#6---口付け



某ホテルの最上階。

突然呼び出された私は、いつもより少しおしゃれ着で出かける。フロントに断ってからエレベーターを昇っていく。下を見れば、あぁ、高い。とても高い。少しずつ外を歩く人達が小さくなっていく。そして、空が近づいていく…。


最上階まで辿り着いて一歩踏み出すと、そこは別世界だった。…何が別世界かって、とにかく豪華だ。豪華すぎる。私はそのフロアに一つしかないひとつしかない部屋の前にたった。


「…」


ドアの前にたったら、緊張してきた。こんな豪華なところ。インターホンを押すことですら勇気がいる(っていうかインターホンが金色だ)。

私が部屋の前でもたもたしていると、突然ガチャリとドアが開いて、思わず一歩退いた。中から出てきたのは竜崎で、怪訝そうな表情を浮かべる。


「…早く入ってきたらいいのに。…どうかしたんですか?」
「いや…だって、豪華だから」
「そうですか?…まぁ金はいくらでもありますから」


そう言って私を部屋に招き入れる彼の頭をどついてやろうかと思った。金はいくらでもあるだと?庶民全員を敵に回す発言だ。


「ちょっと竜崎…どうしてこんな所に呼び出したの?」
「あぁ…いや、ちょっと会いたいと思ったんですが、流石にキラの動きが派手になってきて…なかなか外に出れないので」


竜崎は、大きなモニターの前にある椅子に座った。…ほかにたくさん人がいた気配あるが、今は今は誰もいない。


「…他に人いたんでしょ?その人達は?」
「流石は鋭いですね。彼等は今出払っています」


皆が働いている間にこの人はここで一人安全なのか。まぁ真っ先に狙われるんだから無理はない。


「明日まで帰って来ないでしょうね…ワタリも」
「ワタリ?」
「代理人…とでも言いましょうか。警察や、私の正体を知らない人間と話すときは必ず彼に間に立って貰っているんですよ」
「…で、その人もいないの?」
「えぇ。…急用で」


と、いうことは、今私達はこんなひろい部屋に二人きりって事だ。ある意味ロマンチックな展開?なのかもしれないが、ここまで部屋が広いと、なんかもう。


「…部屋にばっかり気とられるんですけど」
「なんですか?」
「いーえ、何でも」


竜崎は怪訝そうな顔をしたが、私が何も言わないのを見ると、手元のケーキをスプーンで一口すくって食べた。…何と言うか、爬虫類っぽい食べ方だ。


「…食べますか?」


そう言って、彼はまたすくいあげたケーキを私の前に差し出した。


「うん」


ひと言断って、彼からスプーンを受け取ろうとする。けど、彼はそれを拒んで、私の口元までケーキを運ぶ。…素直に彼に従って、そのまま口に含んだ。甘い、生クリームの味が口の中に広がる。


「…貴方が美味しいと言っていたお店です」
「わざわざ行ったの?」
「今日は貴方が来るから、買ってきて貰ったんですよ」


と言って、後方のテーブルに乗っかっている紙の箱を指差す。立ち上がって中を見て見ると、あの時買ったショートケーキがひとつと、チーズケーキとチョコレートケーキがひとつずつ。


「好きな物を食べてください。一人二個、ということで」


そう言って、彼はケーキの皿を持ったまま立ち上がった。私の前まで来て、じっと顔を覗きこまれる。


「…嬉しいですか?」


唐突に、そう尋ねられた。とても、瞳が期待に満ちているような。


「嬉しい、ありがとう!」


私は素直にそう言って、笑って見せた。すると竜崎は、満足そうに微笑んでまたケーキを頬張る。


「よかったです。で、どれを食べるんですか?」
「んー…っと…」


どれも大好きだから、正直迷った。…けど、私はある事を思い出して、決めた。


「ショートケーキ」
「どうしてですか?」
「さぁー、どうしてだと思う?」


生クリームの上に乗っかっている真っ赤な苺を取り上げる。そのまま竜崎と視線をあわせて、私は笑った。…彼の前に、苺を差し出す。あの時彼にされた事と同じだ。


「…なるほど」


そう言って、彼は私の差し出した苺を食べた。悪戯に笑う竜崎がおかしくて、私も笑顔になる。

突然、竜崎は手に持っていたケーキをテーブルの上に置いた。口はまだもごもご言っていて、私は食べないのかと尋ねる。彼は口に苺を入れたまま食べてますよと答えると、私をじっと見据えた。


