笑顔


殺生丸は、りんをゆっくりと台座へ横たえる。だが息はしないし、体は徐々に冷たくなってきた。


「どうした殺生丸?浮かない顔だな」


そう言って、殺生丸の母は口元に笑みをたたえた。


「そなたの望みどおり、天生牙は成長し、冥道は広がった。少しは喜んだらどうだ」
「……りんがこうなることを…知っていたのか」


問いかけには答えずに、殺生丸は自分の疑問を問い返した。


「そなたは既に一度、小娘を天生牙で蘇らせたのだろう。―――天生牙で死人を呼び戻せるのは一度きりだ」


その言葉に、殺生丸は目を見開いた。


「当然だろう。本来命とは限りあるもの。そなたの都合で何度も救えるほど軽々しいものではない。そなた、神にでもなったつもりだったのか?天生牙さえあれば死など恐るるに足らぬと」


殺生丸はじっと目を伏せ、その言葉を聞いていた。…そう言うところがあったかもしれないと、少なからず思う。


「殺生丸、そなたは知らねばならなかった。愛しき命を救おうとすると同時に、それを失う悲しみと恐れを」


命を救おうとする心、失う悲しみと、恐れ。そのどれも、自分の中にはないと思ってきたものだ。…だが、今認めざるを得ない。りんの死を前にして、ようやく気が付く。


「父上はこうも言っていた。天生牙は癒しの刀、たとえ武器として振るうときも、命の重さを知り、慈悲の心を持って、敵を葬らねばならぬと。それが百の命を救い、敵を冥道に送る天生牙を持つものの資格だと」


確かに、今までの殺生丸にはそれがかけていて、この試練の末に知ることが出来た。…だが、それはりんの命と引き換えに得られたもの。邪見はりんの前で、大粒の涙を流した。


「小妖怪、泣いているのか?」
「邪見でございます。殺生丸さまはどんな時でも涙を見せぬご気性ゆえ、この邪見が変わりに―――」
「ほー。…悲しいか、殺生丸?」


表情には、ほんの僅かな変化しか見られない。だが、殺生丸が否定をしないと言うことは、肯定していると言うことだ。


「…二度目はないと思え」


殺生丸の母は言いながら、冥道石を首から外した。そして、横たわるりんにそっと掛けてやる。石が僅かに光りはじめると、すぐにその光はりんの全身を包み…、―――とくん、とくん、と、鼓動の音。


そしてゆっくりと、りんの目が開かれた。どうやら上手く息が吸えないらしい、少し咽こむと、殺生丸の手が優しくのびてくる。頬を包んで、そっと呟く。


「もう…大丈夫だ」
「はい…」


りんは心から安心して、ふわりと微笑んだ。それを見て、やっと心から実感できる。りんが生きていると。


だが、安心したのも束の間、殺生丸はあることに気が付いた。


の雨月刀が、地面に放り出されている。


「殺生丸さま、これ…ちゃんの…?」


台座から降りて、りんがそれを拾い上げる。確かにそれは、の雨月刀だ。…だが、が今まで、雨月刀をこんな風に扱ったことはなかった。殺生丸はりんからそれを受け取ると、の元まで歩み寄った。そして、彼女の方に雨月刀を差し出す。


「ありがとう。…でも、置いといて」
「受け取れ」
「今ちょっと、両手が塞がってるの」


そう言うは、満面の笑みを浮かべている。邪見はそれを見ると、殺生丸たちが冥界に行っていたときのことを思い出して、声を張り上げた。


「そうです!こやつ、殺生丸さまが大変なのをみてずーっと笑っておりました!元からおかしなやつだとは思っていましたが、やはり頭がおかしくなったんですな!」
「黙れ邪見」


