母親


が目を覚ましたとき、殺生丸はじっと空を見据えていた。


「りんちゃん…おはよう」
「あ、おはよー、ちゃん!」
「…殺生丸、何してるの?」
「わかんない。ねー邪見さま、殺生丸さま何してるの?」
「知るかっ」


りんに聞かれたからか、詳しいことを何も知らされていなくて拗ねているからか…はたまたその両方か。いずれにせよ、邪見の答え方はなげやりだ。


「ここ数日、何かを探しておられるご様子だが…」
「そんなに大切なことなのかなぁ?」
「そうに決まっとる」


確かにそうだろう、とはおもった。昨日、奈落が現れた河原に来なかったくらいなのだから…とまでおもいかけて、はふと思い出した。昨日の河原でのこと。自分はそのまま眠ってしまったはずなのに、とか、あの二本の桔梗はどうなった、とか…とにかく色々聞きたくて、は殺生丸の元まで駆け出した。


「殺生丸、あの、昨日は…」
「うるさい。黙っていろ」


集中しているときに話しかけるのはまずかった。そう思ってすぐに口を閉ざしたは、彼の視線の先を見上げた。


何かの気配、それを感じたとき、空に影が見えた。すらりと長い毛を持つ、大きな妖怪。優雅に空を飛んでいくその姿は…


殺生丸はその妖怪目掛けて空へ飛び上がった。顔が変化していき、本来の犬の姿を現す。2体の妖怪が並ぶ姿を見て、はますます思った。


―――…似ている、と。


殺生丸と妖怪は、すぐに地面におりたった。その場にたちが駆けつけると、殺生丸の正面に、美麗な顔をした女性。


「―――殺生丸に、似てる」


の呟きを聞いたものは誰もいなかったようだが、確かに二人は似ている。


「殺生丸…そなただったか」


どこか不審気に、女がいった。


「こりゃっ、きさま誰じゃい!殺生丸さまを呼び捨てに…」
「おおかた父上の形見の天生牙の話だろう。この母を尋ねてきたと言うことは…」


全員が、その場に立ち止まった。親子ならば、似ていても不思議はない。


は妖艶なこの親子を、じっと見つめていた。






「殺生丸そなた…人間が嫌いではなかったのか?」


空の城へとやってきて一番にかけられた言葉はそれだった。


「それが人間の子どもを2匹もつれて…おまけに奥の娘は霊力まで持っている。エサにでもするつもりか?」
「くだらん」


母の言葉を遮って、殺生丸は構わず自分の話を始める。


「天生牙の冥道を広げる方法…父上から聞いているはずだ」
「さあ…私はこの冥道石を預かっただけだから…」


半椀状の石の真ん中に、黒い宝石のようなものがはまっている。不思議な輝きを放っていた。


「冥道石?」
「殺生丸が訪ねてきたら使えたと。そうそう、こんなことも言っていたっけ…。冥道石を使えば殺生丸は危ない目にあうけれど、恐れたり悲しんだりしてはならぬと」


口元に笑みをたたえてまるで楽しんでいるかのように言った。それを聞いた邪見とりんはこそこそとそれについて話をしている。聞こえないとおもっているかもしれないが、おそらくは筒抜けだろう。内容次第では報復がまっているかもしれない。


「どうする殺生丸?母は不安でならぬ」
「ふん…心にもないことを」
「ならば、楽しませてもらおうか」


胸の前で冥道石に手が添えられると、黒い部分が光を放ち、そこから黒く巨大な犬が現れる。殺生丸は腰の天生牙を抜くと、冥道残月破を放った。巨大な三日月が現れる。


「これが殺生丸の冥道…か。円にはほど遠い」


つまらなそうに頬杖をついて、ポツリともらす。とても息子が危険な目に合う姿を見る態度ではない。


残月破で斬られたはずの黒い犬は、冥道をすり抜けて殺生丸の横を通り抜けた。


「んな!?殺生丸さまの刀で斬れない!?」
「それは冥界の犬。殺生丸、どうやらそなたの刀は毒にも薬にもならないようだな」
「こっちに来る!」


黒い犬が、りんと琥珀をその体に取り込んでしまう。そして、殺生丸の斬った冥道から中へ入ってしまった。殺生丸は小さく舌打ちをして、その後ろを追おうとするが…


「待て 殺生丸」


殺生丸の母は、そう言って殺生丸を呼びとめた。


「冥道に踏み込むつもりか?それも人間を救うために…ずいぶんと優しくなったものだな」
「―――犬を斬りにいくだけだ」


そう言うと、殺生丸は冥道に踏み込んだ。その瞬間黒い三日月は薄くなり、ついには完全に閉じてしまう。


「冥道が閉じた…」
「冥道が閉じたら最後、生きて戻っては来られない」


今閉じた冥道を見つめながら、殺生丸の母が言う。


「ああ、だからいくなといったのに」


よろ、と台座にもたれかかる…が、それは言ってないだろう、と残された邪見とは思った。


―――そう、はその場に残されてしまった。


殺生丸と共に冥界へ踏み込むことも出来ず、それどころか犬に襲われかけた琥珀とりんを助けることも出来ず。ただその光景を、茫然と見ていることしかできなかった。否、見ていることしかできなかったのではなく、"見ていなければいけなかった"のだ。が手を出そうとするたびに、殺生丸の母の視線に止められて。


「―――…娘よ」


不意に呼ばれて、は顔を上げた。


「そなたは、殺生丸のなんだ」
「え…?」


なんだ、と聞かれても。は答えられずに黙りこんでしまった。


「…まあよい。それよりそなた、その武器は殺生丸の牙だな?」
「え?あ、はい…そうです」
「そうか。…それを私に見せろ」


す、と手を差し出される。は進み出て、握っていた雨月刀を手渡した。


「あ、そうそう…娘、私はこれを見ているから、そなたは奥の部屋までいけ」
「え?」
「そこに鏡があるから、それを取って来い」
「……はい」


有無を言わせぬ言葉に、はわけもわからないまま頷いた。なぜ今鏡が必要なのか、なぜ雨月刀を取り上げたのか。―――何か意図がある。そう言う目をしていた。だが、まさか何を企んでいるんですか、とも聞けず、は仕方なく奥の建物へとかけていく。


殺生丸の母が、薄く笑っていた。






の気配が遠ざかったのを確認すると、すぐに雨月刀を床に放った。からん、と音を立てると、邪見が雨月刀と殺生丸の母を交互に見やる。


「あ、あの…御母堂様…?」
「あの娘…今のままでは殺生丸と共におられまい」
「え…?」
「それに殺生丸も…このままでは冥界に…」


くす、と笑う。


…まるですべてを楽しんでいるかのように。



2007.03.06 tuesday From aki mikami.