ヘッダー画像

*#2*

chapter.1


人間とは弱いものだ。なんて言うヤツは、何でも途中であきらめてしまうバカだ。と思いたいところだが、今この姿でどうしてそんな言葉が吐けようか。


「まったく。攘夷志士が風邪をひくなど…国を救うという志が弱いからだぞ」
「会議中にテレビとんまい棒の話ばっかりしてるやつに言われたくねーよ」


二回目のキス


風邪。それは数多ある病気の中で最もポピュラーで、最もかかりやすいものであろう。だがかかることの簡単さに比べ、治すことは数十倍、否、数百倍の労力を要する。そんな風に思ってしまうのは、私が普段病気とは無縁の超健康体だからだろう。それがどうして今回こうなってしまったのかというと。

chapter.2


「ヅラー」
「ヅラじゃない桂だ!どうした
「あのねー、ちょっと洗濯物取り込むの手伝ってほしいんだけど」
「俺は今忙しい。別の者に頼め」
「忙しいって、アンタテレビ見てるだけじゃん」
「世の中の動きを知るのも俺の仕事だ」
「何が世の中の動きだよ、お前が見てんのただの昼ドラじゃねーか」
「昼ドラをなめるなァァ!昼ドラで起こることは人生でも起きるんだぞ!立派な社会勉強だ!」
「冗談じゃねーよ!こんなドロッドロな人間関係ゴメンだよ!起きるわけねーだろこんなこと!っつーかもうすぐ雨降ってくるんだって!あんな大人数の洗濯物全部取り込むの大変なんだっつーの!手伝え!」
「今いいところなんだ、もう少し…」
「そんなこといってる間に雨降ってくんだろーが!早くしろ!」
「うるさい!今牡○がッ…」
「うるさいのはお前だァァァ!早くしないと雨がっ…」


ザァァァァッ……

chapter.3


そんなこんなで雨の中一人で洗濯物を取り込む羽目になり、当然洗濯物も私もずぶ濡れ、しかも寒い中雨に打たれたせいで風邪までひいてしまったという…まさに踏んだり蹴ったりな感じ。


「気合が足りんぞ。人間気合があればどうにでもなるもんだ」
「どうにもならねーよ。っつーかアンタのせいで気合そがれるんだけど」
「む、失礼な奴だ」
「オメーがな」


風邪を引いてるときにこいつの相手をするのは疲れる。心底疲れる。早くどっかいってほしいと心から思っているのに、ずっと隣に座ったまま動こうとしない。…多分こいつなりに心配してくれてるんだと思う。あ、いや…どうかな。自分で思っておいて自信なくなってきた…。


「熱は測ったのか?」
「計ったよ。38度5分」
「寒くないか?」
「大丈夫」
「腹は減ってないか?」
「うん。さっき食べたし…って、どうしたのさヅラ」
「ヅラじゃない桂だ」
「それはいいから。…ねェ、もしかして心配してる?」
「……まァ、少しは俺が悪いわけだし…」
「…プッ」


一応反省してたんだ。それがおかしくて思わず噴き出すと、ヅラがかなり不満そうな顔をして私を睨みつける。だってちょっとうれしいんだもん。本物のバカではなかったってワケだ。


「…ありがと」
「いいから早く寝ろ!」
「はーい」
「さっさと直せよ。一日だ!」
「え、それ厳しいから!」
「気構えがあれば風邪くらいすぐ治る」
「いや、気構えがいくらあっても無理なもんは無理だよ。…ヅラがうつってくれるって言うんなら別かもしれないけど」
「俺は国を救うという使命がある!風邪などひいていられるか!」
「…そういうと思いましたけれども」


私だってヅラにうつす気なんて毛頭ありませんよ。わざわざ好きな人に風邪を移す乙女がどこにいる。うわ、乙女ってキモイな自分。


ヅラが少し乱暴に布団をかけなおしてくれたので、私は大人しく目を閉じた。…ヅラに寝顔を見られるなんてちょっとイヤなんだけど、ちゃんと寝てるところを見ないといつまでもいなくなりそうになかったので、仕方ない。


目を閉じて少しすると、静かに襖が開く音がした。…どうやら、出て行ってくれたらしい。私はほっとして、目を開けないままに身体から力を抜いた。


…実は、私はずっと緊張していたわけで。


何でかって、この間あんなことがあってから、まともに言葉を交わしてなかったからですよ。あんなことってのは勿論あのキスのこと。


たったキス一回に、何を大げさな。自分ではそう思うのだけど、相手がヅラだからそうも言っていられない。


ヅラは何も言わない。私が予想していたような言葉も、嫌がるような言葉も、何も。…何も感じなかったのか、それとも言いたいのを我慢しているのか、それすらもわからない。こんなに近いところにいて、毎日ヅラの顔を見ているはずなのに、最近は彼の表情を読み取ることが出来ない。…それは、私が欲張りになっているからだろうか。


