#3---秘密



朝から雨が降っていた。

…雨の日は嫌いだ。髪は決まらないし、体はだるいし、寒いし、あまり外に出られないし、傘はささなきゃいけない。

だるい。
講義が終って家に帰ってきてのんびりして、それでもだるい。というか、気持ちが鬱になる。家の中には誰もいなくて話相手もいないし、気晴らしになりそうなこともない。後はもう寝るくらいしかないかと思って、窓の外を降り行く雨を睨みつけると、その先に見覚えのある顔が見える気がした。


「…竜崎?」


まさか。彼は私の家を知らないはずだし…いや、私の父親の職業がわかった彼ならそれくらい簡単に調べられるかもしれない。いやでもいくら何でも雨の日に?

半信半疑で、私は窓を開けた。入り込んできた雨の雫が私の顔を数滴濡らす。ビニール傘を差してうちの前に立っている人物をよーく観察すれば…それはやっぱり。


「…竜崎!」
「っ」


彼は私に名前を呼ばれた瞬間、凄く驚いたような反応を見せた。それに何だか違和感を覚えたけど、とりあえず、いいや。


「…中入る?」


そう言った私に、彼は頷いた。私は彼にひと言待ってろと告げて玄関に周り、ドアを開ける。…その向うには、丁度傘をたたんでいる竜崎。


「…どうしたの、竜崎」
「いえ…」
「こんな雨の日に…何か用?」
「えっと」


口を濁した。あんまりこういうことはないんだけど、彼の珍しい反応に正直、少し驚いた。


「とにかく上がって。風邪引くから」


彼を家に招き入れることになろうとは。まったく予想もしていなかったけれど、こんな憂鬱な雨の日だ。話し相手がいてくれるに越した事はない。竜崎は、…人の家に上がる事になれていないのだろうか?少しそわそわしていたけれど、やがておもむろに靴を脱ぎ、小さな声でおじゃまします、と言って、私について居間に上がった。


「コーヒーと紅茶どっちがいい?」
「あ…紅茶でお願いします」


私はまず洗面所に行ってタオルを降ろしてきたのを竜崎に渡した。それから台所に立ち、ちゃっちゃかと準備を始める。


「…あの」
「何?」
「いえ…えっと…今日は、お一人ですか?」


彼の質問は、何かおかしい気がした。今日はお一人ですか?なんて、玄関の靴見ればわかるのに。動揺してる?そう思ったら、案の定。彼はいつにも増して挙動不審だ。きっと女の家に入った事なんてないんだろう。


「そんなにキョロキョロしなくても大丈夫。それより早く頭拭いて。風邪引くから」
「あ、はい、すみません…」


そこ謝るところじゃないんだけどな。そう思ったけど、あえて言わないでおこう。何だかいつもと違う彼がおかしかった。


「…それで?何の用なの?」


わざわざうちを尋ねてきた理由。尋ねると、彼はがじがじと頭を拭いていた手を、ぴたりと止めてしまった。


「え、竜崎?」
「あ、あの、ですね」
「はっきり言ってよ」
「すみません」
「いや、ごめん、別に謝って欲しいわけじゃないよ?」
「はい。えっと…パソコンの操作は出来ますか?」


…できるに決まってるじゃんと突っ込みたかった。だって授業でやってるし、家にあるし、むしろそれを仕事にしようかな?なんて考えた事もあるし。


「出来るけど」
「では、…その、メールアドレスを…お、教えてくれませんか?」
「え…何を教えるって…?」
「だからその…め、メール、を…」


…は?

といった感じだ。いや、別にお前なんかに教えたくないって言う意味ではなくて、…別にいいけどそんな事を聞くのに何でこんなにおどおどしてるわけ?っていう意味で。


「別にいいよ」
「…本当ですか?」
「嘘言ってどうするの。って言うかこれだけ仲良くしてて教えないとか鬼じゃないんだから」
「…私は教えられませんよ?」
「あぁ…どっかからメアド漏れたらまずいもんね。一方的でもいいよ。竜崎から来たって事が分かれば。それと、返信したい時はどう返せば良いかわからないから、その方法を指定してくれれば」
「―――…」


目の前の竜崎は、放心状態?と言うほどでもないけど、近い様子だった。何、私が教えないとでも思ってたの?もしかして私ってそんなに怖いやつだと思われてたんだろうか。


「…あ、ありがとうございます」
「いえ、別に。ってか紅茶入れるから」
「はい」


彼は、至極嬉しそうに言った。私のメアドが知れてそこまで喜ぶべき事なのかは首を傾げるところだが、でも私としては嬉しいし…期待、するかも。


「はい」


竜崎の前に紅茶を置いて、私はインスタントのコーヒーを入れる。彼はテーブルの脇にあったグラニュー糖に手を伸ばすと、一杯、二杯、三杯、四杯、五杯……え、五杯!?


「ちょっと、入れすぎじゃない!?」
「私はいつもこの量ですよ?」
「はぁ…そう」


別に本人がそれでいいと言うなら、いいけど。でもそれじゃ、紅茶本来の味が楽しめないんじゃない?って、コーヒーにミルクを入れてる私が言えることじゃないけど。


「ところで…顔色が優れないようですが、…体調が悪いんじゃないですか?」


突然竜崎が言う。…確かに、雨の日は体調が悪いことが多い。でもそれ以上に、雨の日は。


「…あぁ、雨だからね。…ちょっと色々想い出すんだ」
「色々…ですか」
「うん、色々」


そう、色々あったのだ。思い出したくもない嫌な事。時々夢に見る事。

絶対聞いてくると思った。色々がなんなのか。けど、竜崎はいつまでたっても口を開かない。


「…聞かないんだね。…色々って何か」
「聞かれたくないでしょう?」
「…」
「聞かれたくないって、顔に書いてあります」


図星だ。聞かれたくない事。…私がどうしても隠したい事。彼は、それをわかっている。


「…ありがと」
「いえ。…貴方が言ったんです。誰にでも秘密にしたい事があると」
「うん」
「"言いたくないなら、言わなくてもいい"です」
「っ、ごめん」
「謝らないで下さい」


ずずっと紅茶を啜る竜崎。私は、その様子を茫然と見つめた。すると、優しい瞳と目があう。―――…それだけで、とても安心した。


隠し事は、誰にでもある。…でもいつか、竜崎にだけは、すべてを打ち明けられたらいい。本当にそう思う。でもそう思う反面、どうしてだろう…竜崎にだけは、知られたくない。そうも思う。


それはきっと、竜崎を―――。









2006.03.02 thursday From mamoru mizuki.