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*#10*

chapter.1


早足の雲が、俺の真上で立ち止まる。


俺は、の涙に弱いんだ。今までずっと一緒にいたのに、初めて気づいた事実。…それだけの涙を見てこなかった、証拠だった。


もう一度キスを


「さよなら」


その言葉と涙に硬直してしまった俺は、が二度ともどってこないことがわかっていても、引き止めることができなかった。


は、俺の元から去ったんだ。


あのあと我に帰ってすぐにあとを追いかけようとしたが、どこにもの姿を捉えることはできなかった。あとに残ったのは、かすかなのぬくもりだけ。
そのあとすぐ、ほかの仲間に言って全員で探せば、引き止めることもできたかもしれない。だが、俺は何もしなかった。のことがどうでもいいわけじゃない。…むしろ、のことを考えすぎだ。先日からずっと、攘夷よりもエリザベスのことよりも何よりも、のことが気にかかる。俺とはずっと一緒にいたのだと、思い知らされる。銀時に言われた言葉を思い出した。


どう考えてもお前はのこと好きだろうが!


俺はおろかだ。離れなければ気づけないのだから。俺にとって、は大切な存在だった。もうずっと。


俺は、を好きだ。


ずっと気づかないフリをしていただけだった。…だが、いまさら気がついてどうする。一緒にいたらいつ何時あんなふうになってしまうかわからない。…俺の気持ちが、を傷つけるだけの…あんなふうに泣かせるだけの感情なら、ずっと知られないほうがいい。


を傷つけるのは、もう、いやだ。


俺のせいで泣くを、もう二度と見たくはない。俺は何もしないまま、自室に戻った。


そのまま夜になってもは帰ってこず、皆昨日の今日で心配になったのか、騒ぎ始め、捜索に向かう。そんな中俺は、何もできずに呆然と部屋に座っていた。正直、動く気力がなかった。頭の中にの笑顔と泣き顔が交互に現れて、それどころではなかった。


忘れてしまおうと考えるたびに、頭に浮かんでくる。気を落ち着けようと水をとりに行ったが、が昔、水をこぼしてけんかになったことを思い出して、また気が落ちる。


…日常のすべてに、がいた。俺たちの過ごしてきた時間は、そう簡単に忘れられるものではないらしい。


が俺の部屋に入ってくることはあまりないはずなのに、昔あった出来事なんかが頭をよぎっていく。いい加減頭がつぶれそうだ。


は今どこにいる。何をしている。何を考えている。一人で泣いてはいないか。よからぬ連中に連れて行かれたりはしていないか。金はあるのか。飯は食べているのか。風邪はなおったのか。


にとっては余計なおせっかいかもしれない。だが、どうしても思わずにはいられない。…思う資格などないのに。


思えばはずっと、苦しんでいたのかもしれない。…俺なんかのそばにいて。あいつは攘夷活動に興味があるわけではなかった。ただ身寄りがないから俺のそばにいた。…俺のそばでなくてもよかったはずだ。それなのに、俺ばかりがを必要としていた。


たとえば銀時なら、をもっと幸せにできただろう。を危ない目にあわせることもない。ずっとを守り続けてきたつもりだったが、そんなものはただのうぬぼれだ。


「…すまない」


届くはずのない謝罪。そんな答えるもののいない言葉に、一つの声が答えた。


「…何、あやまってんスか」


その声は、聞くまでもない。…山本だ。


「そうか…貴様も今回の件の犠牲者だったな。…俺を殴りにでも来たか」
「馬鹿なこと言わないでください。そんなことしませんよ。…俺のかわりに殴ってくれる人がいるんで」


その声に振り返るのと、ふすまが開くのは同時だった。そこには頬の腫れ上がった山本。そしてその向こうに、白い見慣れた着流しを来た男。


「…銀時」
「俺も、やられちまったんで…桂さんもやられてください」


そういって皮肉めいた笑みを浮かべた山本を押しのけて、銀時は部屋に踏み込んできた。その目はいつもの死んだ魚のような目ではない。怒りに満ちた顔だ。


「オメーの仲間、俺んとこ来たぜ。…がいなくなったって」
「そうか…」
「ヅラ…オメー、何やったんだよ」
「…何も」
「してなくねーだろ。…襲ったんだろ、のこと」
「知ってて聞いたのか。意地の悪いや…」


