酷似


あれからは、引きずられて屋敷の中に連れられた。そして、結局誤解をとけぬまま、走りまわって汗をかいているからと風呂に入らされ、何やら"儀式"があるから正装に着替えろと言われ、これまで袖を通したことのない絢爛な着物と共に一部屋に押し込まれてしまった。


「さあ、曖様。早く着替えてくださいませ」
「は…はぁ」


同じ部屋には、着替えを助けるための女中と思われる人物が二人、それに先ほど口うるさくをしかりつけていた女。会話の流れからして、女は「曖様」という人物のお付きのもののようだった。相変わらずが別人である事に気づく様子はないため、よほど「曖様」と自分の顔が似ているのだろうとは思った。


ここまであまりの勢いに何も言い出せずされるがままになっていただったが、さすがにそろそろ本当の事を言わなければ、自分が「曖様」とやらの代わりに「儀式」なるものを行わなければならなくなる。


は意を決して口を開いた。


「…あの」
「なんでございましょう、曖様」
「あの私、曖様じゃないんです」
「…はい?」


呆れかえった顔でいう女。おそらくくだらない冗談を言っていると思っているのだろう。こうしてしゃべっても正体が見抜けないとなると、声まで似ているのだろうかと思って、は少し困惑してしまった。


「あの、私、っていいます。その、曖様っていう人とは別人です」
「なにを馬鹿なことをおっしゃっているんですか。もう少しまともな冗談をおっしゃってください」
「いや、冗談じゃなくて…」
「儀式まで時間がないのですよ。いい加減当主としての自覚を持ってくださいと、先ほども申し上げたはずです」
「ほ、本当なんです。私、結界を通って外から来たんです…夢見師の村の事を知りたくて…」
「結界を通るものがあれば、我々が気づきます。…はぁ。もう結構です。さあ、こちらにお召し替えを」


女中がきらびやかな赤い着物をの方に差し出してくる。女の態度はかたくなで、取り付く島もないといった様子だ。は困り果てて、差し出された着物を見つめた。


「(やっぱり、着替えるしかないのかな…)」


どうしたら誤解がとけるだろうかと、必死に考えを巡らせる。いっそのことこのまま儀式に臨んで、とんちんかんなことをしてしまえば、自分が「曖様」ではないとわかってもらえるだろうか、そんなことも考える。


厠に行くふりをして、逃げよう。そう思って口を開きかけたとき、廊下からかなり騒々しい足音が聞こえて、は口をつぐんだ。足音は一人分。まさか殺生丸がこんなにやかましい音を立てるわけもないので、おそらく屋敷の人間だろう。足音はだんだん近づいてきて、やがてこの部屋の前で止まる。そして勢いよく襖を開け放った。


「ちょっと、偽物ってどういうこと!?」
「っ…!?」


そこには、とそっくりの少女が、驚いた顔で立ち尽くしていた。






未だに結界は破れそうになく、殺生丸は苛立っていた。手加減も無しで、半ばやけになって闘鬼神を振り下ろしているが、結界には傷がつく気配すらない。


は間違いなく結界の向こうにいる。もちろん、が自分から戻ってくる可能性もないわけではないが、そう断定できる要素は何もないし、ここにいてもやることがない、何より殺生丸にも破れない結界の存在そのものが、彼には気に食わなかった。


もう一度闘鬼神を振り下ろそうとしたとき、ふと何者かの気配を感じて、そちらに向けて闘鬼神を振り抜く。彼に向けて放たれた矢は、彼にあたる寸前に闘鬼神によって弾き落とされ、地面に転がる。殺生丸が矢の出所に視線を向けると、少し離れた木の太い枝に、式服を来た女が一人立っていた。飛び上がって女の元に近づき、闘鬼神で斬り捨てる。


斬った瞬間、いや、斬る前から殺生丸にはわかっていた。女が「生き物」ではないと。


女の体は血しぶきを上げることもなく、ひらりと地面に向けて落ちていく。…そう、一枚の紙となって。


「…式神、か」


落ちていく紙を見ながら、殺生丸がぽつりとつぶやく。式神は、霊力を持つ人間がよく使う手だ。夢見師がと同じように霊力を持つ者たちの集まりであるならば、この式神も夢見師の村を侵入者から守るためのものであるに違いない。


やはり、ここが夢見師の村。そう確信した殺生丸は、再び結界に向けて闘鬼神を振り下ろす。式神がこうして殺生丸を襲ってくるということは、こちらの存在が中の人間たちにばれているという事、であれば、が今どんな状況にいるにせよ、自分がここで派手に動いておいたほうが、中にいるも身動きが取りやすいだろうと考えたのだ。


