睡骨


「桔梗…様…?」
「なぜ、私の名を知っている…?」


美しい顔立ちからは想像も出来ぬほど鋭い視線で睨みつけられ、は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


桔梗が警戒するのも当然だ。初めてあったはずの人間が、自分の名を口にしたのだから。は何をどう説明したものかと考えながら、構えていた武器をおろして桔梗を見据えた。


「あの、私、犬夜叉の知り合いなんです」
「…犬夜叉の?」


僅かに表情を険しくする桔梗。余計なことを言ったかと思ったが、話をすすめるためには仕方ない。は出来るだけ優しい笑顔で桔梗に笑いかけた。


「あの、少し話をしませんか…?」
「…」
「話すに値しなければ、すぐに立ち去ってもらって構いませんので」


がそう話をもちかけると、桔梗はやや警戒した様子ながら、ゆっくりと馬から降りる。ひとまず話をする機会を得られたことにホッとして、はへらっとだらしなく微笑んだ。


「変わっているな、お前は」
「そうですか?」


緩んだ顔のままその場に腰掛ける。桔梗は馬の手綱を掴んだままで、の向かい側に座った。


「強い霊力を持っているな」
「わかるんですか?」
「ああ」


桔梗が言うと、は苦笑して起こした火を見つめる。自身は自分の霊力がよくわかっていないところがあるので、強い霊力と言われてもピンとこない。だが、巫女にそう言われるということは、間違いないのだろうとも思った。


静かに燃える炎を見ながら、つい思い出してしまう。これまでのこと、自分のせいで死んでいった者たちのこと。


の様子を見て、桔梗も思うところがあるのか、僅かに目を伏せた。と同じように炎を見つめ、うっすら微笑みながらゆっくりと口を開く。


「犬夜叉とは、どこで…?」
「ええと、奈落の城で会いました。あの、私、殺生丸って犬夜叉のお兄さんと旅をしてて…」
「殺生丸と…?」
「はい。それで、殺生丸と一緒に奈落を追っていたときに、犬夜叉に会ったんです」


桔梗は、が殺生丸の連れであることに随分驚いたようだった。犬夜叉やかごめたちも初めてあったときは同じような反応をしていたので、殺生丸を知る者たちから見れば、自分やりんのような存在はよほど意外なのだろうと、は思わず苦笑する。


「私のことは、犬夜叉から聞いていたのか?」
「あ、いいえ。そうではないんです」


。が首を振るので、怪訝そうにを見返す桔梗。


「あの、実は私…夢見師、らしくって」
「夢見師…あの一族か」
「えと、多分…」
「多分?」


が曖昧な言葉を返すので、桔梗がすかさず尋ねる。は一度小さく頷いてから彼女を見据えた。


「私、十歳より前の記憶が一切なくて…この間まで普通の村で暮らしていて、自分にそんな強い霊力があることも気づかなかったくらいで…」


なんとなく人に見えないものが見えるくらいの自覚はあったんですけどね、と自嘲の笑みを零す。桔梗はの言葉に驚きつつも、焚火を見つめて漏らした。


「苦労をしたのだな、お前も」
「苦労…そう、ですね。多少、したのかも」
「…人にない力を持つということは、いい事もあるが、悪いことも多くあるものさ」


何かに思いを馳せるような深い瞳に、は一瞬息を呑んだ。桔梗は顔立ちも美しいが、その美しさの裏には、儚さのようなものがあるのだろうかと、は思う。いくつの苦労をすれば、こんな表情をするようになるのか、には想像もつかなかった。


桔梗の顔を呆然と見つめていたを軽くみやって、桔梗は口を開いた。


「夢見師の一族のことは、知らないのか?」
「はい、よくわからないんです。みんなが一族って言うけど、自分以外の夢見師は見たことがなくて、隠れ住んでるって話を少し聞いたくらいで…。でも、私が夢で未来や過去をみれるのは本当で…」
「ならば、確かめてみるとよい。ここから随分北の方角に、夢見師の村があると聞いたことがある」


すっと立ち上がる桔梗。その目は、すぐ近くにある白霊山を見据えている。


「…」


その横顔があまりに神妙で、はまた、彼女の顔をじっと見つめていた。桔梗は何かを模索するように目を細めている。


「…お前、名は」
「え…?えと、です」



少し低い声で呼ばれ、は肩を震わせながら「はい」と答える。


「ついてくるか?」
「へっ…?」


が間の抜けた声を出すと、桔梗はくすりと笑っての顔を一瞥する。


「見たところ殺生丸とはぐれているようだし…奈落に恨みがあるならば、ついて来て損はない」
「っ!」


馬を引いて歩き出す桔梗。は突然のことに驚くが、桔梗は止まる様子もない。ひとまず行く宛のないは、桔梗に着いて行くしかないと、すぐに覚悟を決めた。


未だ僅かに濡れている着物に袖を通すと、
は帯をしめつつ桔梗の後をついて行った。






完全に闇に落ちた白霊山の麓。殺生丸は手にした闘鬼神を後方へと投げ捨てた。


蛇骨がそのことに驚いて目を向けると、闘鬼神は丁度、睡骨の胸を深く貫いている。殺生丸は迫ってくる蛇骨刀を振り払うと、そのまま蛇骨の腹を鋭い爪で切り裂いた。


睡骨から逃れたりんは、殺生丸のもとまで駆け出そうと体を起こす。だが、起き上がった睡骨に上から押さえつけられてしまう。


蛇骨が、くっくっと笑いを漏らした。


「近くで見るとやっぱ色男だな。俺の好みじゃねぇけどよ。へへへ。アテが外れたな…俺達はこんなことじゃ死なねぇんだよ」
「蛇骨よ、もういいだろ。このガキ殺すぜ。傷付けられたせいかな…医者の野郎怖がって出てこねぇ」


