冥道


「道…」


暗く見通しの悪い空間に、細く長く続いている。


「(さしずめ冥界への一本道…か)」


そう殺生丸が思ったとき、道を走っていく黒い犬を視界に捉える。彼は鋭い爪でその黒い犬に切りかかるがかわされ、その衝撃で道が崩れて、穴が開いた。


そのとき、殺生丸は犬の体内にりんと琥珀を見つける。二人とも目を瞑って、殺生丸に気付かない。…生きているかどうかも、わからない。


りんの体の周りに、ぽつぽつとちいさな泡がわきはじめる。やがてその泡はあの世の使いへと姿を変える。殺生丸は腰の天生牙を抜き、癒しの力で犬に斬りかかった。犬の体は二つに裂け、りんと琥珀はずるりと吐き出されるように落ちてくる。


犬の体は道の両側へと落ちていき、遥か下の水の中に沈んで溶け消えた。


殺生丸はふわりと二人の元へ降り立つと、目をあけないりんにそっと、手をかざす。すると


「う…」


小さなうめき。…生きている。


殺生丸は、安著で小さく息を漏らした。






「あの世の使いも冥道犬も同じ冥界の妖…癒しの刀で斬り捨てたか」


送殺生丸の母が言うと、邪見は驚いて顔を上げた。


「え"っ…殺生丸様は天生牙の…癒しの力をお使いに!?」
「ああ。中でなにが起きているか手に取るようにわかる。―――この冥道石は冥道とつながっているからね」


と言う言葉を、邪見は半分聞いていなかった。もしかしてりんのみになにかがあったのではないかと思って。


「小妖怪」
「は!?私!?邪見と申しますが…」
「あの人間の小娘、殺生丸のなんだ?」
「なにと聞かれましても…ただ、長年おつかえしているこの邪見より、りんのほうがずーっと優遇されているとゆーか…」
「小娘は死ぬぞ」


薄く笑みを浮かべたまま、そう言いきった。


「え"…」
「小娘ばかりか殺生丸とて…」


冥道を抜け出さぬ限り命はない。その言葉を、あえて口に出さないが、容易に想像できること…邪見はおろおろと、殺生丸の母を見上げた。


「そんな」
「ああそうだ、小妖怪」
「はい…邪見でございます」
「…あのとか言う娘…あれは、殺生丸のなんだ?」
「え…?」


戸惑う邪見。なんだと聞かれても、困る。


「さぁ…ただ、はりんよりも優遇されている…気が…。それに霊力があるせいか、頼りにされているし…それに、には良く笑顔を見せているような…」
「殺生丸が…笑顔を?」
「ま、まさか殺生丸さまは、のことがっ!?や!そんなはず…!」
「うるさい。…しかしそうか。殺生丸が…」


呟いた笑顔は、嬉しそうだ。邪見はそれを、青い顔で見ていた。






鏡を取って来い、とは言っても、どこにあるとか詳しいことは何も聞かなかったので、はうろうろ歩きまわっていた。敷地がとにかく広いし、霧がひどくて前が良く見えない。人気はないし、音も聞こえない。しん、と静まり返った空間に一人、ぽつんと放り出されて、は僅かな不安にかられた。


もう戻れない…そんな気持ちになる。それを振り切ろうとして、は走り出した。


…しばらく走ると、霧のむこうに薄っすらと建物が見えてくる。そこに迷わず駆け出していって、勢い良く戸を開けた。瞬間、黒い闇に全身を飲み込まれる。足場が消えて、下へまっさかさまに落ちていく。


「きゃあぁああぁ!」


―――ぼふん。


何かやわらかいものに衝突して、落下が止まった。打ちつけた尻を抑えながら立ち上がる。すると、やわらかい感触には足元を見た。


「―――っ!」


そこにあったのは、巨大な鏡…だが、表面はへこむほどやわらかい。そう、まるで人の肌のように…


「―――…え?」


は、不気味なことに気がついた。いっそ、気付かなければよかったと思うこと。


鏡に映った自分が、にやりと笑っている。


つぷ、と鏡から手がのびてきて、の足を掴んだ。ものすごい力で、振り払うことが出来ない。そのまま引っ張られ、鏡の中に引きずり込まれてしまった。


『…やっと来たのね』
「きゃっ、なっ」
『驚かないで。…だって、あたしはあなたなんだから』
「っ…!」


くす、と笑う目の前の自分を見て、は恐怖を覚えた。


―――不敵な笑い。


これの正体を、自分は知っている。


『ここにいてね?…あたし』
「っ!」


思い切り肩を押され、その場に叩きつけられる。そしてもう一人のは、今が通ってきた鏡の道を通って外に出ていってしまった。はすぐに起き上がったが、鏡は先程のやわらかさがなく、真っ黒な空間とを映し出すのみ。何度も鏡を叩いて見るが、反応は無かった。


突然、鏡の中が大きく揺れた。その異変に思わず身を引くと、そこに一本道に座りこんでいる殺生丸の姿。


「―――殺生丸!」


それはどうやら、冥道の中の映像らしい。殺生丸のすぐ前に、りんと琥珀が倒れている。


『う…』


小さなうめきと共に、琥珀が目を覚まし、よろよろと体を起こす。


『殺生丸さま…りん…』
『―――おまえは動けるようだな。四魂のかけらの力…か』
『りんは…』


琥珀がそう訪ねた瞬間、殺生丸達がいる側の反対の道が崩れはじめる。骨の鳥が襲ってきて、殺生丸はそれを爪で引き裂いた。だがそれだけでは終らず、下の水の中から、黒い犬と同じような長い体を持つ妖が現れる。


『りんを連れて走れ!』
『はい!』


殺生丸が妖怪を斬り捨てる間、琥珀はりんを背中に背負い、道の向こうへと駆け出す。だが、琥珀の足元に妖怪が体当たりし、足場が崩れてしまう。そこを殺生丸は寸でのところで二人を抱えて、安全なところまで飛び立った。


『余計な手間をかけさせるな』
『は…はい…』
『この腕は…刀を振るうためのものだ』
『はい…』
『いくぞ、離れるな』


そう言って殺生丸は歩き出し、琥珀はりんを背負ったままそれについていく。進むたびに道は崩れていくが、妖怪は襲ってこなくなった。


…すすめ、と言うことだ。


は、鏡に両手を置いて、その手を強く握り締めていた。


―――この腕は…刀を振るうためのものだ


そう言った殺生丸の腕に、は何度包まれたか。何度触れられたか。…闘うためにある、ならば、闘いと関係のないことは、すべて無意味だということか。


―――二人の思い出も、すべて。


「―――っ!」


強く、鏡を叩いた。奈落のあの言葉が頭に浮かぶ。


お前はもうすぐ…殺生丸に苦しめられる


そんなこと、あるわけない。は確かにそう思った。だが、もし殺生丸が、をどうでもいいと思っていたら。との記憶など、当の昔になかったとしたら…


「―――…痛い」


心が。


はその場に座りこんで、鏡をのぞく。


…変わらず一本道を進む殺生丸。その横顔は前だけを捉えている。


「…こっち、みて」


その声は、当然届くことはなかった。



2007.03.07 wednesday From aki mikami.