこれはとても贅沢なことなのではないか…そんなことを考えながら、浮遊感に似た心地良い眠りに落ちようとした、そのとき。


だっだっだっだっ


廊下を走る音が聞こえて再び目を開ける。続けてと殺生丸を呼ぶ声りんの声と、その後ろからりんを呼び止める水憐の声が聞こえる。この状況、見られたらまずいのでは?と思いながらも、殺生丸に抑えられていて身動きがとれず、あたふたとする


やがて小気味よい音と共に襖が開け放たれて、りんのあー!と大きな声がの頭の上あたりから響いた。さすがの殺生丸も機嫌が悪そうに上体を起こす。


ちゃんずるい!りんも殺生丸様と一緒に寝たい~!」


言いながらりんはと殺生丸の間に割り込んできた。ちなみにりんを追いかけてきた水憐は、にやついた顔での方を見ている。ああ、嫌なものを見られたなぁなどと思ったら、の顔が引きつって歪んだ。


りんはまだ、殺生丸と一緒に寝たいと追いすがっている。はそんな二人を横目で見ながら、ふと寝癖が気になって少し離れたところにある鏡台の鏡をのぞいた。


少しはだけた自分の首元に、全く覚えのない赤い痕がくっきりと残っていた。


「ッ 殺生丸!!!」


静かな湖に、の怒りの叫びが響いた。






結局昨夜は何もなかったことを白状させた。ちなみに痕はなんとか着物で隠せる場所だったので良かったが、これで隠せない場所にあったならの嫌味がちくちくと見舞われていたことだろう。殺生丸は涼しい顔で、の言葉を右から左へと聞き流していた。


「…
「ん?」


控えめに呼ぶ水憐に振り返る。ちなみにそのときりんと邪見は、「殺生丸さまに怒れるなんて、はすごいのでは」と言うことについて話していた。


「あの…夢の結果は…」
「あぁ、実はね…」


その話になると、の言葉を聞き流していた殺生丸もすぐに聞き入りはじめた。…だが、話し始めようとした瞬間に控えめに障子が開き、その隙間から三人の竜王候補がのぞきこんだ。


「あ、あの、夢見の結果は…」


と、ひとりが尋ねると、まるで堰を切ったかのように全員がに詰め寄る。水憐が三人を静止して、それぞれは大人しくの前に並んで座った。視線で水憐に先を促されたため、…後で別に話をするつもりだったが、仕方なく、今まとめて話すことにした。


「実は…三人は、出て来なくて…」
「……え?」
「私が見たのは、ただ水憐が立っている場面だけ」
「!?」
「それはつまり…」
「………水憐が…竜王…?」


全員の視線が、水憐に集まる。水憐は蒼眼を見開いて、につめよった。


「……本当なのか?」
「うん…」


気まずい雰囲気がその場を支配した。


「…ごめんね、ややこしくしちゃって…」
「いや…」


と、水憐が答えたのが気に食わなかったのか、候補者の一人が突然立ち上がって、鋭い視線を向けた。


「私は認めんぞ!大した力もないくせに竜王の息子というだけで第一候補になった若造が!!そもそも候補者を辞退したと言っていただろう!竜王になりたくない、その理由も気に食わん!」


男は声を張り上げ、怒りを露わに水憐を罵声した。だが、水憐はそれに対して言い返すこともせず、黙ってそれを聞いている。…そのとき、障子を壊す勢いであけてその場に二人の男が入ってきた。たった今水憐を罵倒した男に向けて強烈な怒りをあらわにしている。


「…あっ!」


その二人の顔には、見覚えがあった。


「…あのときの」


が始めて水憐を見たあの日、彼の両隣にいた者。二人とも顔がそっくりで、違うと言えば髪の色くらいだ。ただ、顔はそっくりでも纏っている雰囲気は全く別のものだった。


「火竜【カリュウ】!風竜【フウリュウ】!やめないか!客人の前だぞ!」


水憐が呼ぶと、二人ははっと思い出し、水憐を振り返った。


「待機していろと言っただろう!」
「しかし水憐様!こいつらの侮辱、許せません!」


火竜と呼ばれた…どこかいかつい雰囲気の男が言うと、水憐は良い、と短く答えた。良いわけがありません!といきり立つ火竜に、隣の風竜…どこかもの静かな雰囲気の男が困った顔を見せると、を振り返り、その場に膝を付いた。


