桔梗の花


しばらく空を見上げていると、見慣れた姿が飛んでくるのが見えた。


かごめたちと別れたあと、は阿吽の背中にすがり付いて、泣いた。冷たい空気を切って進む、その速度はゆっくりとしている。星が綺麗に見えていた。


桔梗は、最期は穏やかに笑っていたと、犬夜叉が言った。いつも険しい顔をしていた桔梗が、最期には何も背負わず、安らかだったと、そう言うことだ。は涙を拭って、透きとおる空を見上げた。


きっと桔梗は言うだろう。ずっと、犬夜叉やみんなを見守っている。だから泣くな、と。


いつまでも泣いているわけには行かない。前に進もう。自分自身に言い聞かせて、は無理矢理笑った。


殺生丸と阿吽がくれた、泣く時間。それももうすぐ終りだ。遠くだがぼんやりと光る焚火と、白い煙が見える。


「もう…泣かないよ。ね、阿吽」


そう言って背中にすりよると、阿吽はぐるる、と喉を鳴らして喜んだ。






ちゃんお帰りー」
「ただいま、りんちゃ…」


途中で言葉を止めたのは、りんの隣に座った琥珀の姿が目に入ったからだ。


「琥珀くん…」
「あの…貴方は、さん…ですよね?」
「…えぇ」


琥珀の瞳は、悲しみに満ちていた。はしがみついてきたりんの頭を撫でながら、琥珀に笑いかけた。


「久しぶり…ね」
「……はい」


頷く様子も、元気がない。…仕方ない。琥珀は桔梗と共に旅をしていたのだ。慕っていた、守られていた、守っていた。姉を守るために。…奈落を殺すために。


「桔梗さまの所に、行かれていたんですね」
「えぇ…」
「…聞かせてください。桔梗さまのこと…」






の話を聞き終わった琥珀は、思いつめた表情で皆の元から離れていた。そして呆けたように空を見上げる。


どうしたらいいのか、わからなかった。慰めの言葉なんて出て来ない。むしろ自身慰めが必要なくらいなのだ。今琥珀の隣に行ったら、一緒に泣き出してしまいそうだった。


焚火の前で話しこんでいるりんと邪見を置いて、はむこうの河原まで出ることにした。少しでも気を紛わせることができるのではないか。…そして、もしかしたら殺生丸が話しに来てくれるのではないかと思って。


河原までは少し遠かったが、水辺は気持ちが良かった。空気が澄んでいるし、星がよく見える。は大きくて平らな岩に腰かけて、上体を倒した。


ゆっくりと目を瞑る。深呼吸をして、空に手を伸ばす。星はつかめそうなのに、…桔梗は手の届かないところに行ってしまった。


何も出来なかった。だが、後悔しても遅い。悔やんだって仕方ない。


―――悲しみにくれるのは、今日だけ。


もう一度、目を瞑った。
川の流れ、風の音、虫の声…と、突然、気味の悪い感覚に捕らわれた。じっと見られているような…


「っ!」


身体を起こすとそこには、上から下まで真っ白な子供…神無が立っていた。


「―――…!あなたはっ」
「奈落が、これをあなたに渡せと」


そう言って神無がの膝の上に置いたのは、一輪の花と、黒い球体。が動揺している様子を一瞥すると、神無はすぐに興味が無さそうにその場を去っていった。


は、膝の上を見つめた。黒い球は何か分からないが、花は一目でわかる。


「…桔梗の花」


言葉にしてから気が付いた。これは奈落の"嫌がらせ"の一種なのだと。茎の中ごろからむしろ取られたそれは…"桔梗もこんな風に死んでいったのだ" そんな、奈落のせせら笑い。


は桔梗の花を引っつかんで、地面に花をさしてやった。


…無駄だとわかっていても、そうせずにはいられない。悔しい。悲しい。川の水を手ですくって、花の根元に沢山かけてやった。


手がすっかり冷たくなったところで気がすんで、ようやく屈めていた体を起こす。そこで視界にあの黒い球が移って、ようやく自分がそれを落としたとわかった。


途中まで手を伸ばして、はぴたりと手をとめた。


…これは、あの奈落がよこしたものだ。いいもののはずがない。…恐る恐る、指でつついてみた。


すると、それはまるでまっていたように鈍く光り出し、その光はの体を包み込む。大きく広がっていく、気味の悪い亜空間。その中に聞こえてくる聞きたくない声に、は思わず叫び出した。


『…
「っ!奈落!」
『叫ぶな。今日は何もしない。…"今日は"な』
「っ…!」


くっくっと低い笑みを浮かべた奈落は笑い終わるとすぐに本題を切り出した。


『さて…。今日はお前にいいことを教えてやろう』
「なっ」
『お前はもうすぐ…殺生丸に苦しめられる』
「っ、そんなことっ…あるわけないじゃない!」
『…見ているがよい。…これから殺生丸が何を…いや、お前をどうするのか』


ぐらり、と空間が歪んだ。そして気が付けば鈍い光は消え、あたりは元の河原に戻っていた。


川の流れ、風の音、虫の声…すべてが同じ…


「あっ…」


いや、すべてが同じではなかった。


がさした桔梗の花の隣にもう一本、桔梗の花が横たわる。やはり茎からちぎられている。


お前も 桔梗も…


背筋がぞくりとした。奈落の気持ちの悪い声が、聞こえたようで。


「っ―――違う!」


必死で、その桔梗を地面にさした。たくさん土を盛って風で倒れないように石で補強する。先にさした桔梗も同じように…そうして繰り返す間に、空は白みはじめていた。


無理矢理に補強された桔梗が、朝露に煌く。


「せっ…しょ、丸…」


か細い呟きを残して、は意識を失い、その場に倒れ込んだ。






その光景を見た瞬間は、流石の殺生丸でも驚いた。


朝日が煌く河原に、石に半分ほど埋もれた2本の桔梗と、倒れ込んだの姿。殺生丸はまずを抱き上げると、やわらかい草の上にゆっくり寝かせた。朝露に濡れた着物は、後から着がえさせればいい。


河原をもう一度見やった殺生丸は、あまりのわかりやすさにため息をついた。


"桔梗の花"で連想するのは、同じ名を持つ巫女。そしての着物から、僅かな奈落の臭い。何かをふき込まれたのは間違いない。2本の桔梗の花が、その証拠。


昨夜も"捜して"いたのだが、そんなものは中断してのそばにいてやればよかったと、少しだけ後悔した。…だが。


「(この桔梗…)」


が表現したかったことを、如実に表す様。


殺生丸は屈んで、小さい方の桔梗に軽く、口付けた。


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2007.03.03 saturday From aki mikami.