そして―――突然の口付け。


「っ―――」


本当に不意打ちで、私は何が起こったかわからなかった。ぞろっと舌が口の中に入ってきて、苺の味が広がる。触れ合った舌の感覚がリアルで、部屋の中に聞こえる私達の息遣いと水音は、私から冷静さを奪っていった。


「っ、は」


ようやく唇が離れたとき、私は息切れしていた。なのに、竜崎の方は平然としている。


「な、なに、す…」


何するの?と言いたかったのに、息がきれていてその先が出て来ない。竜崎はそんな私を見下ろして、いつになく真面目な顔で言った。


「やられっぱなしは嫌ですから」


そんな事でか!と突っ込みを入れたくなるけれど、そんな元気私にはない。何しろ男に触れた事自体が五年ぶりなんだ。いきなりキスなんて、…きつすぎる。


「…いやでしたか?」
「いや…とかじゃなくて…び、びっくり、した」
「びっくりしただけですか?」
「や、息が出来な、くて…苦し…」


過呼吸とも思えるほど、整わない私の息。だって五年ぶりで、二分間もの間拘束されていたらそうもなる。…何だか顔を合わせるのが恥ずかしかった。


「…あの」
「や、ちょっとま、って…」

「え、あ、はい…えっと…… ―――…ん?」


妙な違和感。大分整ってきたけど、まだ肩が揺れている状態で竜崎を見上げる。…彼は平然としているけれど…


「…今、名前で呼んだ?」
「えぇ。…それが何か」
「いや、名前で呼んだのって…はじめてじゃない?」
「そうですか?」
「そうですよ」


大した事じゃないみたいな反応をしている彼だけど、私にとっては大した事だ。今まで何度も彼に会ったし、結構な話をしたけれど、彼が私の名を呼んだ事なんて、今日の、今、この瞬間、ただ一度だけだ(いや、嫌われてるんじゃないかと思った事もなかったわけじゃない)。


「…久しぶり、その響き」


男の人に名前で呼ばれるなんて、久しぶりだ。五年前以来。もう二度とないと思っていたのに。


「父親でさえ、呼ばない」


父親は、おい、とかおまえとか、そんな言葉しか使わない。まるで私の名前を忘れたとでもいいたそうに。


「嬉しい」


それは素直な言葉だった。…彼が名前を呼んでくれて、嬉しい。その声で、呼んでくれる事が嬉しい。


「それだけで嬉しいんですか?」
「…嬉しい」
「―――…
「ちょっと」
  ―――
「呼びすぎ呼びすぎ」
、   


私の名前を呼びながら、竜崎は私を抱き締めた。体に伝わる彼の温もりが温かくて、安心する。


「…貴方の気持ち、わかりました」
「え?」
「私も、に呼ばれたら…嬉しいです」


頬に、口付け。恥ずかしくなってしまうくらい甘い、その行為。


「竜崎」


仕返しで、呼んでやった。すると彼は、満面の笑みを見せる。




最後の氷のひとかけらが、解けてなくなった。すべてを彼に話せる。彼ならすべて受け入れてくれる。…私がどんなに汚い女でも。


「竜崎、話があるの」


突然そう切り出した私を、竜崎はどう思うだろう。彼は目を丸くして、私の話に耳を傾けた。









2006.03.06 monday From mamoru mizuki.