答えきる前に、俺の身体は壁にたたきつけられた。その衝撃で、かけてあった掛け軸が落ちる。殴られた左頬が、じりじりと焼け付くように痛い。


「オメー、こんなとこで何やってんだよ」
「…」
、いなくなったんだろ。探しにいけよ」
「…そうだ。だが、俺には探す権利など」
「馬鹿言ってんじゃねえ!」


再び左頬に衝撃が襲った。手加減などない、本気の拳だ。


「権利?んなもんいらねんだよ!もしいるとしても、もってんのはオメーだけだ!」
「何を言っている…は俺のせいで出て行ったんだ、銀時、貴様もわかるだろう」
「ああ、わかってるよ。オメーが馬鹿で鈍くて、の気持ちもテメーの気持ちもなんにもわかってねーせいで出ていったってことはな!」
「そうだ、お前の言うとおりだ!俺はの気持ちも自分の気持ちもわかっていなかった!がずっと俺とともにいて、苦しい思いをしてきたことも!傷ついてきたことも!俺がっ …を、好きだということも」
「…ヅラ」


そうだ、何もかもわからなかった。だがいまさらわかっても遅い。もうは、手の届かないところに行ってしまった。…これ以上俺の手で引きとめても、苦しめるだけだ。


「…もういい。俺のせいで、を苦しめるのは…を泣かせるのは、もうたくさんだ」
「…」


ずっと考えていた。俺たちはいったい、どこを間違えてしまったんだろうかと。だが違う。間違えたのは"俺"。は、何も間違えてなどいない。


ずっと思いに気づかなかったこと。気づかないままそばにい続けたこと。こんな形で思いに気づいてしまったこと。暴走して、あんなふうに傷つけたこと。そばにいないほうがいい、なんていってしまったこと。すべて、すべて。


あのキスで最後でいい。が出て行く前に交わした、…の精一杯の強がりの、あのキスで。


「…お前、やっぱ馬鹿だわ」


そういって、銀時は俺に背中を向けた。


「…そこまでわかってんなら、何でもっと大事なことに気づけねーんだよ」
「大事な、こと?」
「もういい。こっからはてめーで気づけ。…あと、これは俺の独り言だ」


銀時の手が強く握られた。肩がかすかに震えている。…白夜叉と呼ばれ恐れられた男が、震えている。


「…俺、にふられてんだ」
「っ!」
「戦争時代にな。オメーらがまだバカみてーな言い争いしてたころだよ。いや、今もか」
は、そんなことひとことも…」
「言うわけねーだろバーカ。…あいつが、なんでふったかわかるか」
「…」
「ほかに好きなやつがいるから、だとよ」
「っ!」
「自分はそいつに一生をささげるから…何があっても、たとえ思いが報われなくてもついていくから…俺と一緒にはいられねえ、そういったんだ」
「…が…」
「聞かなくたってわかんだろ、その相手が誰か。…ずっと一緒にいた、お前なら」


私…あの頃から何にも変わってない!


…お前みたいなヤツのお守りをよォ、何の感情もなく何年も出来ると思うのかよ



…すべてが、一つにつながった気がした。


銀時はすべてを知っていたから…あんなことが言えたんだ。の気持ちも、…きっと、俺の気持ちも。


「銀時…」
「余計なこというなよ。たとえば礼とか?言ったらマジぶっ飛ばす。…それより、早く行けよ」
「…行って、いいんだろうか」
「何言ってんだよこの期に及んで」
「俺は…に言ってしまった。共にいないほうがいいと。…そんな俺が、いまさら」
「いまさらもへったくれもあるかよ。…が出てったのは、お前がそういったからだろうが…だったらその言葉を撤回してやれるのも、お前だけだろ」
「…」
「頼むからこれ以上…あいつを泣かせるなよ」


そういって、銀時は歩き出した。…一度もこちらを振り返らないで。そして山本も、銀時についてその場をあとにする。





目を閉じて、のことを思う。


これまで何度も交わしてきた会話。何度か交わしてきたキス。


小太郎


俺の足はいつのまにか外へと向かっていた。特にあてがあるわけではない。が行きそうなところなんて見当もつかない。それでも、足を動かさずにはいられなかった。そして、今すぐに伝えたかった。俺の気持ちを。

chapter.2


迷い橋の欄干に寄りかかって、ぼんやりと風景を眺めていた。


何の当てもなく無我夢中で走って、体力が切れたらとまって、回復したらまた走り出して。そんなことをしていても、結局このかぶき町から出ることが出来なくて、ふらふらと徘徊して、たどり着いたのがたまたまココだった。こんなところにいても無駄だとわかっているのに、道行く人の中に、あの長い髪を探してしまう。


