瘴気に落ちた


桔梗の元から戻って来ただったが、結界がなくなった今、殺生丸たちもその場に残る理由がない。他にやることもなしと、白霊山に足を踏み入れることにした。


結界はなくなったものの、清浄さはあまり変わらない。後ろをついてくる阿吽と邪見はかなりつらそうにしていた。ちなみにりんには何の影響もなく、いつも通り歌を歌ったりなどして、ぐったりした邪見にやかましいとののしられている。


もりんと同じく白霊山の影響を受けはしないが、しかしりんのように、のんきに歌っている気にもなれなかった。先ほどの桔梗のことだったり、あたりに不気味に渦巻いている妖気だったりが、気になって仕方ないからだ。


は不安な表情で殺生丸を見つめた。


「桔梗は殺生丸と一緒で、奈落は山の中にいるって考えてるみたい」
「そうだろうな」
「ねぇ、一体どういうこと?」


には、奈落が白霊山の中にいるということがどうにも理解できなかった。奈落は凄まじい邪気を放つ妖怪。その奈落が、なぜ白霊山に拒まれないのか、不思議で仕方なかった。ただ、もし奈落が白霊山に隠れることが出来れば、確かに有効な目くらましになるだろうなとも思う。


殺生丸はの問いに答えぬまま、変わらず前を向いて歩いている。返事が来ないことに心細さを感じもしたが、彼なりに考えを整理しているのかもしれないと思い、返答は求めないことにした。


阿吽の手綱を持ち、彼の後ろを追いかけながら、ぞくりとした寒気に襲われる。桔梗とともにいるときに感じたのと同じ感覚。むしろどんどんひどくなっている気さえしていた。


「この妖気、なんか変だよね…山の中を巡っているような、渦巻いてるような感じというか…」
「巡る…だと?」


のひと言に、殺生丸が足を止めて振り返った。は予想外の反応に驚いたものの、頷いて、自分の感じたままを話すことにした。


「何て言うか、山自体が生きていて、その中を妖気が巡っているような…」
「生きている?」
「わ、わかんないけどね…私がそう感じたってだけだし」


自分の霊力にいまいち自身が持てないは、こわごわとした様子でそう呟く。間違ってたら怒られるかな、などと思ったが、殺生丸はそんなの思いとは違い、何かを考えるように目を細め、白霊山を見遣った。


「(奈落め…何を企んでいる…)」


まさか山そのものが奈落の体だとでも言うのだろうか。の言葉は、そう読み取ることも出来た。


殺生丸は、何も言わずに白霊山に向けて歩き出す。はそんな殺生丸の後ろを黙ってついていく。不安な気持ちはさらに大きくなって、先ほど別れた桔梗や、犬夜叉たちの無事を祈らずにはいられなかった。






阿吽に乗って白霊山上空を飛行していた時、ぞわっと嫌な感覚が走って、は弾かれるように白霊山に向いた。その瞬間、白霊山がまるで砂の山のように崩れていく。激しい揺れと凄まじい地響きに、は目を見開いた。


「きゃあ!」
「りんちゃん!」


音と衝撃に驚いたりんが体勢を崩して阿吽から転げ落ちそうになるのをが慌てて支え起こす。


「りんちゃん、大丈夫?」
「うん、ありがとうちゃん! …あ!」


りんが声を上げた瞬間、りんの前に座っていた邪見の体がふわりと浮き上がった。どうやら音と衝撃で体制を崩してしまった上に、しがみついていたりんがほっとしたことで手を放してしまったようだった。邪見の体はそのままぐらりと横に倒れていき、なんとか掴もうとしたの腕をすり抜けて下へ落ちていく。


「っ、邪見!」


が叫んだのとほぼ同時に、たちの横を飛んでいたはずの殺生丸の腕が、かなり乱暴に邪見の服を掴みあげた。ああよかった、とが胸を撫でおろしていると、殺生丸はなぜかものすごい速さで地上へ向かっていく。


「せっ、殺生丸様お待ちください!」


掴みあげられたままの邪見がそう言っているのが遠くに聞こえるくらい、殺生丸はあっという間にいなくなってしまった。は何とかそれに

追いつこうとしたが、そのとき再び白霊山から衝撃が響き、大地が割れてたちの足を阻み、すっかり殺生丸を見失ってしまった。


はりんを支えながら、必死で阿吽にしがみついていた。






殺生丸が奈落の姿を捉えたとき、容姿も妖気も、明らかにこれまでの奈落とは異なっていた。遠目にだが、巫女服を着た女…桔梗が、地割れの底に落ちていくところが見える。怪しく笑う奈落のもとに、殺生丸は降り立った。