私はどうしたらいいんだろうか。


…どうしたらいいも何もない。どうもしなきゃいい。ヅラがこれ以上を望まないならその通り、何もしなければずっとこのままだ。私は彼の思うとおりに、小太郎が望む通りにいればいい。


それがたとえ、私の望みと違っても。


深く呼吸をして、視界を支配する暗闇に身を任せる。…身体を支配する気だるさが、私を眠りへと導いていった。

chapter.4


数時間前のこと。


「桂さァーん!」


先日入ってきた山本が、猫なで声で俺に擦り寄ってきた。その他数名も、俺の方を見てにやりと笑みを浮かべている。


「なんだ」
さん、今風邪ひいてるんですよね?」
「そうだ。だから静かにしろ」
「はい。…で、あのですね、さんがいないんなら…じゃじゃーん!!」


ニヤニヤ笑いながら山本が差し出したのは、一本の酒瓶。


「これ…実はですね、友達に酒屋がいて、もらってきちゃったんッスけど…一緒に飲みません?」
「風邪で寝込んでいる人間がいるというのに酒など…」
「だって、さんがいたら『飲みすぎはダメ!』とか言って全然飲ませてもらえないじゃないですか。…今がチャンスですよ。鬼の居ぬ間にって奴です。それにこれ、すっげー高い酒なんですよ!これを逃したらもう飲めないかも!」
「しかし…」
「ちょっとくらいならいいでしょ!ホラ、桂さん!」


腕を引かれ、みんなの前に座らされる。…確かにがいると思うように飲めないが、しかしやっぱり罪悪感がある。気づかれなければいいんスよ、と言われたが、は目敏いので多分気づくだろう。…気づかれたら、確実に怒られる。沢山飲んだとかそういうことではなく、自分が苦しんでいる最中に俺達が楽しんでいたという事実と、高級な酒を自分のために取っておいてくれなかったということに怒る。出来ればは怒らせたくないと思ったが、無理やり杯を握らされ、問答無用で注がれてしまえば、飲むしかあるまい。


…そんなこんなで、今この場所はちょっとした宴会会場になっていた。という鬼がいないためか、皆羽目をはずして飲んでいる。俺はに怒られるのがいやなので、ちびちびと、明日に響かない程度に飲んでいた。


よく嫌なことは飲んで忘れるというやつがいるが、本当の悩みというのはそんなことでまぎれるものではないらしい。いくら飲んでも、のことがずっと頭から離れない。…こういうとのことが嫌だといっているようだがそうではなく、…この間から、にどう接したらいいのか自分でもわからなかった。


は普通と変わらないように見える。…俺も、変わらず接しているつもりだ。だがそう出来ている自信はない。


「…黙っててくれたらここまでする必要なかったのに」


あの言葉はつまり、したくてしたんじゃない、ということだ。…それでいい。俺なんかを好きになって、が幸せになれるとは思えないから。


だが、…気に食わない。の行動が、言葉が。女が軽々しくあんなことをするなんて。


イライラする。俺は杯に注がれた酒を一気に飲み干した。すぐに山本が二杯目を注ぐが、それも一気に腹へ収める。…酒でイライラを散らすなんて柄じゃないと思いながらも、飲まずにはいられなかった。

chapter.5


室内は、しんと静まっていた。


私が目を覚ましたのは、深夜3時過ぎだった。みんなはたぶん寝ているだろう時間。…枕元には水と、紙に包まれた薬が置いてある。


みんな、ご飯はちゃんと食べたんだろうか。少しクリアになった頭でそんなことを考える。子供じゃないんだから大丈夫だとは思うけど、んまい棒は俺達の主食だ!的なことを叫びながら山のようなんまい棒を平らげる、何て夕飯になってそうでちょっと心配だ。特に心配なのはヅラだけど、そのヅラに言われるとみんな簡単に従ってしまうから…


ああ、不安だ…。


せめて台所だけでものぞいてこようかと、手をつっぱって上体を起こしたとき、部屋の外からギシ、と物音が聞こえた。思わず布団の中に納まって目を瞑る。


…なんで寝たふり?別に私やましいことしようとしたわけじゃないのに。


よくわからないけど寝たふりをしたまま物音に耳を澄ます。おそらくは足音で、こちらに近づいてくるような気がする。厠?それにしても、どんどんこっちに近づいてくる。やがて足音はなんと私の部屋の前までやってきて、そこでぴたりと止まった。