あきれるほど、貪欲だと思う。


思えば、私はいつも欲張りだった。小太郎を思うならそばにいるべきではないとわかっていたのに、かたくなにそばから離れなかった。一度キスしてしまったら、さらに欲望が膨れ上がって、それ以上の関係を望んでしまった。否、望みを隠しきれなくなってしまった。


思えば、そんなくだらない望みを持っていること自体が、いけなかったんだ。


柵に身体を預けて、ゆっくり流れる川面を見つめる。そこにはブサイクな自分が写っていて、今すぐ殴ってやりたくなった。


何もかも、小太郎には不釣合いで。


そんな私が、そばにいられただけでも幸せだったんだ。


そう思ったら、おかしな程笑えた。


「っ…ははッ」


最初っから、そばにいなければよかった。そうすれば、こんな思いしなくてすんだのに。


でも、そんな悩みももう終わりだ。さよならは済ませてきた。今後かかわることなんてない。私は、もう小太郎の元には帰れない。元々、帰るべき場所じゃなかったんだ。


「さよなら、小太郎」


自然と、独り言が口をついて出た。長い髪を揺らして振り返り、困った顔で私を見る姿が、容易に想像できる。


あなたは、優しいから。


私を傷つけたと思って、気に病んでいるかもしれない。だけど、そんな必要はもうないの。私はあなたの前に現れないから。だから。


「…こた、ろう」


まだこんなにも、心にあふれているのに。彼を好きだという感情が。なのに。


「もう、会えない」


きつく目をつぶり、あふれそうになる涙をこらえた。そのとき。


「オイ女」


突然肩を掴まれて振り返ると、そこには見慣れた制服に身を包んだ栗色の髪の男…真選組、沖田総悟がいた。


「…なんでしょうか」


心臓が高鳴る。緊張で、一気に汗が吹き出る。私は攘夷派の一味ではあるけど、活動には参加していないんだから、顔は割れてないはずなのに。


「今、小太郎、とか言わなかったかィ」
「!」


聞かれてた。そう言葉が出そうになるのを必死に飲み込んだ。出来るだけ平静を装い、声が震えないように心がける。


「…ええ、いいましたけれども」


もう言ってしまったことに対して、下手に嘘を言っても誤魔化せない。


「小太郎って、桂じゃねェだろうな」
「カツラ?私は見ての通りふさふさです」
「そうじゃねェ。小太郎ってやつが…」
「小太郎だってカツラじゃありません。ふさふさです」
「髪のことじゃねェ。小太郎ってのは桂小太郎のことかと聞いてるんでィ」


わかっていたことだけれど、改めてその名が出るとどきりと心臓がなった。


「誰ですかそれ。…あ、もしかして攘夷派の桂ですか?やだなァ、違いますよ。あんな長髪優男とうちの恋人一緒にしないでくださいよ」


ちょっとわざとらしいかとも思ったけれど、言ってしまったものは仕方ない。私は出来るだけ、恋人の『小太郎』と喧嘩した彼女を演じるよう勤めた。


私が元で、小太郎に何かあってはならない。


だからお願い、早くどっかいって。


そんな私の思いとは裏腹に、沖田は少しも動こうとはしない。ただじっと、私を見つめている。ほんの些細な嘘でも見抜こうとしている。私はその目を見つめ返していた。


目をそらしたら、負ける。





焼けるような緊張感の中に、どこか間延びした声が飛び込んできた。私も沖田も声のするほうを振り返る。すると、そこには笠をかぶった、見慣れた着物を着た男がひとり、立っていた。


「何をしている」


努めて厳しい声を出すようにしているけれど、どこか頼りなさを感じるその声。


「なんでィ、お前は」


沖田が、訝しげに尋ねた。


「その女の恋人、山本小太郎だ!」


山本君。


笠の下から見えた顔は、思ったとおり、山本君だった。険しい表情を浮かべて沖田を見ている。手にはなぜか、料理に使うおたまを握っている。…なんで、おたま?


