夢見師の村


桔梗から聞いた「北の方角に夢見師の村がある」という話を頼りに、と殺生丸は北を目指した。邪見とりん、阿吽は、近くまで一緒に来たものの、今は別に行動している。自分の個人的なことに巻き込みたくないという気持ちと、殺生丸の「人の面倒を見ている余裕があるのか」という言葉に自信をもって返答することが出来なかったからだ。


具体的な場所はわからなかったものの、途中途中で殺生丸がすれ違った妖怪たちをかなり強引に問い詰めて、それらしい場所を探し、そしてたどり着いた。


…森の中に、強力な結界が貼ってある場所に。


殺生丸は闘鬼神を抜くと、結界に向けて振り下ろす。だが、その刀身は音を立てて淡い光を放つ結界に拒まれてしまった。も雨月刀で続くが、殺生丸同様弾かれてしまう。どうら奈落の結界のように上手くは行かないらしかった。


「…どうしよう」


が呟いて殺生丸を見上げるが、彼はそれに何かを返すこともなく、じっと結界に視線を注いでいる。おそらく何か考えてるのだろうとは思ったが、そうなるとが余計な口を挟んでしまうと彼の機嫌を損ねる可能性がある。


は仕方なく、視線を殺生丸から結界へと戻して、先ほどと同じように雨月刀を振り下ろした。無駄だろうとは思っていても、どうせほかにすることもなかったのだ。


ふと辺りがざわついた気がして、は視線を巡らせた。だが、特に人影はない。…しかし、確実に何かの気配を感じていた。殺生丸を見上げると、彼もどこか警戒したような表情をしている。


再び辺りに視線を巡らせるが、はやり姿は見えない。森の中にいるせいか、気配に取り込まれているような…包まれているような気さえしてしまう。どこからか、人の声が聞こえてくるような気もする。


そのとき、強い風が吹き抜けて、は思わず目を瞑った。風はの体を巻き上げるように吹き、あまりの強さに足がふらつく。殺生丸に助けを求める余裕もないまま、半ば突き飛ばされたようにして結界の方に倒れ込む。そして倒れこんだの体は…そのまま結界に飲み込まれてしまった。


一部始終を見ていた殺生丸は、自分も結界の中に入ろうと手を伸ばすものの、先ほどの闘鬼神と同じように阻まれてしまう。結界の中のものはどうやらだけを向かい入れたいようだった。


だが、そんなことは殺生丸には関係ない。殺生丸は再び闘鬼神を抜くと、振りかぶって結界を斬りつけた。遠慮も何もない。とにかく力づくで結界を壊してやろうという考えだった。






「なんなの、一体…」


ようやく風がやんだところで、は地面に打ち付けた体を何とか起こしながら呟いた。自分の身に何が起こったのかはよくわかっておらず、ただ、顔を上げた瞬間目に入ってきた光景に、思わず息を飲んだ。


「すごく、きれい…」


太陽に揺れる草々と、水面がきらきらと光る池。澄んだ空気。そして、周囲の木とは比べ物にならないほど高くそびえ立っている巨木。


そこは先ほどまでいた結界のある森とは明らかに違っていて、もしかして自分が結界を超えてきてしまったのだろうと、は瞬間的に思った。そして、これほど清らかな空気が流れていることから、ここが夢見師の村である可能性も高いように思えた。


まだ多少痛む体を抑えて立ち上がり、巨木へと歩み寄る。どれほどの時を生きてきたのだろう、その幹の太さはの何倍もあり、まるで何かを語りかけてくる様な迫力と雰囲気があった。


どこか懐かしさのようなものを覚えて、は巨木に両腕を回す。小さく囁くような鳥の声が、耳に心地よく届く。風も先ほどのような強さはなく、さらりと頬を撫でていき、木の葉がかさかさと音を立てた。


