霧骨


「…毒気?」
「ああ」


殺生丸の不穏な言葉に、は内心びくつきながら彼の目線の方へと顔を向けた。


それまでの進行方向とは逆に首を向けたまま、立ち止まっている殺生丸。がなにか声をかけようかと迷っていると、殺生丸は僅かに目を細め、静かに目線の方へと歩き出した。どうやら、毒気の方へと向かうようだ。


「殺生丸、あの」
「お前達はここにいろ」
「…わかった」


振り向かずに言う殺生丸に、は少し寂しく思いながらも素直に返事をする。毒気のあるところに人間であるやりんが行っても、ただの邪魔にしかならないからだ。


殺生丸はの返事を確認したからか、先程より足をはやめ、あっという間にその後姿が森の奥へと消えていった。


は消えていった背中に背を向けると、すぐ近くに横たわっている倒木に腰を下ろした。


「(…毒気かぁ…何か嫌な感じだな)」


口に出さずに思う。殺生丸は毒華爪という技を使えるくらいなので毒に対する耐性も強いだろうが、先日の奈落との戦いから長く時が立っているわけではない。ようやく傷が癒えて来たところだというのに、また戦いになるのだろうか。などと考えていると、不安になってきてしまう。


「(こ、ここまで毒が来たりしないよね?)」


さあっと、体から血の気が引いていくのがわかる。外敵からであれば多少の武の心得はあるが、毒に対してはどうしようもない。


ちゃん…どうしたの?」


異変を察したらしいりんが、可愛らしく首を傾げてを覗き込んでいる。…守らなければ、この子を。の中にそんな使命感が湧いてきて、すくっと立ち上がった。


「結界…!張ってみようかなって!」
「結界?」
「う、うん!ほら、いざというときの練習も兼ねて…ね」


ぐっと雨月刀を握りしめる。りんは横で、結界なんてはれるの?と驚いていたが、はそれには目もくれずに、雨月刀の刃を天に向け意識を集中させた。


以前結界がはれたときのことを思い出す。自分を守るのに精一杯だったは、その結界が自分自身のはったものだとすら気づいていなかった。だが、みんなの元に帰りたいと望む気持ちが大きかったことははっきりと覚えている。


みんなを守りたい。その言葉を強く念じながら、握りしめた手に力を込める。すると、ぼぅっと光の膜のような結界が現れ、達全員を漏れなく包み込んだ。


「で…できた…」
「すごい!ちゃんすごいよ!」


りんが大喜びでの足に絡みついてくる。邪見は出来上がった結界をまじまじと眺め、驚いた顔をしている。それは、結界をはったことそのものについてもそうだし、はられた結界が存外強度のあるものだったからでもあるが、それを敢えて口に出すことはしなかった。


そうして、りん、邪見が三人とも同じ倒木に腰を下ろし、その近くに阿吽が控え、いつもより少し心強いお留守番が始まった。






物凄い毒気に包まれた村。その中でもひときわ強い毒を放つ一軒の民家。


殺生丸は、いつか嗅いだことのある人間の匂いと、それに混じって漂ってくる臭いに僅かに目を細めた。


「(骨と、墓土の臭い…)」


すなわち、それは死人の臭い。


殺生丸は無遠慮に、毒の渦巻く民家へと入っていく。中では白い服に身を包んだ小柄な人間…死人が、犬夜叉の連れ、かごめの首を締めていた。


二人とも、殺生丸に気づく様子はない。


殺生丸は、かごめの首をしめる死人の肩あたりを爪で引き裂いた。ドサッと音がしてその体が倒れると、今まで隠れていたかごめと目が合った。何か言いたげだが、首を絞められたせいか声がでないらしい。よく見ると、かごめの周りには犬夜叉の他の仲間たちも倒れていて、みな霧骨の毒にやられているようだった。