「恋人ねェ」


疑いの声でつぶやいた沖田が、山本君を上から下まで、品定めでもするようにじっくりと見ている。山本君はそれに動じた風もなく、ただ沖田をにらんでいる。


「真選組がうちの恋人に、何のようだ」
「…ちょっと、話を聞いてただけでィ」


山本君の言葉に、少し迷ったあと答えた沖田。さすがに本物が登場すれば、引かざるを得なかったのかもしれない。


山本君は、沖田の方を一瞥し、私の腕を引いて歩き出した。…沖田はまだ、私の方を睨んでいる。それでも、何か仕掛けてくる様子はなかった。

                                   

なべやの前まで歩いてきたところで、山本君は立ち止まった。あたりを伺っている。真選組が近くに居ないか探っているんだろう。私は近くに気配がないことを確認したあと、強く掴んでいる山本君の手を振り解いた。


「ちょっと、どういうこと?」
「どういうこと、って、真選組につかまってる仲間がいたら助けるでしょ」
「そうじゃなくて、どうして山本君がここにいるの?」
「…仲間がいなくなったら、探しに行くでしょ」
「ッ…」


全部、ばれてる。直感的にそう思った。小太郎が言ったのか、そうじゃないのかはわからないけど。でも、冷静になって考えてみれば、昨日の今日でみんなが心配しない方がおかしい。


「…私、買い物してただけなんだけど」
「ただの買い物にしては、遅すぎっスよね」
「途中銀時の家によってただけ」
「その銀時さんっスけど、さんがいなくなったって言ったら血相変えて飛んできたっスよ」
「ッ…」
「嘘つくんなら、根回しはうまくやらなきゃ、っスね」
「…」


何も言い返せなかった。あの時はただ夢中で、根回しなんてあたまになかったから。


「…どうするつもり?」


出来るだけの虚勢を張って、山本君を睨み上げた。…けど、当人はなんのことかわからない、みたいなのんきな顔で私を見下ろす。そんな顔されると、拍子抜けしてしまう。


「…何がっスか?」
「何って…連れ帰るんじゃないの?」
「ああ、そういうことっスか。そんなことしないっスよ」
「え?」
「だって、その役は俺じゃ出来ませんから」
「…それって…」


そういうのが早いか、山本君がさぐり橋の方に顔を向けた。来た来た、と明るい顔でつぶやいて、ひらひらと手を振っている。じわりといやな予感がして、後ろを振り返る。


かけてくる、長髪。一瞬女と見間違えるくらい細い体。整った容姿を、今はぐちゃぐちゃにして、必死に駆けてくる、その人は。


「ッ…!!」


気がつくと同時に、めいっぱい走り出していた。ダメ、こんなところで、顔をあわせるわけにはいかない。会うわけにはいかない。なのに。


ほんの少ししか走っていないのに、息があがりきって苦しくて仕方ない。こんなことなら日ごろから鍛えておくんだった、と後悔してしまう。


林道までさしかかったとき、足に引っかかった石ころで危うく転びそうになった。あわてて体勢を立て直すけど、このままじゃ追いつかれると踏んで、仕方なく近くの茂みに隠れる。


どうやら足をくじいてしまったらしく、激痛が走る。…というか、この間から風邪を引いたりなんだり、どんだけ身体弱いんだ、私。


そんなことを思っていると、向こうから足音が走ってくる。身体がこわばる。残念ながら、今までかくれんぼ(といえるのか)であいつに勝ったことはない。それでも、今日だけは負けるわけにはいかない。


一歩、また一歩と、近づいてくるたびに、じりじりとした焦燥感がこみ上げる。できるだけ息を潜め、身体を丸めた。


やがて足音が立ち止まる。衣ずれの音と土を踏みしめる音。それから数歩進んであたりを探る音。…心臓が、これ以上ないほどに脈打つ。


「…


聞きなれた愛しい声が、…小太郎聞きなれない色を帯びていた。


「…、頼む。出てきてくれ」


心から懇願するような声。


こんな小太郎の声を、今まで聞いたことがあった?こんなに泣きそうな声を…。


それを、私がさせている。胸が痛いほど締め付けられた。


「……俺はお前に伝えなければならないことがある。だから、頼む」
「…」


ここまでくればわかる。私が隠れていることはばれている。そして、会いたくないと思っているのもばれている。…わかった上で、顔を見て話がしたいんだ。


…私には、話の内容なんてわからない。けど、私に何かを求めているのなら、私がそれを叶えて上げられるなら、叶えてあげたい。


たとえ、私が傷つくことになっても。


強く拳を握る。怖いけど、立ち上がろう。そう思ったとき、向こうから人が来る気配がした。小太郎が息を飲むのがわかる。警戒しているのも。


茂みから少し顔を出すと、小太郎がすばやくかけてきて、私の身体を抱き上げ、木の陰に私を押し付けるように身を潜めた。


隠れなきゃいけないような人なの?後ろにいる小太郎を振り返ると、口元に指を当てている。…いつもどおりのしぐさ。ついさっき別れたばかりのはずなのに、久しぶりに見たような気がして、胸が高鳴る。


