蛮骨


「清浄な山…」


澄み切った山の空気に導かれるように、はふらふらと山の方へと歩み寄った。


「くぉら!勝手に動くでない!」


けだるそうに体を横たえた邪見が、どこかいつもより力ない調子でを叱責する。その隣にはやはりけだるそうな阿吽、少し離れたところにいる殺生丸まで、ものすごい顰め面をしている。は苦笑して邪見に駆け寄った。


「ごめんごめん。でも…随分具合悪そうだね、邪見」
「この清浄すぎる空気のせいじゃ…妖怪にはきつすぎる…」
「そうなの…?私は全然平気だけどなぁ。むしろ調子良いくらい」
「お前は人間であろうが!」


邪見が再びそう叫ぶと、「うるさい」という声と共に邪見の頭に小石が飛んできた。もしかしたら殺生丸も、邪見の声が頭に響くほど調子が悪いのかもしれないと思うが、それをいうとさらに機嫌を悪くするだろうと思い、何も言わないことにした。


白霊山、という山らしい。この清浄な空気はあらゆる邪悪を浄化すると言われているようで、それらを拒むように山には結界がはられている。妖怪である邪見や殺生丸も拒まれる対象であるのだろう。彼らのためにもこれ以上山に近づくのは危険だろうと思い、山を見渡せる小高い丘まで来て、佇んだ。


殺生丸はそんなを見届けると、背を向けてどこかに歩き出す。りんが気がついて声をかけようとしたが、お前たちは待っていろ、と言われてしまったので、いってらっしゃい、と手を振るしかなかった。






「遅いなぁー、殺生丸様」


りんは呟くと、憂うつそうに空を見上げた。天気がいいのか悪いのか、判然としない。どこもかしこも霧で真っ白な、つまらない空。目線を下ろせば、ごつごつした岩肌や生茂る木々ばかりで、やはり目新しいものなどない。


つまんないなぁ、と口に出そうとしたとき、ふと霧の奥に人影を見つけて、じっと目を凝らす。


「あっ」


そこにいたのは、琥珀だった。


「(間違いない!琥珀だ!)」


そう思うのと同時にたっと駆け出すりん。そうして自分でも気づかぬうちに、白霊山の結界の内側に入ってしまう。邪見は駆けだしたりんに気づいて慌てて追いかけようとするが、結界に阻まれてしまった。


りんは邪見の制止にも気づかぬまま琥珀を追い、そのまま洞穴の中に入った。


「琥珀!」
「! お前…」


突然掛けられた声に驚いて振り返る琥珀。そうしてそこにいた人物にさらに驚いて目を見開いた。


「りん…どうしてここに…」
「よかったーまた話出来てー」


琥珀の顔を見てそう漏らしたりんは、一息置いてから言葉を続けた。


「この間変な別れ方したでしょ?なんか気になっちゃってさ」
「戻れ。ここはお前なんかの来るところじゃ…」


琥珀の言葉がそこで途切れたと思うと、強い妖気がざわ、とその場を渦巻いた。それは妖気を感じ取ることが出来ないりんにも、何か異様なものとして感じ取れるほどだ。洞穴の奥に目をやれば、たくさんの妖怪がふたりをじ、と見据えているように見える。


「ゆっくり戻れ…やつらが気づく前に…」


琥珀が言うと、りんは琥珀の服をぎゅっと握る。


「早くもどれ、りん。見つかったら八つ裂きにされる」
「琥珀は?」
「やつらは俺のことは襲わない。行けっ」
「う、うん…」


りんは頷くと、躊躇いがちに走り出して、何度か振り返りながらも洞穴を出た。せっかく会えたのに、ちゃんとお話しできなかったな、などと考えながら、白い霧を切って先程いたところと走る。


少しずつ見えて来た邪見の隣に、待ちわびた銀髪が見えて、りんはぱぁっと表情を明るくした。


「あ…殺生丸様っ」


殺生丸に駆け寄るりん。殺生丸は僅かに目を細めてりんに告げた。


「……中に琥珀が居たな?」
「え…!?」
「……」
「正直に申し上げろ。殺生丸様の鼻は誤魔化せんぞっ」


邪見はそう言うが、りんは本当のことを言うべきか、俯いて言葉につまる。しかし、殺生丸に嘘が通じないことも事実だろう。顔をあげると、真っ直ぐに彼を見つめた。


「あ、あのね、琥珀はりんを逃がしてくれたの。洞穴の中に妖怪がいっぱいいて…」
「なに…?」


りんの言葉に、眉を寄せる殺生丸。妖怪を浄化する力があるはずの白霊山の中に、多くの妖怪がいるとは、何かおかしいと思わざるを得なかった。


「(読めてきたぞ…からくりが…)」


目を細め、目の前の白霊山を見つめる。この清浄な空気を放つ山に、一体どれだけの闇が渦巻いているのか…それを暴き出すには、もう少し調べなければいけないことがあると、殺生丸は思う。


さっそく探しに行きたいところではあったが、もう一つりんに聞いておかなければいけないことがあるので、もう一度りんに向き直った。


「…はどこだ」
「あ、ちゃんは散歩にいくって…」


りんの言葉に、殺生丸は思わず舌打ちをした。の匂いが殺生丸の嗅ぎとれる範囲内にない上に、どこに行ったのかもわからない。こう霊力が強い山の中だと、探索をするにもの力があった方が都合がいいと戻ってきたのだが、まずはを探し出さねばならないらしい。