そうしている間に、殺生丸に引き裂かれた死人の男が、引き裂かれたせいでとれてしまった腕を気にしながら振り向いた。


「誰だ…?てめぇ…」
「……お前こそ何だ?」


冷ややかな目で男を見下す殺生丸。さして興味もなさそうな表情でそう尋ね返す。


「ってこの野郎…知りもしねぇでこの俺を…」


怒りに震える死人の男。ズ、と体を引きずって体制を変えると、筒を取り出してそれを殺生丸に向けた。


「ふざけやがって…くらえ!!」


ぼんっと破裂音がして、これまでより数倍も濃い毒が殺生丸に振りかかる。だが、周りの壁や床などが溶けていく中で、殺生丸は一人平然と、まったく表情も変えずに立っている。


「な"っ、…俺の毒を浴びても溶けねぇ!?」


男の驚きをよそに、殺生丸はゆらりと闘鬼神を抜き、それを男の体に振り下ろす。


「この殺生丸に人間ごときの毒が効くか」


殺生丸の目の前で、砂と骨になって消えていく霧骨。砂の中に淡く桃色に光る四魂の玉が見えたが、殺生丸はそれに興味を示さず、床に転がっているかごめを見遣った。


「かごめーっ」


聞きなれた声が耳に届いて、殺生丸はそちらに一瞥をくれる。


「犬…夜叉…」


かごめがなんとか体を起こしながら、助けにやってきただろう犬夜叉に呼びかける。弱りきったかごめや仲間たちの様子に犬夜叉は目を見開き、すぐにこの場にいるはずのない人物を睨み上げ、かごめ達を庇うように自身の背中に隠した。


「殺生丸、てめぇ…どうしてここにいる!かごめ達に何しやがった!」
「違うの…犬夜叉…、殺生丸は…私達を助けて…」
「助けた訳ではない。そやつは話の邪魔なので片付けた。 それだけだ」


殺生丸の言葉に、犬夜叉が訝しげな表情を浮かべる。殺生丸の方からわざわざやってくるだけでも珍しいことだ。


「犬夜叉。貴様等がこの地にいるのは、奈落を追ってのことか?」
「何…?」


殺生丸の目的はひとつ。奈落を見つけ出し、これまでの借りを返すこと。死人の体を動かしていたのは四魂の欠片だった。その裏に奈落がいないわけがない。


「答えろ、犬夜叉。奈落はどこだ」
「俺達も見つけ出したわけじゃねぇ」


語調を強めた殺生丸に、同じく強めに返す犬夜叉。殺生丸は僅かに眉を潜めた。


「奈落の邪気が、丑寅の方角に向かったと聞いた。追ってきたら奈落の息のかかった連中が襲ってくる。だから間違いなく奈落は近い」


犬夜叉がそこまで言うと、殺生丸は表情を変えぬままで振り返り、歩き出す。彼にとって必要な情報はすべて聞けたと言うことだ。途中犬夜叉の呼び止める声がしたが、それだけ聞けば十分だ、と言い残し、殺生丸はその場を後にした。






「邪見様、殺生丸様遅いねぇ。りんも一緒に行けばよかったー」




りんが退屈そうに足をぶらぶらと揺らしながら呟く。邪見は「バカもの」と怒り調子でりんを見遣った。


「殺生丸様は毒の気配のある所に行かれたのだ。お前なんぞがついて行ったらひとたまりも無いぞ」


邪見の指摘は最もだった。実際も邪見と同じことを考えた。だからこそこうして結界なんかをはって彼を待っているのだ。


だが、りんは邪見の話にさして興味も無さそうだ。にしてみれば、なんだかんだで邪見がりんの体を心配しているんだと思えて楽しい限りなのだが、当のりんはそれに気づく様子もない。


「は~~~~~っ、つまんない~~~」


そう呻きながら頭の後ろで手を組んだ時、ふっと森の中の人影に目が止まり、りんはその人物に驚いた。


「(え…琥珀!?)」


退治屋の服に身を包み、奈落の虫・最猛勝から四魂の欠片を受け取る琥珀の姿。


りんは左手で口元を抑え、叫びたい気持ちを押し殺した。


「どうした、りん」
「え」


邪見に尋ねられ、慌ててそちらを振り返る。結界に集中していたはずのも、チラリと顔を上げてりんを見た。


「…何でもない」


正直に答えるべきなのかわからず、なんとなくそう返してしまうりん。はそんなりんに少しの違和感を覚えたものの、考え事をしているほどの余裕はなく、りんから視線を外して再び結界に集中し始めた。