二人のやり取りを見ているは、やはり笑みを絶やさない。殺生丸はの姿を、上から下までじっくりと射抜いた。


特別おかしな所はないはずだ。胸に鏡を抱えている以外は。操られている?そんな感じではない。ならば別人?否、それならば匂いでわかるはずだ。


「その鏡は何だ」


仕方なく、殺生丸は話題を変えた。その鏡を、どこかで見たことがある気がしたからだ。


「ただの鏡よ。殺生丸、貴方のお母さんに、頂いたの」
「…もらった?」


まさか、そんなはずはない、と殺生丸は思う。他人にものを上げるような性格でないことは、彼が一番良く知っている。


「…どうした、殺生丸?」
「……に、何をした」
「別に何も」


笑みが濃くなった。を手招きすると、鏡を受け取り、殺生丸の方へ突き出す。


「これも、普通の鏡だ。見ればわかるであろう」


確かに、見た目は普通の鏡だが、がおかしいのは"これ"のせいだと、殺生丸は直感した。


「邪見」
「は、はい!?」
はいつからこうなった」
「えっ!あ…はぁ…いつから…と申しますと、その鏡を取りに行って、帰ってきてからでしょうか」
「…取りに…行った?」
「え、えぇ。御母堂様にいけと言われて…。しかしいつの間に、貰うなどという話を…」


殺生丸は、記憶を辿った。この鏡は元々ここにあったものだとしたら、見たことがあったかもしれない。


りんはそんな殺生丸とを交互に見ると、殺生丸の手から雨月刀を取り上げ、に指し出した。


「はい、ちゃん」
「…」


はそれを、黙って受け取った。それに、りんは首を傾げる。そして殺生丸を振りかえった。


「殺生丸さま…この人やっぱりちゃんじゃないよ」


その言葉に、殺生丸はりんを振り返る。


「だって、ちゃんならありがとうって言うもん。それに、もっとりんのこと心配するはずだもん」
「そんな、りんちゃん…ちゃんと心配してるよ?」
「うそ!ちゃんどこ!?返してっ!!」
「…………何いってるの?りんちゃん」


くすくす、と笑い出す。りんの背丈までしゃがみ込んで、頭を撫でる。


「貴方にあたしの何がわかるって言うの?」
「っ…!」
「何も知らないくせに…」
「―――、やめろ!」


殺生丸は天生牙を抜いて、その切っ先をに向ける。


「…殺す?」
「っ…」
「別にいいよ、殺生丸になら殺されても。所詮"その程度の存在"ってことでしょ」
「何を…言っている」
「…貴方の中のあたしが、大した事ないって話」


その言葉に、目を見開いた。…殺生丸の中の、それが、小さな存在であるはずはないのに。他を慈しむ気持ちを彼に見せ続けてきたのは、ほかならぬだったと言うのに。


殺生丸は天生牙を鞘に納めると、の前まで歩み寄った。


…違う、"これ"はではない…そう思うのに、彼女の言葉が胸に突き刺さる。


「っ―――!」


右手を高く振り上げて、の頬めがけて叩きおろす。パシ、と小気味のいい音が、その場に響いた。…だが、叩かれたと言うのにはにやりと笑っている。ぐらり、と体が倒れて、自分から彼の胸に倒れこんだ。


「っ、」


ではない。違う…わかっているのに、振り解けない。殺生丸の右手は、の左肩に触れる寸前で、ピタリととまっていた。振り解かなければ。きつく目を瞑り、手に力をこめる。


だがその瞬間、悲しくなくが脳裏に浮かんだ。


「…離れろ」
「自分で引き離せば?」
「っ」
「冗談よ」


そう言って、はすっと殺生丸から離れた。


「…どうしたの?何考えてたの?……ひょっとして、引き剥がしたらあたしが泣くとでも思った?」
「っ!」
「泣いたんじゃないかな、"私"なら」
「…何を」
「まだ、わからないのかな」


そう言って、は殺生丸の母から鏡を取り上げる。


「これで"これ"の役目は終り…」


くす、と笑う。その瞬間、の手から鏡が離れ


―――ばりん、と大きな音を立てて砕けた。



2007.04.12 thursday From aki mikami.