蛇骨


殺生丸は不機嫌に顔を歪めながら歩いている。少し離れて後ろを歩く邪見とりんは、冷気漂うその背中に恐怖を感じ押し黙っていた。


あのあと、近くを探してもは見つからなかった。ならば仕方ないと暫く歩き続け、既に白霊山の周りをほぼ一周しているのだが、 姿どころか匂いすらつかめない。


こうまで姿が見えないとなると、すでに散歩の域は超え、何かに巻き込まれているのは間違いないだろう。


苛立ちを隠せない殺生丸は、舌打ちをして方向転換をした。


これだけ山の周辺を見て回っているのだ。もしかしたらここから離れているかもしれない。結界の中に入ったとなれば匂いくらい残っていそうなものなので、ひとまず結界の外にいると考えてみた方がよいだろうと、殺生丸は考えたのだ。


殺生丸は「奈落を探し出す」と言う当初の目的を完全に忘れ、すっかりを探すことに夢中になっていった。






「貴方…蛮骨の仲間じゃ、ないんですか…?」


目の前の医者に警戒の目を向ける。だが、医者の男はの言葉に怪訝そうに首を傾げたので、尋ねたので、本当にただの医者かもしれないと、は判断した。雨月刀を下ろして、彼に微笑みかける。


「どうされたんですか?なぜお医者さまがこんなところに…?」
「わかりません。ただ、私は村に帰らねば…」


彼は首を横に振ってから、どこか沈んだ表情でそう答えた。


「睡骨様…村はこの辺りですか?」
「ええ」
「では、村までお送りしますよ」


不安そうな睡骨を少しでも和らげようと、出来るだけ穏やかに笑う。睡骨は恐縮し、慌てて手を左右に振った。


「そんな、気を使わないで下さい」
「いいえ、私、旅の仲間を探しているので、そのついでなんですよ」
「仲間…ですか?」
「はい。一緒に旅をしているんですが、私が道に迷ってしまってたんです」
「それはまた…難儀でしたね…」
「早く合流したいので、少しでも視界の開けたところに行きたいんです」


怒るとこわーい人もいますしね。そう言ってわざとらしく震え上がる動作をすると、睡骨はくすりと微笑んで、「わかりました」と頷いた。


「では、一緒に行きましょう。貴方のお名前は?」
です」
さん。では参りましょうか」


互いにふわりと笑い合うと、睡骨の先導で歩き出す。 だがそこで、ちょっと待った!と二人を制止する声がかかった。


「!?」
「おいおいお二人さん。勝手に話を進めてもらっちゃ困るな」


振り向いた先にいたのは、薄い紫の、女物のような着物に身を包んだ男だった。見目は美しいが、何故かその唇には紅を引いていて、体つきを見なければ女性のようにも見える中性的な面立ち。その表情は忌々しげに歪められていて、肩には刀身の大きな刀を乗せている。


瞬間的に、彼が七人隊の一員であるとわかったは雨月刀を構えようとしたが、それとほぼ同時に相手の男が刀を振り、その刀身がまるで伸びたように離れたのところまで飛んできて、 と睡骨はその場を跳ぶようにして退いた。


「なっ…なに、その刀」
「おい、そこの女。てめぇはさっさと退きな。俺は今急いでんだ。お前なんかに構っている暇はねぇ」
「何を…」


睡骨が、震える体を押してを庇うように前へ出る。目の前の男は深く溜息をついて睡骨を見た。


「睡骨よぉ…、お前いい加減にしろよな」
「な、何の事だ。なぜ私の名を」
「あぁくっそ!めんどくせぇな!」


男が刀を振る。それはどうやら仕込み刀らしく、不規則な刃の動きが睡骨へと向かう。だがすんでのところでの雨月刀が割り込んで、男の刀を弾き返す。小気味よい金属音が辺りに響いた。


「…女、テメェ」
「睡骨様、下がっていてください。貴方、七人隊よね。名前は?」


が男の顔を睨みつけながら言う。男はわなわなと体を震わせ、猛烈な勢いでに向き直り睨み上げた。


「邪魔すんな女ぁ!俺ぁ急いでるって言ってんだろ!」
「嫌がる人を連れて行こうとするのを黙ってみてられない。悪いけど、邪魔させてもらう」
「…はっ、面白ぇ。俺は邪骨。…まぁ、すぐ殺すから教えるまでもねぇか」
「いいえ蛇骨。時間稼ぎくらいはさせてもらうから」


雨月刀を構え、刃先を蛇骨に向ける。


「負ける気、ないけどね」
「良い度胸だ」


互いに睨み合ったまま、じりじりと距離をとる。


そのとき二人の間を強く風が吹きぬけ、止んだと同時に二人が一歩踏み出し武器を振るった。


二本の刀が対峙する。蛇骨の刀が蛇骨の手元へ戻って行くのとほぼ同時に、は体制を低くして蛇骨の足を払おうとする。それをギリギリで避けられ、が体制を崩したところに蛇骨の刀が振りろされた。は間一髪それを交わすと、風を切るような速さで雨月刀を振るう。蛇骨は後ろに飛び退いてそれを交わすと、間髪入れずにが間合いを詰めてくる。


