竜王


と殺生丸がその場に駆けつけたとき、そこには先ほどに切りかかろうとした男と、一頭の巨大な竜が戦っていた。蒼い体に、清浄な妖気…すぐにその竜が水憐だとわかった。


「ぐっ…」


水憐が振り上げた鋭い爪がかすり、男は低い呻き声をあげた。


「どういうことですかっ!?」


は壁に寄りかかり顔を歪めている風竜に尋ねた。どうやら怪我をしているらしい、左腕を右手で抑え込むようにしている。火竜は風竜の足元で、苦しそうに片膝をついている。彼も足に怪我を負っているようだった。


「宝玉を…竜王の証を、あの男が勝手に持ち出したのです」
「竜王の証…?」


が男の手元に目を凝らすと、確かになにかが握られている。しかしそれは宝玉と言うにはあまりに邪悪な気を放っていて、は再度風竜に尋ねた。


「あれが、宝玉?」
「あれは手にしたものの妖気を吸うのです。そうしてはじめて聖域が完成する。…ですが、あの者では妖力が足りなかったのでしょう。今あの宝玉は、いわば暴走状態にあります」
「暴走!?」
「妖力が得られない宝玉は、より強い妖気を求めて暴走し、この聖域までをも壊してしまう…そのように、私達竜族の伝承には伝わっています」


そのとき、水憐の体が男に吹き飛ばされた。巨大な竜が建物に突っ込むと、建物の中から竜族と思われる人型の妖怪が数人駆けつけてくる。


と殺生丸は、それぞれの刀を手に、男へと向き直る。


「今、あの男は宝玉の力に翻弄され、自分でも止められなくなっています」
「それで水憐は、宝玉の暴走を止めようとしているのね?」
「はい」


風竜が頷いたのをきくと、は雨月刀を握って蒼い竜の眼前まで駆け寄った。


「水憐!」
!来るなといっただろう!」


水憐が傷ついた体を起こしながらを見やる。は水憐の目をまっすぐに見つめて、首を横に振った。


「こんなの、放っておけないよ!」
…」
「第一、ここまで巻き込んでおいて他人事だなんて言わせないんだからね!最後まで首突っ込んじゃうから!」


がそういうと、水憐は自嘲気味に笑みを浮かべた。といっても、竜の姿をしているのでには笑っているかどうかはわからなかったが。


「…できれば、この姿は見られたくなかったんだ」
「え?どうして?」
「どうしてって…恐ろしい、だろう」
「え、どこが?」


そう言ってがきょとんとしていると、水憐は竜の姿でもわかるほど目を見開く。頭の中にふっと言葉が浮かぶ。


人間とは、かくも温かく。


水憐は、傷ついた体を気力で奮い起こす。体中、あちらこちら痛みで倒れてしまいそうになりながらも、今はただ、隣にいるをなんとか守りたい、そう思った。


水憐が、まっすぐに男を見据える。も隣で雨月刀を構え、二人同時に男に斬りかかった。


決して殺しはしない。
ただ、宝玉を奪うだけ。


二人の様子を殺生丸は離れたところから見つめていたが、やがて静かに闘鬼神を収めた。今の二人なら、自分が手を出す必要もないと思ったからだ。


「…憐れだな」


水憐が、男に向かってそう漏らす。その言葉に男は逆上し、腰の刀を引き抜いて水憐に斬りかかった。邪悪な妖気が、男の体を包むように湧き上がっている。


「お前が王など…認めるものか!」
「心配するな。私が責任を取って、王になる」
「戯言を…!!」
「お前たちにも無駄な気苦労をかけた。すべては俺の決断力のなさだ。すまなかった」


男の刀と水憐の牙が対峙する。そこにが男の右手目がけて斬りかかるが、寸でのところで身を翻してよけられてしまう。が落ちたところに水憐が手を差し伸べると、その手を踏切にして再び男に斬りかかる。と水憐、二人分の攻撃を受けた男の体は、後方へと吹っ飛ばされた。睡蓮が咲き誇る庭へと体が叩きつけられ、口から真っ赤な血を吐き出す。


「これ以上は、お前の体に負担をかけるだけだ。もう、終わりにしよう」
「うるさい!私が竜王に…竜族の支配者になるんだ!」
「竜王は、竜族の支配者ではない」


そう言いながら、水憐の体が淡い光に包まれる。その姿が少しずつ、人型へと変化していく。はその様子に、思わず目を奪われていた。


「竜王とは、この土地の…この土地に住まうすべての者たちの王であり、慈しみをもって、すべてを守るもの。水も、植物も、動物、妖怪も、人間でさえもだ」
「くっ…」
「お前のようなものに、そもそも竜王が務まるはずがない!」


