裏切らない


天生牙を握る殺生丸は、女をにらみつける。だが、女の方はくすくすと笑った。


は、殺生丸の方をちら、と見やった。殺生丸が怒る、何てことは、珍しいことだ。それだけ女の言葉が、彼を逆撫でするものだったのだ。


「…怒ってる顔、素敵ね」
「ふん。しゃべるな、虫図が走る」
「ひどいわ。私は貴方みたいな人、好きなのに」
「くどい」


殺生丸が天生牙を振りぬく。すると、巨大な三日月が現れて、女の体を飲み込んだ。


「、やった!」


もそう思った。けれど、女の体はなぜか、三日月が消えた後もその場にあり続ける。


「! どうして!」
「―――」
「残念でした。私の体は実体じゃないから、吸い込むのは無理ね。…ねぇ、それより殺生丸。貴方もわかるでしょう?『他人なんて所詮他人。支配して、動かすもの』―――信用なんて出来ないわ。そうでしょう?」


信用。その文字を、殺生丸は何度打ち消しただろうか。そんなものは、妖怪には必要ない…ずっとそう思っていた。のことを考えるたびに、思い浮かべずに入られない文字だ。―――信頼、信用。


「―――以前の私ならば、はっきりとできないと言えただろうな。…だが、今はそうも言えない」
「え?」
「信頼、しているはずだ。認めたくはないが、"そう言うものを抱いている"と認めざるを得ない」
「何、それ…わけがわからないわ」
「戦の最中。 背中をまかせてもいいと思えると言うことは、少なからず信用しているということだ」
「、殺生丸!」
「一人でも、戦える。だが、共に戦うものがいれば、もっと楽に戦える」
「―――貴方も、わかってくれないのね」


ふわり、と女の体が浮き上がる。


「みんな、そう言うわ。でもその割には、最後には平気で仲間を裏切る…自分より強いものに従い、それより強い者がいればまた更にその物に…結局他人を自分のもとに留めておくには、力しかないのよ。…他人なんて、信用できるか!」


大きな音と共に地面が揺れる。女の体は更に浮き上がり、岩が盛り上がって彼等を襲った。紫浪と亜矢根は、その場所からもう少し離れた木の上へと飛び上がる。殺生丸も、を連れてその場から退こうとしたが…なぜか、の姿が見当たらない。わずかな焦る気持ちを隠して、殺生丸は彼女を探した。すると、祠の脇に桜模様の着物。


「―――っ」


思わず声を荒げ、彼女を掴んで飛び上がる。


「っ、きゃっ」
「…死にたいのかっ」
「ごめん、でも…これ!」


少し離れた岩場にを下ろすと、ずいっと差し出される。…それは亜矢根や紫浪を苦しめていた、緑色の数珠だった。


「―――、これは」
「祠の所に落ちてたの。ねぇ、殺生丸…もしかして、あの人、この数珠の力で…」
「―――なら、これを壊してしまえばいい」
「だめよっ、とにかくあの人と話を…」


は、女を振りかえる。。力がおさまった岩場は先ほどまでの平坦さを失い、歩くのも困難になっている。


「…貴方は、悲しいのね、裏切られたことが。だから、同じ思いを持っていた亜矢根さんに、心が同調しちゃったんだね」
「何を、わけのわからないことを」
「ねぇ。貴方の気持ち、わかるよ。人間…ううん、妖怪も。感情のあるものって…自分勝手で、他人と上手く付き合えなくて…でもね、だからこそ楽しいって言うのもあると思う。だって全部思いどおりになったら、面白くないもの。絶望することだって、ないわけじゃなかったけど…私はそれを頑張って乗り越えて、そうしたら、楽しい事が待ってた。…殺生丸と一緒に旅をしてて思ったの」
「…それは、あんたが幸せな道を歩いてきたからよ!あんただって、私と同じ立場になればきっと…!」
「そうかもね。…でも、私には今、殺生丸がいる。…彼がいるから私、何ともないよ。殺生丸は私を裏切らないから」


秋はゆっくりと、手に持ったままの数珠を広げる。


「―――一緒に行こう、村に。こんな寂しい場所じゃなくて、みんなのもとに行こう。…大丈夫。そこのみんなはきっと、温かく迎えてくれる。…私が保証する」
「―――、」


女の体が、すけはじめた。その光景を、殺生丸は眺める。


「―――裏切らない、か」


呟いた言葉は、誰にも届かずに風に乗って消えた。



2006.06.29 thursday From aki mikami.