攻防戦


「殺生丸ー?どこ行ったのー?」


は精一杯声を張り上げるが、森の中に溶けて消えてしまう。…どうやら、彼は絶対に見つかる気はないようだった。


開けた道を完全に逸れ、森の中に逃げ込んでしまった殺生丸。こうなると、には追いかける術がない。匂いが追えるわけでも、目がとてもいいわけでも、彼の妖気を感じ取ることが出来るわけでもない。正確に言えば妖気くらいは感じられるだろうが、にはそのやり方がいまいちわからない。


そんなわけで、は殺生丸を完全に見失い、仕方ないので今はあちらこちらをしらみつぶしに探している最中である。


「殺生丸!もういい加減出て来てよ!」


が叫ぶが、反応は一切ない。
ただ鳥の鳴く声と風が木々を揺らす音だけがの耳へと届いた。


こう静かだと少し心細くなって、は顔を俯けた。鬱蒼と茂る森の中を夢中で追いかけてきたので、足元は小さな傷でいっぱいだ。当然奈落との戦いで負った傷もまだ癒えていないし、なによりあちこち歩き回ったせいですっかり足が疲れてしまった。


一方、殺生丸はというと、実際はのすぐ傍に居た。だが、殺生丸は本気で気配を殺しているため、当然はそれに気づくことができない。


顔を俯けて突っ立っているを見ながら、心の中だけでため息をついた。


彼自身、なぜここまでしたのかわからなかった。


ただ水憐がに贈り物をして、それをが喜んだだけ。なのに、なぜだか苛ついて、 一度渡した物を奪いとり、更にはそれを持って逃げてしまったのだ。


殺生丸は己の行動に少々嫌気がさしていた。これではまるで、人間のような行動だと思ったからだ。だが、だからと言って今更のこのこ出て行くのも彼の自尊心に反する。


さてどうしたものかと、殺生丸は木々の隙間からを見た。
すると。


「あ」
「…」


なんと言う偶然だろう。
たまたま振り向いたと、ばっちり目が合ってしまったのだ。


「あーーーーー!」


が声を張り上げ、殺生丸は即座に逃げる。後ろからが追いかけてきているが、捕まる気は毛頭なく、もちろんの足でそう簡単に追いつけるわけもない。


「殺生丸、待ちなさい!いい加減返してよ!」


叫ぶの声が少し遠くから聞こえた。殺生丸はそんな彼女に「自分こそ早く諦めろ」と思うが、どうせ口に出しても聞こえないだろうとも思った。


サッと跳び上がりながら、ちらと後ろのの様子を伺った。いくら殺生丸と旅をしていても、普通の人間だけあって息は切れ切れ、足元は少しずつおぼつかなくなり、走る速さは明らかに遅くなっている。とどめに前のめりにつんのめって転ばれては…


殺生丸は仕方ないとため息をつき、その場で動きを止めた。駆け寄るのはさすがに面白くないので、そこは妥協点だと決めてから目をそらす。


やがてなんとか起き上がったのか、荒い息のがやって来て、殺生丸の数歩前で止まった。


「せっ…殺生丸…やっと…止まった…!」


ぜぇぜぇと肩を上下に揺らして言う
殺生丸は一瞬だけそんなを見、すぐにばっと顔をそらした。


赤みがかった頬、熱い息に僅かに開いた唇。
潤んだ目が上目気味で殺生丸を見つめている。


「な、何っ、私何か…変?」
「いや…」
「ねぇ、返して」
「…」


なぜかの顔を見ていられなくて、睨みつけてくる目にもなんとなくむっとして、殺生丸はに届かないように高く手を上げた。するとも負けじと、殺生丸の腕を掴んで思いきり手を伸ばす。だが、さすがに身長差を覆すのは難しい。今度は殺生丸の腕を掴んだ方の手を軸にして、ぴょんと飛び跳ねた。軽く拳を掠ったが、ちゃんと手が届くことはなかった。