水憐が、右手を男に向かって掲げる。から見えるその瞳には、静かに燃える、蒼い炎が見える気がした。


「宝玉よ、真に選ばれし者の元へ…来い」


宝玉がまばゆい光を放ち、その場全体を包み込む。誰もが眩しさで目を閉じ、ようやく光がおさまったころ、がゆっくり目を開けるとそこには、…宝玉を手にした水憐の姿。


彼の手にしている宝玉は、先ほどまでの邪悪な気を放つものではなかった。むしろとても優しく、清らかな光を放っている。


「水憐!」


呼びかけながら、彼の方に駆け寄った。


「流石に…妖力を吸われるのはきついな」
「水憐…でも、やったじゃない!」
「ああ」


頷いて、水憐はふわりと笑った。…だがその瞬間、水憐の体がぐらりと傾く。は慌てて彼を支えようとしたが、体の大きさが違いすぎて圧し掛かられているような形になってしまった。


「水憐…!」


声を掛けるが返事はない。は彼の体をなんとか支えて、やっとのことで顔を覗きこむ。殺生丸と火竜、風竜が、のそばに駆け寄ってくる。


様、水憐様は…!」


青ざめた顔で詰め寄ってくる風竜に、は答えた。


「寝てる…みたい…」


その言葉に、なぜか機嫌を悪くした殺生丸は、水憐の襟首を掴んで持ち上げ、火竜と風竜の方にいささか乱暴に放った。火竜が猛烈な勢いで殺生丸に殴りかかろうとしているが、風竜がそれを制している。


「殺生丸、そんな乱暴な…」
「…うるさい」
「えぇ…」
「まあまあ、様。水憐様もこれくらいでは怒らないと思いますので…ひとまず、水憐様を休ませたいのですが…手伝っていただけますか?」


風竜の丁寧な申し出に、当然断る理由もなく、は大きく頷いた。水憐を抱えて歩き出した火竜について、風竜と共に歩き出す。…一方殺生丸も、やはり機嫌が悪いままではあったが、三人の後をゆっくりとついていくのだった。






「よく寝ていらっしゃいます」


水憐の部屋から戻ってきた風竜の言葉に、は安著の息をもらした。りんがそれをみて、よかったね、と笑う。


「本当にありがとうございました、様」
「い、いいえ、私は何も…」
「そんなことはありません。あなたがいなければ、今頃この聖域はなかったかもしれない」


穏やかに笑みを浮かべる風竜と火竜。水憐が竜王となったことが、本当に嬉しいようだった。


「今夜はぜひここに泊まっていってください」
「え?」
「皆様お疲れでしょうし…それに、水憐様も一言ご挨拶をしたいと思いますので」
「あ、えぇっと…」


は風竜の言葉に俯いて、言葉につまった。本当は「はい」と素直に答えたいのだが、今はあくまで旅を中断している状態だ。殺生丸の許可なしに答えるには気が引けたのだ。はチラリと殺生丸の顔色を伺った。


「ね、ねぇ殺生丸…?」
「……好きにしろ」
「本当!?」


やった、と喜んでりんに笑いかける。今日は二人で寝ようね、と、楽しそうに言う。気のせいか「二人で」が強調されている気がするが…殺生丸は知らんふりを決め込んだ。


「では、皆様のお布団、ご用意いたします」
「あ、お願いします」


がそう言ったのを聞くと、風竜と火竜は静かに部屋を出ていった。


二人が出ていった途端、なぜか重苦しい雰囲気に捕らわれる。それは先ほどから殺生丸の機嫌が悪いためだろう。だが、にはいくら考えても殺生丸が怒る心当たりがなかった。邪見は触らぬ神にといわんばかりに部屋の隅で丸くなっている。いつも通りなのはりんくらいで、はずっと殺生丸の怒る理由をあれこれ考えて、あーでもないうーでもない声を出した。


りんが、ねえねえ、との着物の裾を引っ張った。


「何、りんちゃん?」
「りん、殺生丸様と寝たいなぁ」
「え」


ぴし、と固まる音がした。


は、今朝りんがしつこく殺生丸に追いすがっていたのを思い出していた。


「わ、私とじゃ、だめ?」
「うーん、だめじゃないけど…」
「なら、やっぱり二人で寝ない?」
「えー、殺生丸様と三人で寝よー!」
「ささささ、三人だと!!!」


二人の会話を聞いて、部屋の隅で丸くなっていた邪見が大きな声を上げた。とりんは驚いて邪見を振り返る。


「お前たちが殺生丸様と寝るなど絶対に許せん!!!わしだって一緒に寝たことないのに!!!」
「え、そこ?」
「えー、邪見様も一緒に寝たいのー?」
「お前たちが先なのが許せんのだ!わしの方がずっと前から殺生丸様の従者なのに!従者なのに…!」
「えー?でも昨日ちゃッ…むぐッ」
「りりりりりりんちゃん!!やっぱり今日は私と二人で寝ようね!!」


りんはまだ何か言おうとしているが、はりんの口をふさいでそれ以上何もしゃべらないようにさせた。もし邪見に今朝のことが知られてしまったら、今朝のりん以上の勢いで詰め寄られると思ったからだ。それじゃなくても殺生丸の機嫌が悪い状態でこれ以上刺激したくないのに…などと思いながら、ちらと視界の端に殺生丸を捉える。