そんな場違いなことを考える私と違って、小太郎は神妙な面持ちで向かってくる気配に集中していた。


気配は、私たちから少し離れて立ち止まる。


あたりを探るような音がしたあと、小さく舌打ちする音。…ばれて、ないんだろうか。できるだけ息を止め気配を探っていると、また別の気配が近づいてくるのがわかった。


「土方さーん!」


叫びながら駆けてきた声で、さっきの気配の正体がわかる。
真選組、土方十四郎だ。


「土方さん、どうしたんですか」
「山崎か。…いや、桂を見かけたような気がしてな」
「桂?」
「ああ」
「桂がらみならさっき、沖田さんが怪しい女を見かけたって言ってましたよ」


怪しい女。間違いない、私のことだ。


「なんか、まよい橋で見たらしいんですがね、川を見ながら小太郎、ってつぶやいてたらしいんです。しかも、前に万事屋の旦那と一緒にいるのを見たらしくて」
「…万事屋の知り合いか。名前を呼んでたってだけなら大したことでもないが、そういうわけなら信憑性があるな。総悟のやつもたまには役に立つじゃねーか。で、その女は」
「あー…実はですね、山本小太郎とか名乗る男が来て、女を連れてっちまったらしいんです」
「何ィ!その男は!」
「桂じゃなかったらしいですよ。攘夷派でも見たことない顔だったって…」
「…それ以上深入りはできねェ、ってとこか」


苦々しげにそういった土方。小太郎の顔がわずかに緩んだ。笑ってる場合じゃないんだよ、そう思う反面で、ざまあみろ、と思う。


「それで、そっちの方は…」
「見失った。相変わらず逃げ足の早い野郎だ」
「…しかし、こんな短時間で桂がらみの情報が2点…いよいよ怪しいですね、その女」
「ああ」
「どうします?検問はりますか?」
「そうだな。桂はともかく、その女どもの方はひっかかるかもしれねェ」


そういって、この場から去っていく土方たち。その足音が完全に消えてから、二人で木陰から顔を出す。


「…行ったようだな」


ほっとした様子でそういうと、ぐっと抱きしめてくる。突然のことに動揺している私をよそに、小太郎はかまわず、私の肩に頭を乗せる。


「ちょ…小太郎、早く逃げないと」
「…やっと、捕まえた」
「え?」
「全速力で逃げるからな…」
「ご、ごめん…」


だって、会いたくなかったから。会ってしまったら、すべてが終わってしまう気がしたから。そう思ったら、さっきまでの何ともいえない感情がぶり返してくる。抱きしめていた力が緩んだので、腕を振り解いて距離をとった。


小太郎の目が、悲しげに伏せられた。


「…、逃げるな」
「逃げないよ。話、あるんでしょ?このままでも出来るじゃん」


黙り込む小太郎。下を見たまま身動きせず、何かを考えている。私は、また真選組が来るのではということと、これからされる話のことで、相当頭が混乱している。


早くしてよ、と、目線で訴える。どうせなら、早く止めをさしてほしい。そう思ったのに。


やっと顔を上げた小太郎は、まるで愛しむように私を見つめていた。


、お前が出て行こうとしているのは、俺が言ったからだろう」
「…何を」
「共にいないほうがいい、と」


その問いに、なんと答えればいいかわからなかった。ただちくりと棘のようなものが胸に刺さる。


「余計な事を言って振り回した。…すまない」


頭を下げる小太郎。長い髪がぱさりと揺れる。


が俺と共にいることで、もっと苦しめると思ったら…耐えられなかった」
「そんなこと…」


そんなことない。その言葉が出なかった。


私は、小太郎と一緒に居られれば、それでよかった。…それだけで、幸せだった。


心から、そう思っているのに。


「さっき、俺のところに銀時が来てな」
「え…銀時?」


思わぬタイミングで出た名前に、思わず聞き返してしまう。


「いろいろ教えてくれたよ。お前のことも、俺のことも」
「小太郎の、こと?」
「俺は、 …お前が」


そこまで言って、急に小太郎の顔が険しくなった。私の方に飛び掛ってきて、何があったのか認識する間もなく、小太郎が立っていた場所に火柱が上がる。一拍置いて足音が近づいてくるのがわかったとき、ようやく爆撃されたのだと認識した。