はからかわれている気がしてむっと頬を膨らませると、まだ少し乱れている息を整えるのも忘れて、殺生丸の腕に両手でぎゅっとぶら下がって下ろそうとする。


思ったより簡単に腕が下りてきたので、は驚いて思わず目を見開いた。だが、殺生丸はどうやら以上に驚いているようだった。


「…殺生丸?さっきからなんか変だよ?」
「…」


がおずおずと声をかけるが、彼は全く反応を示さない。仕方ないので、ひとまず目的のものを回収しようと、彼の右手に握っているものをとろうとする。


その時不意に殺生丸が身を引いて避けるので、の体は支えを失ってよろめいた。


「わっ」


ぐらりと倒れそうになって、咄嗟に殺生丸の腕を掴む。殺生丸は掴まれた腕でなんとかを支え、自分の胸の中に身体を引き寄せる。


意図せず抱きしめ合うような形になってしまった二人。は先程の殺生丸の様子だとすぐに突き放されるだろうと思ったが、待てど暮せどその瞬間はやってこない。それどころか、抱きしめる力がより強くなっているようにも思える。


が彼の顔を見ようと少し体を離すと、今度は腕を引っ張るようにしてくるりと背中を向けられる。そして、そのままの肩を強く引いて抱き寄せた。


後ろ向きに抱きしめられたは、突然のことにわけがわからず、困惑してしまう。それに加えて、殺生丸の顔が自分の肩に乗るようにしてそこにあって、彼の体温さえも伝わってきてしまって、胸が高鳴る。


だが、殺生丸の方はの肩に顔をうずめたまま、動きもしゃべりもしなかった。


「…殺生丸?」


が問いかけるが、やはり反応はない。困り果てたは、仕方なしに彼が離してくれるまで待つことにした。彼の右手に自分の両の手のひらを重ね、静かに目を閉じる。


殺生丸の息遣い、匂い、腕の温かさ、手の大きさ。そんなことを感じていると、先程までの怒ったような気持ちがすっと消えていく。殺生丸の行動の是非はともかく、自分も大人気無かったな、と思った。


「……


不意に殺生丸に呼ばれ、はなぁに、と返事をした。


「…水憐が、好きなのか」
「……えっ?」


殺生丸で頭が一杯になっていたせいか、水憐の顔が咄嗟に浮かばず、素っ頓狂な声をあげてしまう。聞いた殺生丸は特に反応もなく、を抱き締める腕にほんの少しだけ力を込めた。


「まあ、友達だし、好きだよね?」
「……友?」
「そう、友。ん?なんか変だった?」


は呆けた顔で殺生丸を振り返ろうとするが、殺生丸はの肩にあごをのせたまま、目を細めてくっくっと笑い出した。


「…殺生丸?」
「…友、か。友…ふっ」
「なに、どうしたの?」
「いや」


そう言いながらも僅かに笑みを零す殺生丸に、は困惑の表情を浮かべる。なぜ笑っているのかにはわからないが、一つ確実に言えることは、彼がもう怒ってはいない、ということだろう。


殺生丸はの肩でひとしきり笑うと、静かに抱きしめていた手を離した。 はようやく開放されたと思ったが、離れたと思った殺生丸に着物の襟を引っ張られる。それから背中と着物の間に、ぽん、と何かを落とされた。