…誰かが様子を見に来てくれたんだろうか。うっすら目を開けると、そこには明らかに髪の長いシルエット。…絶対、ヅラだ。でも一向に入ってこようとしない。…なんでだろうか。声でもかけようかと思ったとき、襖に手をかけるシルエット。あわてて目を瞑り、寝たふりを決め込む。…だからなんでだ、私。


静かに襖が開くと、足音が室内に入ってきた。…目を閉じているから、耳からの情報だけが頼りだ。なんだか落ち着かない。


どうやら隣に座ったらしい。衣ずれの音が聞こえた。…これだけ静かだと、息遣いまでがはっきりと聞こえてくる。なんか、キスより恥ずかしい気がするんですけど。今すぐ起き出したいのを必死でこらえる。だって今起きたらお前なんで寝たふりしてたんだって話になるじゃん。


早く出てけよッ!必死にそう願っているのに、その期待に沿うどころかまったく反して、ヅラの手が私の額に触れた。…ビックリした。びくってなるとこだった。…でも、熱を測ってくれたんだから文句を言うのは違う。でもやっぱ緊張するよ、この状況…。


ヅラの手は、異様に熱かった。発熱している私より熱いんだから、よっぽどだろう。…もしかして、酒でも飲んだんだろうか。人が苦しんでるって言うのに、コイツは…!という微かな怒りも今は頭の奥にしまいこむ。我慢だ我慢…。


すぐに離れると思ったヅラの手は、予想外にもしばらく触れたままだった。…その温度に、またも緊張してしまう。っていうか神経磨り減るから!早く出て行けコノヤロー!


こっちの気も知らないで、額にあった手がふわりと頬へ滑る。…そのまま頭から頬を何度も撫でる様に触る手に、無駄に心臓がドキドキする。…こいつ、わざとやってんじゃねーだろーな。だとしたらコロス。


「……


そう呟いた声は、どこか元気がなかった。…なんでだろうか。私が寝ている間に、何かあった?そう問いたいけど、じっと黙っているしかない。…寝たふりなんかしなきゃよかったと心底思った。


ずっと撫でていたヅラの手がぴたりと止まって、私の頬を包み込む。でもこっちは何かあったんじゃないかとそればかり気になって、ドキドキなんて二の次だ。


…もしかしてここに来たのも、私に愚痴を聞いてほしかったからじゃないのか。


…起きよう。出来るだけ自然に、あれーいたの、的な、さも今まで寝てました体を装って。幸い今こうして寝た振りしているのはばれてないみたいだし、大丈夫、私ならいける。


そう思って、うっすらと目を開けた。


「―――…ッ!」


ヅラの顔が、すぐ目の前にある。それどころか唇が、ヅラの唇が私の唇に触れている。


―――キス、してる。


すぐ目の前に、目を閉じたヅラのドアップがある。多分私が起きたことには気づいてない。…まるで私を包むように右手が置かれて、左手は頬に添えられて、…それはまるで恋人同士のような、甘いキス。


気がつけば目を瞑って、それを受け入れていた。


唇はずっと動かずに、最後の瞬間だけ一瞬ついばむ様に動いて、離れた。離れても、ヅラは何も言わなかった。動きもしない。触れた左手も、添えられた右手も多分、そのまま。


…何とか言ってよ。


そう私が思った瞬間、ヅラはゆっくりと離れていった。そして、何も言わないまま部屋を出て行ってしまう。


来たときよりも、大きな足音がした。


「……ッ」


その瞬間私は起き上がって、混乱する頭を必死に動かした。


今のは、どう考えてもキスだった。それも、この間みたいなのじゃない、もっと…もっと甘い。


どうして?アイツ頭おかしくなったの?それとも何、盛っちゃった?誰でもよかった?そんなまさか。でも、でもそんな、まさかアイツが…


私を好きなんて、そんなこと。


あるわけない。そうだよ、そんなことあるわけないじゃん。…それに、微かだけどお酒の匂いがしたし…多分酔ってて、その勢いでちょっとしちゃっただけだよ。ヅラは酒弱いから。…そうに、決まってる。


必死に自分に言い聞かせる。顔を出す欲望を、土の中に埋め返す。…これ以上を望んじゃダメ。今が一番幸せ。…なのに。


こんなに気持ちが湧き上がるのは…愛されたいと思うのは、私が女だから?


私はいつまでも、高鳴る鼓動をとめることが出来なかった。


2008.08.22 friday From aki mikami.