梓山


ある日、は夢を見た。琥珀が妖怪に追いかけられている夢を。


目が覚めた瞬間、冷たい風が頬に刺さって身震いした。…昨夜は閉じていたはずの襖が開いている。ということは、誰かが外に出たということだ。まだ日も昇りきらないうちにおきるなんて、一人しかいない。


「…殺生丸?」


隙間から顔をのぞかせると、彼は階段に腰を下ろしていた。


「…どうした」


振り返らずにそう答えた殺生丸。


「何か目が覚めちゃって」
「悪い夢でも見たか」
「…うん」


殺生丸の隣に腰を下ろすと、は白み始めた空を見上げた。


「琥珀君が…妖怪に襲われてる夢」
「予知夢か?」
「わからない…意識してたわけじゃないし…でも…」


言いようのない不安。はちら、と殺生丸を見やった。


「…結構ありえる話…よね?」
「そうだな」


できれば否定してほしかった、と思うだが、本当のことなのだから仕方ない。殺生丸は気休めを言わない。


は立ち上がって、遠く広がる森へ目を走らせた。…落ち着かないのはきっと、さっきの夢のせいだ。だが本当は気づいている。や殺生丸の目が届かぬ場所で、何か…明らかによくないことが起こっている。


「ねぇ、殺生丸」
「なんだ」
「みんな―――どうしてるかな」
「みんな?」
「犬夜叉たち。…ほら、あの蜘蛛の糸…」


間違いなく彼らにも同じことが起こったはずだ。かごめも桔梗も犬夜叉も、それぞれ強い心を持っているとはいっても…


「あの3人は、正直…事情が複雑だからなぁ…」


いつかかごめにきかされた、桔梗と犬夜叉の過去、かごめと犬夜叉の今、そして桔梗とかごめの気持ちと、関係。


「大丈夫、かな」
「あいつらがどうなろうと、私が知ったことではない」
「まぁ…殺生丸にはそうかもしれないけど…」


にとっては、大切な友達。それに殺生丸も、彼らが簡単にやられることを望むとは思えない。


「ねぇ、殺生丸…犬夜叉たちに会えないかな」
「会う必要がない」
「殺生丸は、犬夜叉を自分で倒したいんでしょ?それに会えたら奈落の居場所もわかるかもしれないし…!」
「そう都合よくいくとは思えぬがな」
「っ、でも!」
「――――…!」


突然、殺生丸が立ち上がる。目を丸くしたに、小さくつぶやいた。


「…奈落の臭い」
「え?」
「白夜とかいったか…やつと…琥珀という子供の臭い」
「っ!」
「…いくぞ」
「うん…!」


ちょうど、日が昇り始めたときだった。


あたりが明るくなると同時に、殺生丸がを捉える。


どこか、不安げな表情だった。






「あきらめろ、琥珀。奈落からは逃げられない」


白夜がそういった瞬間、琥珀の視界が揺らぎ、地面に倒れこんだ。腕に巻きついた蛇が彼の体に食いついてくる。


「瘴気の毒だ。持ち帰る前に四魂のかけらを汚しておかないとな」


琥珀の四魂のかけらへと手を伸ばす。だがその瞬間、黒い三日月が白夜の斜め上をかすめていった。静かな足音とともに現れたのは、殺生丸。


「びっくりしたなー、もう。なんだい、今の技?」
「―――魍魎丸の臭いが消え去った。さしずめ食ったのは奈落か」
「……」


殺生丸の言葉に答えることなく、白夜はうっすら笑った。


「で?琥珀を助けにでもきたのかい?そんなガラに見えないけどな」
「気に食わん臭いがしたので斬りにきた。それだけだ」
「それはそれは…」


白夜が懐から小さな折鶴を取り出す。同時に風が舞い上がり、白夜は鶴に乗り去っていく。


「退散しとくよ。通りすがりに斬られちゃたまらんからな」


空の向こうに消えていくその姿を、殺生丸はにらみつけた。安全だとわかったりんと邪見が木陰から飛び出し、倒れている琥珀に駆け寄る。も、二人の後ろから琥珀へと手を伸ばした。


