賭け


は阿吽の手綱を引きながら、何度目かもわからないため息をついた。それは前方を行く殺生丸が、ぎりぎり達を置いていかない限界の速度で…つまりかなりの早足で歩いているからだった。


それは、が蛮骨のことを殺生丸に話してからだった。これから会うのは蛮骨かもしれないと話したあと、は念の為蛮骨の見た目の特徴について説明した。髪は黒く年はより少し上と思われる鎧の少年で、戦っていないので詳しいことはわからないが、大きな鉾のような武器を背負っていた、と。…そう、「戦っていない」などと余計なことを言ってしまったのが、よくなかったのだ。


戦ってないなら何をしたのかという当然の疑問に行き当たり、ただ会話をしただけだと答えたら、何を話したのだと聞かれ、そうすれば当然、「抱かれてみねぇか」と言われたことも話さなければいけない。


その会話の内容を聞いてから、殺生丸の機嫌はみるみる悪くなり、足取りはだんだんと早くなり、もうほとんど走るような速度で骨と墓土の臭いを追いかけている、というわけだ。


歩幅の小さいりんと邪見はその速さについていけないので、阿吽の背中に乗せている。は今のところなんとか自分の足で追いかけているものの、そろそろ足もくたびれてきたし、これ以上早く歩かれると息切れも起こしそうだった。


だが、そろそろ休もうよ、などという言葉が、今の殺生丸に通じるだろうか?否、通じるはずがない。たとえ通じたとして、からその言葉を言い出せるはずもない。


結局黙ってついていくことしか出来ず、ため息をついたり恨めしく殺生丸の背中を睨んだりしているしかなかった。


そもそも、と、は思考を巡らせる。


以前水憐に一緒に寝るかと聞かれたときも、そして今回の蛮骨のことも、なぜ殺生丸が怒る必要があるのか。それはもしかして…嫉妬、ではないか。そこまで考えてしまうと、もうの頭はすっかり熱くなってしまって、疲れがどこかに吹っ飛んでいく。殺生丸への思いを自覚してしまったばかりだからなおさらだ。


もしかして、殺生丸も私を…


そんなふうに考えてしまいそうになるのを、頭を振って必死に打ち消そうとする。そんな状態だから、邪見が自分の後ろでがーがーと叫んでいるのにもなかなか気づかなかった。


「おい、!!!!」


ひときわ大きな声で呼ばれてようやく我に帰ったが慌てて後ろを振り返ると、ものすごい剣幕の邪見がさらに大声でをがなり立てた。


「殺生丸様が行ってしまわれるぞ!!!早く追いかけんか!!!」


邪見の言葉に前を向き直ると、確かに殺生丸の背中は先程よりかなり遠くなっている。は大慌てで阿吽の手綱を引いて走り出した。心なしか殺生丸の足取りが早くなっていて、もしかしたら目標が近いのかもしれないと思う。当然のことながら、殺生丸の方が足が長いため、普通に歩いていても置いて行かれるのに、それだけ早く歩かれるとには普通に追いつくこともできず、ほとんど全力疾走で殺生丸の背中を目指す。


ややしばらく走ったところで殺生丸が森の開けたところに出たのが見え、それとほぼ同時に彼の足が止まった。…どうやら、目標にたどり着いたようだ。


はようやく少し足を緩め、小走りで森を抜け、殺生丸の少し後ろに止まった。


恐る恐る、殺生丸の背中から前を覗き見る。そこには…見覚えのある大きな鉾のような武器を担いだ少年、が予感したとおりの、七人隊首領 蛮骨が立っていた。その周りには、以前奈落が従えていた毒虫 最猛勝もいる。


蛮骨はうすら笑いを浮かべ、殺生丸を値踏みするように眺めた。


「テメェは…」
「貴様が蛮骨とか言う下衆か」
「あぁん?んだとコラ」


穏やかではない二人の空気に、思わず一歩踏み出そうとしてしまう。その瞬間蛮骨とぱちりと目があって、急に蛮骨の表情がぱっと明るくなった。


「おっ!じゃねえか!おめえ殺生丸の連れだったのか?」


蛮骨の言葉に、は驚いて目を見開いた。


「貴方、どうして殺生丸を…」
「あー、奈落の野郎がよぉ、そいつも殺せって言ってきたからよ。けどまさかが一緒にいるとはなぁ」


くっくっと蛮骨が笑う。殺生丸は背中からでもわかる怒気をはらみ、闘鬼神を抜いて刀身を蛮骨へと向けた。


「オイオイ、随分と喧嘩っ早いなぁ。ま、俺も人のこと言えねぇけどよ」


そう言いながら、大鉾を殺生丸に向けて構える蛮骨。一触即発の空気に、は即座に雨月刀を構えた。手を出そうというのではない。何かあったときに、邪見達のことを即座に守れるようにするためだ。だが、そのとき。


「んだよっ、あぁ?」


蛮骨に最猛勝が近づいて、どうやら何かを話しているようだった。具体的になんの話かはわからないが、相手は奈落であるだろうから、ろくな話ではないだろうとは警戒する。


はじめは戦いの邪魔をされて不機嫌そうにしていた蛮骨だったが、やがて笑顔になったあと、先程より幾分か元気になった様子で殺生丸に向き直った。


「おい、殺生丸。やりあう前にちょっと聞けや」


そう言って、大鉾を肩で担ぎ上げる蛮骨。妙な笑みは止めないで、言葉を続けた。


「たった今、だけは殺さずに連れて帰れと奈落から御達しがあった。なんでも"夢見"とかいう力が必要らしいな。んで、俺は俺でに興味がある」


そこで一息置いて、大鉾を地に突き刺す蛮骨。表情は変わらず笑みを浮かべていたが、先程より鋭い目つきで殺生丸を睨んだ。


「俺が勝ったら、は俺の好きにしていいってよ。んでお前が勝ったらはお前のモンだ。どうだ、わかりやすいだろ?」
「はぁっ?!」


突然の話に驚いたのは殺生丸ではなくだった。ひとまず彼らの戦いを見守るしかないと思っていたところに、突然そんな話が湧いて、なぜそんなことになったのかと頭痛がしそうになる。


話を聞いていた殺生丸は、怒りを湛えたまま静かに口を開いた。


が誰のものになるかなど、私には関係ない。だが少なくとも、貴様のものになることはない。貴様が私に勝つことなど、万に一つもないのだからな」


鋭い双眼で蛮骨を射抜く殺生丸。は殺生丸の言葉に少し胸がざわついたものの、今はそれどころではないと頭を振って打ち消した。


蛮骨はそんなの方を見て、わざとらしく両手を広げて笑ってみせる。


「だってよ、。意外と冷てーんだな、殺生丸"様"はよ」
「っ、そんなこと!」
「俺んとこにくりゃ、可愛がってやんのによ」
「よく喋る下衆だ」


を挑発する蛮骨に殺生丸が言い放つ。それを聞いた蛮骨は、軽く舌打ちをしたあと、地面に刺していた大鉾を持ち上げて器用に振り回し、構えた。


「勝負だ、殺生丸」


蛮骨の意地の悪い笑いに、の胸がまたざわつく。先程の殺生丸の言葉も確かに気がかりだが、それよりも蛮骨の強さがまったくの未知数なことが不安で、雨月刀を強く握りしめる。


殺生丸が勝つように、殺生丸が無事なように、ただ祈ることしか出来なかった。



2005.01.25 tuesday From aki mikami.
2020.03.17 tuesday 加筆、修正。