何よりも、こんな結界にいつまでも阻まれているのは、殺生丸の自尊心が許さない。


「人間ごときがこの殺生丸を退けようなど、片腹痛いわ!」


言葉ともに結界に向けて闘鬼神を突き立てると、結界がものすごい光と音を立てて崩れていった。






「曖様が…二人!?」


女中の一人がそう叫んだことで、止まっていた場の空気がようやく動き出した。


「ちがう。曖は私よ…!」


の視線の先にいた彼女が言って、手にしていた薙刀をへ突き付ける。


彼女の顔は、に瓜二つだった。顔だけではない、歳のころや、声、体格、微妙な表情まで、まったく同じだった。


「貴方…一体誰ですか?一体どんな妖術を使ったの?!」
「妖術なんて…!」


自分の姿は妖術など使っていない、正真正銘自分の姿だと弁明したくても、この状況ではとても信じてもらえるはずがない。ただこのままでいても自分の身を危険にさらすだけになってしまう。


がなんと答えたらいいか戸惑っていると、廊下をものすごい音で走ってくる音が聞こえ、その足元がこの部屋に近づいてくると思ったら、開け放たれた襖の向こうから勢いよく女が駆け込んできた。


「曖様!大変です!」


叫びながら女中と思われる人物が曖に詰め寄っている。彼女のあまりに慌てた様子に、それまでと曖を見ていた周囲の人間も皆彼女に視線を向けた。


「何事?」
「刹那です!刹那が結界を壊して、侵入しました!」
「っ!」


女中の言葉に、曖は目を見開いて驚いた。それを聞いていたは、どういうことか状況がつかめず、周囲に気取られない程度に顔を顰める。


この状況で、結界を破って侵入するのはきっと殺生丸だろうと思うのだが、刹那という名前に当然聞き覚えはない。ということは、殺生丸以外の誰かが結界を破って侵入したという事なのだろうか。しかし、そうであるなら殺生丸はどこに行ってしまったのか。殺生丸ならば、自分以外に結界を破ろうとしているものがいるならば、その相手を殺してでも自力で結界を破ってきそうなものなのに。がこの場でいくら考えても、当然答えは出ようはずもなかった。


ただ一つ確かなことは、今が逃げ出す絶好の好機だという事。


「(今のうちに…逃げなくちゃ)」


立ち上がって、雨月刀を持って走り出す。突然逃げ出した怪しい人物を放っておくはずもなく、曖や女中たちが後ろから追いかけてくるのが分かる。それでもはひたすらに、人の気配がしない方へ走った。これ以上追手が増えてしまえば、逃げようにも逃げられなくなってしまう。とにかくまずは殺生丸と合流して状況を整理しないと、にも何をどうしたらいいのかわからなかった。


ややしばらく走っていくと、先ほど通りがかった時代樹が目の前に見えてきた。そしてその先で、何者かが戦っているのも見えた。遠目ではあったものの、その軽やかな身のこなしと翻る銀髪で間違いなく殺生丸だと確信したは、息が切れて苦しい胸を押さえつけて全力疾走する。の気配に気づいたらしい殺生丸が彼女を振り返ると、わずかに顔を顰めた後、自分に向かって飛んでくる矢を闘鬼神で払いのけた。


「殺生丸!見つかってよかった…」
「見つかったのはお前の方だ。勝手にいなくなったのもな」
「あ、いや…そういうつもりじゃ…」


言い方が悪かったかと訂正しようとしただったが、それについて何かを言うより早く、二人に向けて矢が放たれる。殺生丸はを押し退けると、その矢を薙ぎ払い、飛び上がって矢を放った式神を切り裂いた。


「これはっ」
「式神だ。人間ではない」
「ってことは…斬っても人間に害はないってことよね」


ぐるりとあたりを見回して言う。殺生丸は答える代わりに再び闘鬼神を構えた。目に見える数はそれほど多くはないものの、ここからさらに数が増える可能性もある。それぞれの戦力は大したことがないとは言っても、数が多くなると対処が難しくなってくるし、何より落ち着いて話が出来ない。


さてどうしたものかと考えていると、背後にいる殺生丸が何故か息をのむのが分かった。だが、には殺生丸が息をのむ理由がわからなかった。強力な妖気を感じるなどということもないし、この状況でそれ以外に殺生丸が驚くようなことも思いつかない。一体どうしたのだろうと、首だけを後ろに傾けて殺生丸に呼びかける。


その時、視界の端に何者かが走ってくるのが映って、ようやく一つ思い当たるものがあった。殺生丸はより目も鼻もいい。の視界に映っていなくても、殺生丸が彼女を捉えていたとしたら。


「…刹那!」


今度こそ体ごと殺生丸に向き直ったとき、ちょうど曖がこちらに走ってきてそう叫んだ。…そして、何のためらいもなく、殺生丸の胸に飛び込んだ。


は頭が混乱して、何も言葉を発することが出来なかった。そして殺生丸も状況がつかめず、彼にしては珍しく驚いた表情でと曖を交互に見やった。



2005.02.04 thursday From aki mikami.
2021.04.05 monday 加筆、修正。