は近距離戦に持ち込もうとしていた。蛇骨の仕込み刀は遠距離でこそ意味があるもの。ならば近距離でそれを封じてしまおうと言うことだ。


だが、の雨月刀の利点も相手と距離が取れること。つまり近距離だとも武器が使えない。


それならばと、はいっそ武器を捨てて闘ったほうが良いと判断した。


両手を地に着いて思い切り右足を振る。蛇骨は飛んでそれを交わし、何とかと距離をとろうとするが、すぐに詰め寄られてしまった。


「(ちっ。こいつ思ったより素早いな)」


蛇骨は軽く舌打ちをして、睡骨の方を見やる。


「おい、睡骨!お前いい加減目ェ覚まして手伝えっ!」
「なっ…」
「まだ思い出さねぇのか!?七人隊の睡骨!!!」
「…っ」
「おしゃべりする余裕なんてあるの?」


余所見をしている蛇骨の腹に、が渾身のひと蹴りを喰らわせると、蛇骨の体は近くを流れている川の方まで吹っ飛んだ。は睡骨の様子が気になったものの、ここで気を緩められる相手ではないと、ふたたび蛇骨との距離を詰める。蛇骨は起き上がって次の攻撃に備えているが、今のところはの優勢と言わざるを得なかった。


一方睡骨は、蛇骨の言葉で心に曇りが出来ていた。七人隊、という言葉に聞き覚えがあるようで、それを思い出すことの恐怖に体が震えだす。


そのとき、彼の首元の四魂の欠片が、一度大きく脈打った。は何かの気配のようなものを感じて睡骨を振り返る。…徐々に薄れていく「医者の睡骨」。そうしてもう一人の睡骨が目を覚ましたとき、は何が起きたか飲み込むことができなかったが、そこに立っている睡骨が先程までの優しい医者ではないことだけはわかった。


「…睡骨様?」
「へっ。やっと出て来れたぜ。医者の野郎また俺を閉じ込めやがって」


そう言うと、凶悪な表情を浮かべて、じりじりとに詰め寄ってくる睡骨。蛇骨はにやりと口の端を上げると、睡骨と同じような蔑みの瞳でを見つめた。


…形勢逆転。


今度はが、蛇骨と睡骨によって川淵に追い込まれてしまった。


「っ…」
「手こずらせやがって」


蛇骨は不敵に笑みを作り、を見下ろす。は何か打開策はないかと、目を逸らさずに思考を巡らせるが、目の前の蛇骨がなぜか刀を鞘に戻したので、だけでなく睡骨も何事かと蛇骨を見た。


「お前、殺生丸の連れの女だろ?」
「!?」
「奈落からお前は殺すなっつー御達しが出てんだよなぁ」


チッと舌打ちをして不機嫌そうに漏らす蛇骨。その先の言葉はなかったが、おそらく、本当なら殺してやるのに、と続いたのだろう。


「でもよぉ。殺さなけりゃ幾ら傷つけようが構わねぇよな?」


にやり、と蛇骨が口の端を上げる。その言葉にすべてを察したらしい睡骨は、蛇骨と同じような笑みを浮かべたあと、両手にはめた鉄の爪を真っ直ぐに向けて振り下ろしてきた。


その瞬間、の体は引きずられるように後ろ向きに倒れ、川へと落ちた。も蛇骨も睡骨も、一瞬何が起きたかわからなかったが、爪が振り下ろされた瞬間、青白い光がを包み込んだのを、蛇骨と睡骨はしっかりと見ていた。






「っは…!!」


必死で岸まであがってきたは、荒い呼吸を一先ず調える。一体どのくらい流されたのかはわからないが、自分がきちんと雨月刀を握っていることを確認すると、震えそうになる体を立ち上がらせた。


前に殺生丸に貰った折角の着物も、すっかり水を吸って重くなっている。


あたりに人の気配がないことを確認すると 、服を乾かそうとは手近にある小枝などの燃やせそうなものをかき集めてきた。そして手馴れた手つきで火を起こすと、襦袢は着たまま着物だけを脱ぎ、ギュッと水を絞ってみる。かなりの量の水が地面に滴り落ち、は一瞬顔を顰めるが、すぐに着物のしわを伸ばすと、燃えない程度に火の近くに置いて平干しにした。


パチパチと音を立てて火が燃え上がる。濡れた襦袢が肌に張り付いて何とも気持ち悪いが、さすがにこれ以上脱ぐのも気が引けたので我慢した。


「(はぁ。何やってるんだろう、私)」


は心で呟くと、両手を火の前に持ってきて暖める。
膝の上に顔を乗せ、ふぅっと溜息をついた。


「(勝手なことして、怒ってるんだろうなぁ。…あ、そういえば)」


は思い出したように手に取ったのは、以前に水憐から貰った宝石だった。


「(やっぱり、これが守ってくれたんだ)」


もらったときよりも色が黒く変化しているように見える。 恐らく込められた力を使い切り、役目を終えた印のようなものなのだろう。


「(さっそく、助けられちゃったよ)」


くすっと心の中で笑うと、きゅっと握って目を瞑る。そして、あの日嫉妬ともとれる態度を示した殺生丸を思い出し、思わず顔が綻んだ。


そのとき、草むらから何かが近づいてくる音が聞こえてきた。は急いで雨月刀を握り、音の方に向き直る。馬の蹄の音も聞こえてきて、はじっと音の方に目を凝らした。


木々の隙間を縫って現れたのは、夢で見た、犬夜叉と抱き合っていた巫女だった。



2005.01.21 friday From aki mikami.
2020.01.22 wednesday 加筆、修正。