「何度もお尋ねして申し訳ありませんが…貴女の言ったことは確かなのですね?」
「え?は、はい!」
「ならやっぱり水憐様が竜王だ!!」


と火竜がいった言葉に、候補者が納得するはずはなかった。


「冗談じゃない!大方辞退したことを悔やんだが言い出せず、仕組んだのだろう!?」
「そうだ!この夢見師の娘も適等に連れてきたのであろう!」
「卑怯者が!」
「なっ…!」


三人の怒りの矛先は、何故かなりゆきを眺めているに向けられた。


「この偽者め!!」


男の一人が腰の鞘巻きを抜いてに向ける。雨月刀でなんとか応戦しようとするが、突然のことでとても似合いそうにない。…だが。


キィン。


鞘巻きが弾かれた。が思わず閉じてしまった目を開くと、そこには四つの刀がそれぞれを守っている。


一本は、殺生丸の闘鬼神。もう一本は水憐の刀、蒼憐牙【ソウレンガ】。そして後の二本は、火竜と風竜の刀だ。


どうすればいいのかわからずが茫然としていると、火竜と風竜が今弾き飛ばした鞘巻きを拾い上げて、男を睨みつけた。


「夢見師の一族は…俺達竜一族の恩人でもあるんだぞ!?」
「そうでなくても女性にいきなり斬りかかるとは…無礼極まりないですね」


どうやら戦力においても口喧嘩においても、候補者の男よりも二人の実力の方が勝っているらしい。情けなく床に座りこんだ男は瞳に恐怖の色を浮かべ、それに追い討ちをかけるように殺生丸が立ち上がり、闘鬼神を男に突きつける。低い声で殺すぞ、と呟き、更に水憐が蒼憐牙をしまいながら、確実に怒りを込めた声で、今は去れ、と呟いた。


そして、男達は三人まとめてその場から逃げていった。


「…我等の仲間が無礼を働いたこと…お許しください」


風竜が深々とに頭をさげる。火竜は頭を掻きながら去って行った男達の方を見遣った。


「おまけに見苦しいところ見せちまってよ…すまねぇ」
「こら火竜、わざわざ来てくださった夢見師の方だ。そんな無礼な物言いはやめなさい」
「やだよ。だって年下だろ?」
「大切なお客人ですよ!」
「あ、あの、言葉遣いは別に良いです…」


言い争いを始めた二人に言うと、火竜が満足そうにほらな、と言って笑った。風竜は呆れたように溜息をついて、再び申し訳ありません、とに頭を下げた。気にしないで下さい、と言ったに対してふわりと笑い、再び膝を付いた。


「私の名前は風竜と申します。水憐様にお仕えしています。こちらは火竜。私の不肖の弟です」
「双子の、な」


風竜の言葉に付け足したあと、火竜はその場に足を組んで座った。


「なぁ、絶対竜王は水憐様が相応しいと思わねぇか?」


嬉々とした様子でに尋ねたが、なぜか水憐がそれに、そんなことはない、と答えた。


「なんでだよ水憐様!」
「私は地位に縛られるなど耐えられぬ」
「水霊神様は自由な人でしたよ!」
「だが、ずっとここに縛られていただろう」
「っ、だがよぅ…」


水憐の言葉に、火竜は言葉を詰らせる。どうやら特に反論が見つからない様子だった。二人の会話の意味がよくわからないは、なんとなくその動向を見守るしかない。やがて雰囲気が重く淀み気まずくなると、風竜は茫然としているを振り返り、何度目かの謝罪を口にした。


「あの、それより…説明していただけませんか?」


がそう言ったことに、火竜と風竜は少なからず驚いた。…には水憐がすべての事情を話しているだろうと思っていたからだ。


水憐は戸惑ったように目を泳がせたあと、小さく息をついた。火竜と風竜の視線に責められるようにして口を開く。


「…我が父は、ずっとこの聖域から出られなかったのだ」
「どうして…?」
「聖域は竜王の清浄な妖気があってこそ成り立つものだ。竜王になるということは、この聖域を作るということ。ここから離れれば聖域は崩れる」