「やっぱり、その女と絡んでやがったのかィ、桂ァ」


真選組、沖田総悟。バズーカを肩に背負い、怪しい笑みを浮かべながら、私たちの元に歩いてくる。


小太郎は私を支えながら立ち上がると、近づいてくる気配に振り返り、刀に手をかけた。


「こんな簡単にしっぽを出すたァ…狂乱の貴公子も、女には弱いってことかィ」
「何のことだ。この女は」
「誤魔化しても無駄だぜィ。全部聞いてたからねィ」
「なっ…」


あんな会話を聞かれて恥ずかしい、という思いと、警察の癖に盗み聞きかよ、という思いが、同時に頭の中を駆け抜けた。小太郎がやれやれと首を振ってため息を吐く。


「警察のくせに盗み聞きとは…本当に趣味の悪い連中だ」
「犯罪者を逮捕するためには盗み聞きも許されるんでィ」
「…聞いていたというなら、会話の内容すべて読み上げていただこうか」
「ちょっ」


何を、と言おうとしたけど、小太郎に睨まれてしまった。黙っていろ、ということらしい。


「全部っていったら全部だ。オメーらの喧嘩の内容も、原因が桂ってことも。…ついでに、オメーらが恋仲だってこともねィ」
「こ、恋仲って!」
「そこまでわかっているなら、この場はひいてくれぬか」
「え!」


ちょ、何肯定しちゃってんのコイツゥゥゥゥゥ!!!と思っている私なんていざ知らず、小太郎は涼しい顔で沖田と向き合っている。


「ひくわけねーだろィ。女もろとも捕まえてやるぜィ」
「彼女は俺と付き合っているというだけの一般市民だ。攘夷志士やその活動とは何の関係もない」
「オメーと付き合ってる時点で関係大アリでィ。あきらめな」
「…盗み聞きをする下賎な輩に頼んだのが間違いだったな」


そういって、刀を構えなおす小太郎。


「下賎だろうがなんだろうが、テロリスト捕まえんのが俺たちの仕事なんでねィ」


まさに一触即発の雰囲気。なのに、私は一人、違うことで焦っていた。


だっていきなり恋仲とか言われて、しかもあっさり肯定して…。私は、どうしたらいいの?あまりにも私を無視して話が進みすぎて、わけがわからない。





突然鋭い声をかけられて、思わず肩がはねてしまった。


「な、何っ!」
「お前は逃げろ!」
「え…」
「どうやらまだコイツ以外には見つかっていないようだ」


そういって、ちらりと周囲に視線をやる小太郎。…確かに、他に人間の気配はしない。あんな無駄話をしていたのは、それを確かめるための時間稼ぎだったのかもしれない。


「顔が割れていないお前なら、うまく逃げられるはずだ」


再び前に向き直り、沖田との距離をとりながら言う小太郎。…確かに、普段なら逃げられたのかもしれない、でも。


「無理だよ。さっき、足ひねっちゃって」
「何!」
「だから、走れないし…歩くのだって」


それに、小太郎だけ置いて逃げるなんて、絶対にいやだ。むしろ足手まといの私なんか置いて、早く逃げてほしい。


私は小太郎の腕をぐっと掴んで、自分の後ろまで引っ張った。


「沖田は私がひきつけるから、小太郎は早く逃げて!」
「何を!お前を置いて逃げられるわけが…!」
「私だって同じ気持ちだよ!」


思わず荒くなった声に、小太郎がはっと息を呑むのがわかった。


「私だって同じ。私だけ助かるのはいや、小太郎だけ置いて逃げるなんていや。小太郎が助からないなんていや。…それに、この足じゃどうせ逃げられない。だから」
「バカを言うな!」


小太郎の怒声が聞こえたのと同時に、身体がふわりと浮き上がった。抱き上げられた、そうわかった瞬間に、小太郎が木の上へと飛び移る。沖田がすかさずバズーカで砲撃してくるも、隣の木に移って何とか避けた。


そのまま木伝いに進み、団子屋の屋根に飛び移った。足が滑ったのか一瞬よろめいたけど、小太郎は私を離そうとはしない。


どうして、私を助けるの。


一緒にいないほうがいい、なんていわれて…いくら私を思ってくれた言葉でも、一緒にいなくても平気だって、その一瞬は思ったに違いないのに。


私がいなくても平気だって、思ったに違いないのに。


「小太郎、離して…!」


私を助けたって、何の得にもならない。腕の中で暴れようとしたけれど、強く掴まれた痛みで怯んでしまった。


「離さん」


走り続ける小太郎の目は、まっすぐに前を見つめている。


「どうして!私なんて助けたって何の意味もないでしょ!」
「意味など関係ない!なんとしても共に逃げる!」
「ばか!あほ!一緒に逃げて捕まったら元も子もないでしょ!」
「捕まるものか!逃げの小太郎と異名をとるこの俺をなめるなよ!」
「いや、なめてないけれども!なめてないけれどもヤバいでしょ!人ひとり抱えて逃げるなんて…!」