意外なことに、殺生丸はうっすらと笑みを浮かべていた。


こっそり盗み見るだけのつもりがあまりに予想外の顔をしているので、ついじっと見据えてしまい、目があった殺生丸に思い切りにらまれる。そして、彼はひとり立ち上がり、部屋を出て行ってしまった。


りんと邪見がああだこうだ言っているのを聞きながら、はその背を見送った。






水の底を漂うような、はっきりしない景色。それでもはっきりと分かる、あれは、いつかみた父の横顔だと。


人間とは、かくも温かく、美しいものであったか。


偉大だった父が、初めて見せた涙。悲哀と慈しみの、温かい涙。


その頃の水憐はまだ幼く、何があったのか、なぜ泣いていたのかまでは覚えていない。ただ、その涙が人間の女--夢見師のために流した涙であったことは、強烈な記憶として刻まれていた。


水底からゆっくりと水面に浮かぶように、静かに目を覚ました。


「! 水憐様!!」
「火竜…風竜…」
「水憐様っ、よかった…!」


そこには、よく見知った従者のそっくりな顔がある。二人とも、心配と安堵が入り混じった、複雑な顔をしていた。


「私は、どうしていた…?」
「眠ってたんだよ」


火竜がそう答えると、水憐はそうか、と答えて苦笑した。


達は、どうしている?」
「あいつらなら、もう休んでるよ」
「そんなに寝ていたのか?」
「はい、そろそろ丑の刻ですので…」
「そうか…達には随分迷惑を掛けたな…」


自嘲気味に笑って、障子の隙間から外を見る。そこには湖面に反射した満月の光が、梯子のように降り注いでいた。


「おそらく、すぐに出ていくのだろうな」
「だと思うぜ。あいつらにも旅の目的があるだろうしな」
「ならば朝一番にでも、挨拶に行かねばな」


まだ少し重い上体を持ち上げた水憐を、火竜と風竜は横から支えながら「はい」と答えた。


「……火竜、風竜、少し席を外してくれないか」
「え?」


水憐がいったと同時に、部屋の外に気配がした。…月明かりに照らされて、障子に影が映る。


「…客人だ」


髪の長い影。それをみて、火竜も風竜も、すぐに客人が誰か悟ったようだった。失礼します、とひとこと言って、その場を後にした。


「…迷惑を掛けたな、殺生丸」
「それはに言うんだな」


障子越しに聞こえる殺生丸の声に、水憐は少し笑って「そうだな」と答える。


「お前は本当に変わったな」
「…」
「…正直、お前がうらやましいよ」


何が、とは、口に出すことはできなかった。


幼いころから、父の背中を見て育ってきた。その父は、人間すらも深く愛し、守ろうとする男だった。だから、水憐の中に人間を慈しむ心が生まれたのは、必然だった。


「旅を、してみたかったんだ。父が本当はそうしたくて、出来なかったことだったから」


旅をして、世界を、妖怪を、人間を見て、いろんなものを感じてみたかった。だが、竜王はこの場所から離れることはできない。


を助けたのは、本当に偶然だったんだ。自分の宿命から目をそらして、現実逃避をしていたときに、たまたま燃えている村を見つけた。そしてたまたま、を見つけたんだ」


水憐は、話しながらちらと障子越しに殺生丸をみた。…どうやら、口を挟む様子はないようだ。


「俺に分かるのは、村人たちもを憎むように仕向けられていたことくらいか。生きているものはみな口々に、が悪い、あいつを殺せ、と言っていたからな」
「奈落の考えそうなことだ」
「一体何者なんだ?奈落というのは…」
「未練を捨てきれず、四魂の玉に縋りついているだけの愚かな半妖だ」
「…四魂の玉、か」


水憐も、その名前には聞き覚えがあった。どんな願いも叶えると言われる宝玉。そんなものはただの絵空事だろうと思っていた水憐は、深く息を吐いて、目を閉じた。


「根は、深そうだな。そして、は渦中にいるのか」
「…」
を、大切にな」
「下らん」
「そうかも知れぬな」


うっすらと笑う水憐。その眼に少しの祈りをのせて、殺生丸の影を見やる。…を、守ってほしいと。口に出さずに、思う。


障子の隙間から、殺生丸に向けて何かを放り投げる。見事に受け取った殺生丸は、まじまじとそれを眺めた。


に渡してくれ」
「…に?」
「あぁ。お守りだとでも言ってくれ。一度だけ、結界をはれる」


蒼く透きとおった水晶のような石。…水憐の清浄な力が込められている。


「捨てるなよ、渡す前に」
「ふん」


殺生丸は鼻を鳴らし、それを懐にしまう。水憐はそれに安心したのか、微笑み、体を横たえようとした。


だがその瞬間、邪悪な妖気を感じて飛び起きる。殺生丸は目を細め、妖気の方を見つめた。


「…奈落」


二人は一度お互いを確認するように振り返ると、妖気の方へと駆けだした。



2005.01.15 saturday From aki mikami.
2007.03.05 monday 修正。
2019.12.17 tuesday 加筆、修正。