殺生丸とはぐれたことも忘れかけて、心地よさにじっと目を閉じていたその時。


『―――おかえり』


「…へ?」


どこからか聞こえた声に、は驚いて木から離れ、あたりを伺う。だが人影は見当たらない。


『おかえり、
「っ!」


まるで頭の中に響いてくるような声。今度は先程よりもはっきりと聞こえ、人の気配を探すが、やはり誰かがいる様子はない。


「貴方、誰?」
『―――私は時代樹』
「時代樹…?」
『今、お前の隣にいる』
「…もしかして、この木?」
『そうだ』


が目の前の巨木にそっと触れると、優しい声音でそう返ってくる。信じられない思いもあったが、は驚くほど自然に、その事実を受け止めていた。初めて触れ合ったはずなのに、懐かしい気持ちが、じんわりと湧いてくる。


「私…ここに来るのは初めてのはずなのに」
『お前の魂は、以前私と出会っている。だから、おかえり』
「え?それって、どういう」


が巨木を見上げると、ふいに背後から人の走る音が聞こえた。そして、誰かを捜すような声も。時代樹の声は、もう聞こえない。足音は、だんだんの方に近づいてきていた。


「どちらにいかれたのですか!?」


そう叫ぶ女の声に、は思った。


逃げなければ。


素早く身を翻して走り出す。自分でもどうして逃げ出したのかわからなかったが、そうしなければいけないような気がした。あの声賭けからして、侵入者を捜しているような声ではなかった。侵入したことをとがめられたとして、きちんと事情を話せば、理解して貰えるかもしれない。そう思っているのに、足は止まらない。


しばらく木々の間を縫って走っていただったが、やがて開けた場所に突き当たる。咄嗟に身を隠したくても、低木ばかりで隠れることはできない。


後ろの方で「いたぞ!」と男の声が聞こえる。どうやらの事を捜している相手だと思っている様子で、の方へと駆け寄ってくる。何処か身を隠せそうな場所はないか、そう思ってあたりを見回すと、少し先に小さな倉が見え、は咄嗟にそこへ逃げ込んだ。


走ったせいで荒くなる息をこらえる。外へ耳を傾けると、なおも人を捜すような声が聞こえてくる。倉の中は窓がないため、真っ暗で外の様子も伺えない。黙っていると、不安がこみ上げてくる。殺生丸は大丈夫なのか、ここは本当に夢見師の村なのか、先ほどの時代樹の言葉はどういう意味なのか。


悶々と思考を巡らせていると、突如ものすごい勢いで倉の扉が開かれ、突然入ってきたまぶしい光には咄嗟に手で顔を覆った。


「ここにいらっしゃいましたか!」
「っ」


逆光で顔は見えないが、そこにはおそらく、先ほど声を上げていた女が立っている。腰に手を当て仁王立ちしているのが、影でわかる。


こうなった以上、事情を説明して、わかってもらうしかない。そう思って、が顔を覆っていた手をよけると、歩み寄ってきた女がその手を強くつかみあげた。


「もう逃がしませんよ! 様!」
「…え?」


様、と呼ばれたその名前に当然聞き覚えはなかったが、目の前の女はどうやら、のことを別人と勘違いしているようだった。倉の中が暗くて顔が見えないので勘違いしているのかとも思ったが、女に引かれて倉から出ても、女はの事を「様」と言い続け、何やら説教を始める。


は、自分がよほどその「様」と顔が似ているのかと思ったが、それよりもこの状況をどのように説明して誤解を解こうかと考えていた。目の前の女は、いまだの事を勘違いしたまま説教を垂れ続けている。合間に口を挟むこともできそうになく、かなり口うるさそうな印象だった。


それからしばらく女の説教を聞かされ、ようやく口を挟もうと思ったら、男が数名やってきて、を逃げられないように両側から抑えつけながら、引きずられるようにいずこかへ連れていかれるのだった。


その間、はあっけにとられてしまい、結局なにも事情を説明することが出来なかった。



2005.02.01 tuesday From aki mikami.
2021.01.13 wednesday 加筆、修正。