歩き出して、深く溜息をつく。白霊山の気に惹かれていたようだし、きっとそれなりに遠くに行っているのだろう。明らかに奈落が糸を引いているのに、不用意に一人で歩き回るに呆れた気持ちと、何かあったらどうすると思う気持ちが同時に浮かんで、そんなことを思ってしまう自分が、何とも言えず悔しかった。






ざわざわと、胸の奥に湧き上がるものを感じて、は目を細めた。


それは、何かを告げるような。
不安をかき立てるようなもの。


きつく拳を握ることで、は不安な気持ちを誤魔化した。


ゆるやかに吹く、白い風。それは清浄な心地よさの中に、息苦しさのようなものを覚えさせる。はふぅっと息を吐き、なんとはなしに風上を振り向いた。


そこには、たくさんの人影があった。先ほど見た僧侶と、真っ白い服を来た女の子、以前会った珊瑚と良く似た服を着た男の子。そして、僧侶の仲間だと思われる、野党のような恰好をした男達。


あの僧侶が死人であるならば、あの野党たちはみな死人なのだろうかと、は考えた。四魂のかけらには、強い力がある。その力を利用して死者を生き返らせたのなら、それはおそらく奈落の陰謀であろうが、なぜそんなことをしなければいけないのか、には想像もつかない。


ぼんやりと考え事をしている間に、先程までの話し声が聞こえなくなってしまい、はふたたび男たちの会話を聞こうと前を向いた。すると目の前に、知らない男の顔が現れ、は驚いて後ろにずっこけてしまった。


「何だ、お前」
「えっ、と」
「へぇ…結構良い女じゃねぇか」


彼はそう言うと、ほとんど寝転がるような体制のにずいと顔をよせ、の全身をまじまじと眺める。は口をパクパクさせながら立ち上がろうとするが、男にぐっと腕を掴まれて立ち上がることはかなわなかった。


「見てるだけだろ、逃げんなよ」


からからと笑って見せる男。年は大体十七、八歳といったところだろうか。笑顔のためか少し子供っぽくみえるが、 そんなことで警戒心を緩めるほど、も愚かではない。


すぐに逃げなければ。そう思うのに、男の力が思ったよりも強く、迫ってくる笑顔にも威圧感のようなものがある。


「俺ぁ蛮骨。お前は?」
「…
「へぇ。良い名だな。抱かれてみねぇか?」
「は… はああああああああああああ?!」


衝撃の発言に顔を真っ赤に染めたは、先程までの警戒心などすっかり忘れて男の腕を振りほどき、目にも止まらぬ速さで立ち上がって、全力疾走で男と距離を取った。


さっさとその場から逃げなかったのは、下を見ないで全力疾走したせいで盛大に転んでしまったからという、なんとも情けない理由である。


「おーい、大丈夫か?」
「だだだだだだ、大丈夫です!!」


跳び起きると、男の方を見ないままさっさと走り出す。一刻も早く殺生丸達と合流しなければ、そう考えていると、後ろから、「またな」と声が聞こえてくる。


もう二度と会わないことを願いながら、はその場を後にした。






大分長い事走ったので、息切れしている。方向などあまり考えず走ってきたせいで、この場所がどこかもわからないし、殺生丸達の姿は全く見えなかった。


「ど…どうしよぉ…」


ボソッと呟くと、雨月刀をぎゅっと握り締めた。


「怒られる…かな…、最悪置いていかれたりして…」


そんな心配をしながらとぼとぼと歩き出す。周りを見ても木々と岩肌が続くだけで、目印になりそうな物は何もない。そもそも山とはそういうものだろうが、この山は特に、結界から発せられる空気のせいか、方向感覚を失いやすいように思う。


はため息をついて、さみしさを紛らわそうと考え事を始める。


「(蛮骨…この間殺生丸が言ってた、霧骨とか言う奴の仲間、だよね…)」


歳のころや見た目は、自分とあまり変わらないと、は思った。特別凄い力を持っているようにも見えなかった。だが、掴まれた手首に、笑顔の中に垣間見える威圧感 。あれはきっと、普通に生きてきた人間では出せないものだとも思う。


「(…蛮骨って言えば、七人隊の首領…だったはず)」


村にいたときに、お爺さんに聞いたことがあった。雇われ兵隊で、誰の下にもつかず、七人で百人分の役割をすると言う集団。


おそらくあの蛮骨が、話に聞いた七人隊首領であることは間違いないだろうと、は思った。


「殺生丸に知らせなきゃ…」


七人隊を奈落がよみがえらせたのだとしたら、きっとこれからさらに良くないことが起きる。ざわりといやな予感がして、は雨月刀を強く握りしめた。


そのとき、森の方からかさがさと音がして、は瞬時に雨月刀を構えた。どうやら何者かが近づいてくるようで、音は少しずつ大きくなっていく。
が思わず息を呑むと、「待て」と声がして目を細めた。


「待ってくれ、怪しいものではない」


木々の間から顔を出したのは、優しそうな顔をした一人の男だった。


「……あなたは…?」
「私は睡骨。医者をしている」


刀を下ろしてくれ、と顔の前で両手をあげる。は多少戸惑いながらも、雨月刀を握る力を緩めた。



2005.01.20 thursday From aki mikami.
2020.01.13 monday 加筆、修正。