「たかだか女一匹片付けるのに、念のいった事だな、奈落…」
「殺生丸…か」


奈落が首だけで殺生丸に振り向いた。


「貴様までわしを追ってくるとは…意外だったな。そんなにわしに興味があるか」
「ぬかせっ。貴様の方からやたらとちょっかいを出してくるから…」
「さがれ邪見」


奈落に向かっていこうとした邪見を一言で諫める殺生丸。その鋭い双眸は、奈落に向けられたままだ。


「結界から出てきたということは、少しはマシな力を付けてきたということか…」
「……試して見るか?」
「ふっ」


嘲笑を浮かべるのが早いか、素早く闘鬼神を抜いて奈落に斬りかかる殺生丸。だが、殺生丸の放った斬撃は、奈落の体を包み込んだ光に飲み込まれていった。


「くくく…殺生丸…貴様の剣の力…そっくりそのまま返してくれるわ」


殺生丸の放った斬撃が、光の塊になって奈落の周りに現れる。やがてそれらは一斉に、地を這うように殺生丸達へと放たれた。殺生丸はその衝撃を闘鬼神で受け止めるが、少しずつ相手の力に押され始める。


表情を険しくした殺生丸は、素早く飛び上がって再び闘鬼神を振りかざし、奈落の体を砕いた。だが奈落は体を砕かれても変わらず不敵な笑みを浮かべている。


「わしは死なん」


そう言い残して、ザァッと空へ消えて行った。


奈落が去っていった方向に顔を向け、匂いをたどろうとする殺生丸。そうしていると、後ろから足音が聞こえてくる。殺生丸は表情を変えぬまま、その人物を振り返った。


「殺生丸…」
「生きていたか、犬夜叉。どうやら奈落は…お前なんぞよりよほど"あの女"を殺したかったようだな」


殺生丸がそう言って視線をやった足元には、二つに割れた弓が落ちている。犬夜叉は慌てた様子でその弓を拾い上げた。


それは、確かに"桔梗の"弓だった。


邪見が少し離れたところで、地割れの底を見下ろす。そこには黒くどろどろとしたものが流れており、ものすごい瘴気が立ち上っていた。


「これじゃ、あの女助からんな」


邪見のその一言で、犬夜叉も察する。桔梗は瘴気の中に落ちたのだと。


殺生丸は何も言わず、その場を立ち去ろうと歩き出す。それに気づいた邪見が慌てて殺生丸の背中を追いかけると、犬夜叉の怒気をはらんだ声が響いた。


「待ちやがれ、殺生丸!」


殺生丸が歩みを止めた。


「てめぇ…黙って見ていたのか。桔梗が殺されるのを…」
「……貴様とあの女が如何いう関わりか…知りたくもないが…桔梗とやらを殺したのは奈落だ。そして…それを助けられなかったのは、犬夜叉、お前だ」
「!」


殺生丸の言葉に、犬夜叉は何も言い返すことが出来なかった。殺生丸の言葉は、まぎれもない"正論"なのだから。


「私に噛みつく暇があったら、奈落を追うことだな」
「だぞ」


そう言って、霧の中へ消えて行く殺生丸と邪見。犬夜叉はその背を見送りながら、ぎりりと奥歯を噛締めた。


守れなかった、桔梗を思って。






「っ!殺生丸!」


彼の姿をとらえると、はりんを抱えたまま全力で彼に駆け寄った。


殺生丸はに一瞥をくれると、に向かって何かを差し出した。


それは、白い紐だった。一瞬何かわからなかったが、すぐに思い当たるものがあって、は自分の体が震えだすのを止められなかった。


「これ、桔梗の…」


確かにそれは、桔梗が髪を結うのに使っていたものだった。


「殺生丸!これどこで?桔梗はどこに…!?」
「奈落に打たれ、瘴気の中に落ちた」
「っ!?」


殺生丸の言葉に、は目を見開いて、殺生丸に詰め寄った。


「うそ…。ねぇ、他に何か落ちてなかった!?髪飾り…!」
「巫女の弓以外は、何もなかった」
「っ」


の贈った髪飾りは、桔梗と共に落ちて行ったのだろう。はそう理解した。そして、桔梗は奈落の襲撃を受けたのだろうこともすぐに分かって、の目が一気に熱くなった。


「…何故、お前がそんな顔をする」


殺生丸が怪訝そうに尋ねる。


「だって…友達だもの…」


の言葉に、殺生丸は僅かに顔を顰めた。のいう「友達」が殺生丸にはよくわからなったが、今のの顔を見る限り、それがにとっては大切なものであろうことは、殺生丸にも分かった。


はじわじわと浮かんでくる涙をぐっと堪えると、殺生丸の目をまっすぐ見据えて言った。


「桔梗は、きっと生きててくれる」
「…」


恐らく自分に言い聞かせているのだろう、殺生丸はそう思って、にわからないように軽く溜息をついた。


の考えていることは分かっても、どういった心情でそんな風に考えるのかは、殺生丸にはわからなかった。そして、今まではそれを理解しようなどと思わなかった、そもそも人間の気持ちを考えることなどしなかった自分が、それを少しでもわかろうとしてしまっている。なんとも言えない不快感が殺生丸の中に湧き上がり、しかしそれを口に出すこともできず、結局いつも通り、それ以上考えないようにするよりほかにないのだった。


何も言わないまま、静かに歩きだす殺生丸。その後ろを、がどこか弱々しい足取りでついてくる、その気配を感じながら、もう一度静かにため息をついた。



2005.01.29 saturday From aki mikami.
2020.12.09 wednesday 加筆、修正。