水憐の表情が暗く沈んでいく。


「私はこの場所にとらわれているのが嫌なのだ。一生をここで過ごすなど…」
「それは貴様のわがままだ」
「!」


水憐の言葉に割って入ったのは、意外にも殺生丸だった。言葉を聞いた火竜が殺生丸を睨みつける。


「てめっ…水憐様に無礼な口を…!」
「やめなさい火竜!」


今にも斬りかかろうとしていた火竜を制した風竜は、殺生丸に視線で続きを促す。


「あの三人と貴様とでは格が違う。奴らにこの場所を維持するほどの妖気はない。貴様は聖域を守りたいのなら、竜王になるしかない。貴様もそれをわかっているだろう」
「…」
「貴様は自分の都合で周りを振り回し、この場所の秩序を乱し、聖域までも汚している」
「てめぇ、いいかげんに…!」
「良いんだ、火竜」


水憐の強い制止の声で、火竜だけでなく、その場の空気までもがぴたりと止まったようだった。


「…殺生丸、お前の言うとおりだ。確かに私はここの秩序を乱している。わがままで他の者を困らせて、お前達までも巻き込んでいる。…殺生丸、お前のおかげで決心がついた」


穏やかな顔で微笑んだ水憐。火竜と風竜は顔を見合わせた。


「それじゃあ……」
「あぁ。…竜王になるよ」


ようやく聞くことが出来た水憐の決断に、火竜と風竜は顔を見合わせて喜んでいる。は殺生丸を振り返り、りんと顔を見合わせる。一方水憐の表情はあまり晴れやかではなかった。納得いっていないところもあるのだろう、しかし、水憐は一度口にした言葉を違える性格でないことは、この短い期間でも充分にたちに伝わっている。


きっと水憐なら大丈夫。がそう思った途端、とてつもなく大きな音がして、直後に地面が大きく揺れた。はりんと邪見を庇うようにその場に伏せる。異変を感じた水憐はその場に立ち上がり、何かに気づいたように小さく舌打ちをした。


「水憐様、もしかして…」
「ああ、おそらく…いくぞ、火竜、風竜!」
「水憐!一体なんなの?!」
はここにいてくれ!動くと危険だ!」


そう言って、の静止も聞かず火竜と風竜を連れて部屋から走って出ていってしまう。はそれをなんとか視界の端に捕らえていたが、揺れに耐えるのが精一杯で、彼を追うことはできなかった。


それどころか、揺れはますます大きくなっていく。殺生丸でさえまっすぐ立っているのが難しいほどだ。猛烈な揺れのせいで、部屋の隅に立ててあった行灯が達の方に倒れ込んでくる。避けようにもりんと邪見がいて身動きが取れないは、せめて二人にそれが当たらないようにと、強く二人の身体を引き寄せた。


強い衝撃を覚悟していただったが、いつまでたってもそれはやってこない。やがてゆっくりと揺れがおさまり、はゆっくりと顔をあげる。そして、殺生丸が自分たちを庇うように覆い被さっていることに、ようやく気がついた。


「っ…殺生丸っ」
「…人の心配をする前に自分のことを考えろ」
「ご、ごめん…」


謝りながらそろそろと起き上がる。本当は殺生丸が怪我をしていないか確認したいが、たった今自分の心配をしろと言われたばかりなので、目線だけで彼に異常がないことを確認する。そして、りんと邪見も特に怪我がなさそうなことを確認して、殺生丸に向き直る。


「行くぞ」
「…はい!」


りんと邪見に、阿吽と合流するように伝えて部屋を後にする。先に歩き始めた殺生丸の背中を小走りで追いかけながら、は少しだけ笑みをこぼした。


怒られてしまったけれど、なんだかんだでやっぱり助けてくれることが、は嬉しかった。

「(…ありがとう、殺生丸)」


心の中だけでそう言うと、強く一歩を踏み出した。



2005.01.14 friday From aki mikami.
2007.03.03 saturday 修正。
2019.12.16 monday 加筆、修正。