出来るわけない。そう思った直後、私たちのすぐギリギリを砲弾が掠めていった。それなのに。


「いいから黙って掴まっていろ!」


何度も放たれる砲弾を避けながら走り続ける。…小太郎の目に、やっぱり迷いはなかった。


途中屋根から飛び降りると、懐からいつもの爆弾を出して沖田に投げつける。見事命中、と喜ぶ間もなく走り出したけど、どうやらある程度ダメージがあったようで、追いかけてくる気配がずいぶん遠くに感じた。


これは、絶好の好機。


すかさず脇道にそれた小太郎。適当な民家に窓から上がりこんで、2階に進んでいく。申し訳ない気持ちもあったけど、今は小太郎を咎める気にはなれなかった。さっき入って来た側と逆の窓から再び屋根に出る。陰に隠れて隣の屋根に移ると、また何事もないかのように中に入り込んだ。泥棒も同然だな、と思ったけど突っ込まなかった。小太郎がこの家に入ってきた理由がわかったからだ。


「オイ、銀時!」


そう、ここは銀時の家だ。


「あァ?その声はヅラかァ?不法侵入だぞー」


奥から出てきた銀時が、私の姿を見て言葉を止める。



「すまない銀時、真選組に追われている」
「何?」
が足をひねってな、これ以上逃げられそうもない」
「はァ?なんだそれ」


銀時が、訝しげな目を私に向けてくる、何で足をひねったのか、それが聞きたいようだった。


「こ、こけちゃって…」


一応、正直に答えた。小太郎に追いかけられて逃げてたらこけた、とは言えないけど。


「はー、バカだなお前」


銀時はそれですべてを理解したのか、少し呆れたように笑った。


「たのむ銀時」
「ったく、オメーらはホント、そろいもそろって世話がやけるねェ、オイ」


そういって押入れを開け放つ銀時。その中にヅラもろとも押し込まれ、勢いよく襖を閉められた。少し埃が舞った気がするけど、この際そんなこと気にしてられない。わざわざ匿ってくれるんだから。


息を潜めて、後ろに凭れ掛かる。と、背中に温かな感触があって、気づいた。


いつもより密着した身体に、視界はゼロ。


真選組が来るかもという緊張もあいまって、無駄に鼓動が高くなる。


落ち着け、これ以上何かありえない。そう自分に言い聞かせる。今は遊んでいるわけでも、カップルごっこをしているわけでもない。ここにいるのは、真選組の追跡から逃れるため。小太郎にとって、それ以上でも以下でもないはず。


小太郎の腕が、私を抱き寄せてきたから、何。
唇が首筋に寄せられているから、何。
小太郎の心音が、いつもよりうるさく響いてくるから、何。


そんなことでこの状況を楽観なんて出来ない。それでも、物分りの悪い私が顔を出す。


どうせ離れてしまうなら、せめて今だけ。


だけどわかってる。こんなことをしても苦しいだけ。小太郎は優しいから、罪の意識から、私を連れ戻そうとしているだけ。…私が期待するようなことは、何も起きない。ありえない。


襖の向こうから、真選組らしき声が聞こえてきた。どうやら銀時と言い争いをしているようだ。それに聞き耳を立てながら、そちらに意識を集中させようとする。けど、うまくいかない。きつく目を瞑って、心を無にすることだけに努めた。





小太郎が急に耳元でつぶやくので、飛び上がりそうになってしまった。何、と声をかけることも出来ず、黙って次の言葉を待つ。



「…」
「好きだ」
「!」


心臓が、今までで一番高鳴った。


思わず振り返るけど、隙間から漏れ出た光に映し出された小太郎は、少しもふざけた様子はない。両目とも、まっすぐに私を見つめている。


それは、どういう意味?


人として?
友達として?
それとも…


女として?


そのとき、急に襖が開け放たれた。二人で振り返ると、しかめっ面をした銀時が仁王立ちしている。


「なーにイチャついてんだよ」
「い、イチャついてなんか!」
「はいはいー」


私たちに背を向けながら、呆れたように首をふる銀時。


「で、告白は終わったのかよ」
「こ、告白って!」
「ああ、今終えたところだ」
「え、なななな何を!」
「何をって、何でお前そんな動揺してんの」
「だ、だって、いきなりそんな…ってか、真選組は!」


そうだよ、真選組!さっきまで叫ぶように言い争ってたはずなのに!