「っ ぅひゃぁ!!な、何っ!」
「返して欲しかったのだろう?」


そう告げて、すっとから離れる殺生丸。は必死で背を探って手を伸ばし、宝石を見つけ出すと、満足そうな殺生丸をきっと睨み付ける。


殺生丸はそんなからついと目をそらし、「いくぞ」と言って歩き出した。


「ちょっとまってよ!」


が慌てて追いかけようと走り出す。だが。


「―痛ッ!」


足首に激痛が走り、力なくその場にしゃがみこんだ。殺生丸は足を止め振り返ると、すぐに状況を察して軽くため息をついた。


「…痛むのか」
「えへ、やっちゃった」


そう言ってぺろりと舌を出す
着物の裾から見えた右足首は僅かに赤くなっている。これからもっと腫れて来るかもしれない。


「ごめん、殺生丸。一人で平気だから、先にみんなのところ行って」


がそう言ってひらひらと手を振る。殺生丸はそんなにもう一度、今度は深く長くため息をつき、の方まで静かに近づく。


「お前は場所がわかるのか」
「うっ…それは…殺生丸についていけば…」
「ついてこれるなら先に行く必要性がどこにある?」
「うぅ…!!」
「もう少しましな嘘をつくんだな」


殺生丸の言葉にごもごもと口ごもる。殺生丸はそんなを無視して、彼女の腕を引いて立ち上がらせた。


「じっとしていろ」


そう言って、の体を肩に掛けるように抱き上げる。は突然のことに驚き、体の浮遊感に少し恐怖を覚えたものの、動くなと言われてしまったので、きゅっと目を閉じて動きをピタリと止めた。


殺生丸はそれを確認すると、ざっと飛び上がってりんと邪見と阿吽の元へ向かった。






「はい、ちゃん終ったよ。まだ痛む?」
「少し良くなった気がする。ありがとう、りんちゃん」


はりんに告げると、捲っていた着物の裾を元に戻した。それから自分達の隣を静かに流れる川を見つめる。


は、先程殺生丸と帰って来てから、ずっと何かを考えこんでいた。時々顔が赤くなったり青くなったりして、りんはそんなを不審に思い、じっと顔を覗きこむ。


ちゃん…もしかして、殺生丸様と何かあったの?」
「え…!?」


顔を真っ赤にしてりんを振り向く


「あー!やっぱりなんかあったんでしょ!教えて教えて!!」
「え、えええ?お、教えてって…」


は、ここ最近の殺生丸とのやりとりを…そして、先程の彼の言動を思い返した。


彼は、に水憐が好きなのかと聞いた。そんなことをわざわざ確認するのはなぜか…もしかして、嫉妬なのではないか。そんなことを考えて、顔が沸騰しそうに熱くなる。


水憐と一緒に寝るなと言われたときもそう思ったし、彼はそれを一度も否定しなかった。…だが、そもそも妖怪である殺生丸が人間に妬くはずがない。そう考えると、今度は体の熱がすっと冷えていく。


そして、そんな事情をすべてりんに話すのはさすがに気が引けた。…結果。


「い、言えないよ、さすがに…」
「えー!ずるーい!」
「ず、ずるいって…りんちゃん!」


ぷいっと背中を向けてしまったりん。は慌ててご機嫌をとろうとしたが、りんはすぐに振り返り…その顔には、何故か満面の笑みが浮かんでいた。


ちゃんは、本当に殺生丸様が好きなんだね!」
「えぇっ…!そ、そう!?」
「うん!だって殺生丸様のこと、そんなにたくさん思ってるんだもん!」


りんの言葉に、はまた顔が真っ赤になって俯いた。りんは相変わらずにこにこと笑っている。


「す…好きなのかな…?」
「絶対そうだよ。殺生丸様と話してるちゃん、すごく楽しそうだし」
「そ、そうなの?」
「うん!」


本人に自覚はなかったものの、りんがあまりに思い切りよく頷くので、は否定する言葉も浮かんでこなかった。膝の上で手をきゅっと握り、小さく口を開く。


「わからないの。その、好きって気持ち。今までお友達すらまともにいなくて…ましてや男の人を…その、好きに、なるなんて…これが、その気持ちなのかどうか…」
「りんにもよくわからないけど…きっとその人と一緒にいると楽しいんだよ」
「わ、私、りんちゃんと一緒にいても楽しいよ?」
「う~~~~~ん…」


の言葉にりんが首を傾げる。それからしばらく、はその話題で悩まされることになった。



2005.01.17 monday From aki mikami.
2019.12.26 thursday 加筆、修正。