睡骨が不敵に笑うと、殺生丸は蛇骨から手を引き抜いて身を翻し、睡骨に向き直る。…だが、りんまでの距離は遠い。


「ばーか。もう遅いっつーの」


蛇骨がせせら笑うと同時に、睡骨は「死にな!」と叫びながら鉄の爪を振り下ろした。


だがそこに、一本の矢が飛んできて睡骨の首に刺さった。
睡骨が僅かに首を傾けると、そこには弓を構えた桔梗の姿。そして、その傍らには驚いたような顔をしたが立っていた。


首の四魂の欠片を浄化されたためか、睡骨の体がぐらりと倒れる。ようやく解放されたりんは急いで殺生丸の元へ駆け出した。


そして蛇骨は、さすがに分が悪いと判断したのか、僅かに顔を歪め、一目散に逃げていく。


桔梗はゆっくりと歩を進めると、睡骨の傍らに座りこんで 、その顔を覗きこんだ。睡骨はほんの僅かに顔を動かして、桔梗を見た。


「桔梗…様…」
「!?」


先程までの睡骨とは明らかに違う、穏やかな睡骨の声音に、桔梗はほんの僅かだが目を細める。


「やっと…戻れた…。黒い光に邪魔されて出て来られなかった…」
「貴方は…医者の睡骨様か?」


桔梗がそう尋ねると、睡骨の首の欠片が淡く桃色に光った。


「桔梗様…私の首の…四魂の欠片を…取って下さい…それで私は骨に返る」


変わらず穏やかな口調で言う睡骨に、桔梗は彼をじっと見つめ、問うた。


「死を…選ぶと?」
「やっと思い出した。私は一度死んでいる。…前に生きていた時…もう一人の私…七人隊の睡骨は…沢山の人を殺した…私は…どうすることも出来なかった。…同じことをくり返すのはもう…耐えられない」


そこで一息つくと、桔梗の表情が切なげに変わったようだった。は僅かだが、医者の睡骨と直に会話をしている。だからわかる、その優しさが。…桔梗もきっと、それがわかるからこそ、その表情を浮かべているのだろうと、は思った。


「頼む…桔梗様。欠片をとって…私の魂を救って欲しい…」
「睡骨様…」


呟いて、彼の首に手を伸ばす桔梗。だが、その手は僅かに震えていて、どうやら彼女の中にも迷いがあるらしかった。


すると、シャッと地を這うような音がしたかと思うと、鋭利な刃物が睡骨の首を切り裂いた。その拍子に四魂の欠片は宙を舞い、刀を発した人物…蛇骨の手の中におさまった。先程逃げ出していたはずが、わざわざ四魂の欠片を取りに戻ったらしい。


「ふっ…形見代わりに貰ってくぜ」


そう言うと、駆け足で結界の内側に入っていく蛇骨。 桔梗はそれを深追い出来そうにないと踏むと、目の前の睡骨の亡骸を見つめた。


元の骨と墓土になった睡骨。その姿を憐れむべきなのか、にはわからなかったが、きっとこの光景を忘れることはないだろうと、そう思った。


「あの…巫女様…助けてくれてありがとう」


りんが桔梗に向けて言うと、桔梗は僅かにりんを振り向く。


「ああ…。怪我はないか?怖かったろう」
「うん…。だけどこの人…何だか…」


りんがそこまで言いかけると、不意に殺生丸が歩き出す。…わざとらしくの横を通り過ぎ、横目でついっと睨みを寄こしていく。りんは慌てて彼の後を追いかけ、桔梗に「さよならっ」と言い残していった。


は一度、桔梗を振り返る。桔梗の顔には穏やかな笑顔が浮かんでいて、もつられて笑みを零す。


「いくのか」
「はい…」
「そうか。…お前とは、きっとまた会う気がするな」
「はい…私も、そう思います」


さよなら、と言って、桔梗に背を向ける。涼やかな声で「またな」と返ってきて、はくすりと笑った。


たっと駆け出して、は殺生丸とりんに着いていく。りんが一度振り返って、おかえりと言って微笑むので、はただいま、と答えて微笑み返した。


殺生丸は相変わらず、特に何を言うでもなく淡々と歩いている。もしかしたら勝手にいなくなったに怒っているのかとも思ったが、何かを言ってくるわけではないし、置いていくわけでもないので、ひとまず黙ってついていく。


歩きながら、ははぐれていた間のことを思った。


襲われたり、走ったり出会ったり、今までにないことがたくさんあった。それらはこうして殺生丸についている間は経験し得なかったことかもしれない。…桔梗との出会いも、その一つだろう。


だが、それでも、例え一人でいた時間が少なかったとしても、心の中にぽっかりと穴が空いたように寂しかった。


だが今、の中に寂しさはない。それは、りんに邪見に、阿吽の存在。


そして傍にいて、心から安心できる、殺生丸の存在。


自身の居場所。それがここなのだと、ここでありたいのだと、実感する。


離れてみてわかった自分の居場所に、は頬が緩みそうになるのをなんとか引き締めて、銀糸を揺らすその背中について歩いた。



2005.01.22 saturday From aki mikami.
2020.2.13 thursday 加筆、修正。