「さわるな、りん、


その言葉に驚いて彼を向くと、ちいさく毒ヘビだ、といわれ手を離す。だが残念なことに…


「邪見さまがかまれた」


いったいいつのまにそうなったのか。しくしく泣く邪見を見やって、殺生丸は心からあきれた。だが放っておくわけにもいくまい。仕方なく爪でヘビを引き裂いた。


先ほどよりも余計な涙を流す邪見と、殺生丸様強ーい、と感心するりん。だが殺生丸は二人に一瞥をくれただけで歩き出す。


「待って…殺生丸」


が呼び止めると、殺生丸は立ち止まってゆっくりと振り返る。これから彼女が言い出すことがわかっているからだろう…機嫌は頗る悪い。


「…琥珀君が…目覚めるまで待って」
「その小僧がどうなろうと知ったことではない」
「そうだけど…でも!」
「……面倒は御免だ」
「っ…」
「―――…面倒はお前が見ろ」
「! ありがとう!」


きっとそういってくれると思ってた、というに、殺生丸は冷ややかな目を向けた。だがそれは一種の照れ隠しのようなものである、そしてそれを、もちゃんとわかっている。


は琥珀を抱き上げると阿吽の背中に乗せた。






広い原に面した川辺で、一行はそれぞれ体を休めていた。琥珀の体を蝕んでいた毒は。とりんが見つけてきた薬草でだいぶ抜けてきている。りんがつい先ほどまでかかりきりでいたが、今はつかれて琥珀の横で眠りこけている。


仲良く並ぶ二人を横目に見て、は川原の岩に座っている殺生丸のほうへと歩いた。


「…琥珀君、だいぶよくなったよ」
「そうか…」
「うん。…りんちゃんも寝ちゃったの」


隣に立っていると、目線を向けられた。…すわれ、といっているようだ。


は彼の隣にしゃがみこんだ。二人何もしゃべらないままで川を見つめる。そこに、阿吽の手綱を引いた邪見が戻ってきた。


「殺生丸さまぁ!」


走ってきたようで。ぜえぜえ肩で息をしている。


「や、やはり梓山で何かっ、あ、たっ、よです!」
「梓山?」
「霊山だ。…桔梗という巫女と、かごめという女の仕業だろう」


殺生丸の見つめる先には、薄い靄がかかった山があった。


…お前の力で、何があったのかを見せろ」
「え…?」
「どうせお前も気になっているのだろう。犬夜叉たちのことが」
「うん…あの、殺生丸も…気になるの?」
「…」


そうがたずねるが、彼は答えなった。気になるといえばもちろんそうなのだが、のたずね方が"もっと深い部分"をたずねているような気がして。そんな殺生丸の心境がわかったらしいは、くす、と小さく笑みを漏らした。


「じゃあ、殺生丸のご要望にこたえまして」


うっすら目をつぶる。やがて右手が水へとかざされ、先ほどまで映っていた二人の姿は消えていた。変わりに写ったのは…


―――弓を片手にしたかごめが、桔梗と対話する姿。


だが、普通ではない。かごめは崖から落ちかけ、桔梗はそれを助けようとしない。


「…これは」
「今梓山の中で起こっていることだろう」
「でも…桔梗がこんな…!」
「あの巫女は随分犬夜叉に執着しているようだからな。かごめという女が邪魔になったとしても不思議ではない」
「でも」


言いかけた途端、水鏡が大きく揺れる。消えてしまうのかと思ったが…そうではなかった。


「っ…これは!」


は、の言葉を思い出した。


『水鏡は、真実を写す』


水鏡には、蜘蛛の糸にしがみつき、蜘蛛の糸と対話するかごめの姿があった。



2006.12.16 saturday From aki mikami.