りんは、二人の目を盗むようにそっと琥珀のいたほうを見やる。だが、そこにはすでに誰も居らず、ただ木々だけが延々と続いていた。


「(殺生丸様…今度あったら、琥珀も殺しちゃうのかな…)」


そんなことを思うりん。琥珀に襲われそうになったところを助けられたあのとき、殺生丸の琥珀を見る目は冷ややかだった。殺生丸にとって、琥珀が邪魔な存在になるのであれば…


ふぅ、とわざと大きくため息をついて、思考を切り替えるようにぐるりとあたりに視線を巡らせた。どこもかしこも同じような木が延々と生えているが、ふと森の奥に白い影がちらついた気がして、そちらにじっと目を凝らす。白い影は徐々に大きくなり…やがて、りんがずっと待ちわびていたものだとわかると、途端にりんの表情が明るくなった。


「殺生丸様!」


腰掛けていた倒木から腰を下ろし、たっと駆け出すりん。がそんなりんに促されるように視線を向けると、そこにはどこか怒ったように眉を寄せている殺生丸の姿。


「…、お前は私を浄化したいのか?」


そう言い放つ声も、いつもより少し怒気をはらんでいるように思える。は慌てて結界をといた。


「殺生丸様、お帰りなさい」


にこ、と笑うりんを横目にみた後、すぐに歩き出す殺生丸。りんはそんな彼の後ろを、阿吽の手綱を引いて歩き出す。そしてその後ろをと邪見が慌てて追いかけた。…いつものことだが、何があったのかを話す気はないらしかった。


「(…機嫌、良くないなぁ)」


普段から淡白な反応をする方ではあるが、今はそれに拍車がかかっている。一人で毒気の方へ向かう前はここまで機嫌が悪くなかったので、原因は達ではない…であれば、びくついたり気にする必要もないのだが、つい気になってしまうのは、きっと誰でもあることだろう。


は小走りで殺生丸の隣に並ぶ。それからそっと彼の横顔をのぞき込むと、不機嫌そうな双眼と目が合った。


「…何だ」
「え、あ、えぇっと…なんか怖いなぁ、と」


突然の問いに、どもりながらも何とか答える。殺生丸は更に不機嫌そうに眉を顰めた。


「…私が怒っていると言いたいのか」
「お、怒ってるって言うか…」
「……もしや殺生丸様、犬夜叉にでもお会いになりましたか?」


ピタッ。
邪見の言葉に、殺生丸が歩みを止める。それからちら、と邪見に一瞥をくれ、…その数秒後には、ぱんぱんに腫れ上がった可哀相な顔の邪見が出来上がった。


「ず、図星か…」


殺生丸に聞こえないように邪見が呟く。はそんな邪見に一瞬目をやったものの、すぐに殺生丸に向き直った。


「ねぇ殺生丸、本当?犬夜叉に会ったって…」


が犬夜叉に興味を示すので、殺生丸は僅かに首を傾げる。


「あ、あのね、この前奈落の城で、殺生丸がいなくなったあとに少し話したの」


そんなことは聞いていない、と殺生丸は思うが、の言葉にはまだ続きがあるようなので、あえて口を挟まなかった。


「それで、実は犬夜叉に聞きたいことがあって…」
「…聞きたいこと…だと?」
「うん」


はゆるく頷くと、どこか深刻な様子で俯いた。


「…今日見た、夢の話」


流石に予想外の言葉に、殺生丸は目を見開いてを見る。は変わらず深刻そうな表情で俯いている。


殺生丸は浅くため息をつくと、に背を向け歩き出した。慌ててその背中を追いかけるが呼びかけると、彼は、行くぞ、と答えたきり何も言わないので、ついて行くしかなかった。


犬夜叉と、巫女装束の女が抱きあう夢。そしてそんなふたりが、黒い渦に飲み込まれ消えていく夢。


の中で渦を巻いて、いつまでも消えることはなかった。



2005.01.18 tuesday From aki mikami.
2020.01.08 wednesday 加筆、修正。