「奴らならゴリラになんかあったとかで出てったぞ」
「ご、ゴリラ?」
「ま、俺が新八に頼んだんだけどな」
「そ、そうなんだ…」


私の知らない間にそんなやり取りが行われていたなんて。あっけにとられていると、銀時が大きく口を開けてあくびをした。


「ったく。貸しだからな。…ってか、話聞いてなかったわけ?」
「え、あ、いや、その…」
「…はっはーん、なるほど。人ん家の押入れでラブラブしてたってわけね」


あーおアツイねェ、といやみたっぷりの顔で言いながら、クックッと笑う銀時。…コイツ、絶対楽しんでやがる…!


「ったく、早くくっついちまえよ」
「く、くっつ…!」
「つーか早く帰れよ。ここでイチャイチャすんなよ、ガキもいんだから」


そういうと居間に戻っていく銀時。…あとに残された私は、どうしたらいいかわからず、茫然と背中を見送った。


「…


不意に背中から聞こえた声に、思わず飛び跳ねて距離をとった。


…恥ずかしくて、うまく顔を見られない。



「ななななな、何!」
「返事は」
「へ、…ん、じ?」
「俺は、お前が好きだ。ずっと気づけなんだが…今ならはっきり言える」


小太郎の口が、ありえない言葉をすらすら吐いていく。動揺することも許されないような、強い瞳が私を射抜いてくる。…そして。


「お前を、愛している」


今日何度目かの愛しみの色が、ふわりと私を包み込んだ。


「銀時に言われたんだ。出て行くきっかけを作ったのが俺なら、それを撤回出来るのも俺しかいないと」
「…小太郎」
「だから、戻って来い、。俺には、お前が必要だ」


私の目をまっすぐ見つめてる目が、ほんの少しの迷いもない言葉が、小太郎の身体から出るオーラが、ありえないくらい優しい声が、これ以上ないほどに私への愛おしさを告げている。


私が、必要。


それは、私が一番求めていた言葉だった。


「ッ、こた、ろ…」


涙が出た。小太郎が、私を求めてくれること。そばにいてもいいって、言ってくれること。


私を、愛してくれること。


「泣くな。俺は、お前の涙に弱いんだ」


そういって、私の涙を指で払ってくれる。


「なにそれ、私、めったに泣かないじゃん」
「この間気がついたんだ。 …おかげで、しばらくうなされたんだぞ」
「そ、そんなこと言われても!」


困るよ、そういいかけた瞬間、唇をふさがれた。


少し乾いた、震えた唇。


一瞬にして涙が止まって、代わりに、温かい感情がこみ上げてくる。


ゆっくりと唇が離れる。そこには、少しだけ顔を赤くした小太郎。私だって、きっと同じ顔をしているはずだ。


「…いいの?」
「なにがだ?」
「女は作らないって、言ってなかった?」
「なぜそれを…」
「立ち聞き」
「趣味が悪い」


くす、と笑って、私の頭をなでる小太郎。子供をあやすような動作に少しむっとしながらも、言葉を続けた。


「そうだよ。趣味悪いし口悪いしガサツだし、…全然女らしくないよ。家で黙って待ってるタイプでもない」
「そうだな」
「小太郎が思い描く女性像とは全然違う」
「ぷッ」
「ちょ、噴出さないでよ!」


口を押さえて笑いをこらえている小太郎をにらみつける。本当に、冗談で言ってるんじゃないのに。


私はどんなにがんばったって、小太郎の理想にはなれない。


だから。


「だから、そんな私でも、いいの?」


その言葉に、一瞬表情を硬くした小太郎だったけど、すぐに優しい、包むような笑顔に変わった。


「いまさらの性格のことでうるさく言うと思うか?」
「お、思わないけど…」
「そんなことを気にするくらいなら、はじめから好きになどならないだろう。それでは、いけないか?」


そんな風に聞かれたら、ダメ、なんていえない。それをわかっているのかいないのか、小太郎はじっと私の目を見つめて、その答えを待っている。


「…だ、ダメじゃ、ないけど」
「なんだ、まだ何かあるのか」
「あ、いや、あの… ない、けど…」
「それとも、俺のことがいやか」
「い、いやじゃない!」


反射的に顔を上げると、いたずらな小太郎の瞳と目が合った。…確信犯だ。私が反応することを見越して、わざと言ったんだ。少しの怒りがわいてきたけど、何もかも許すようなその笑顔を見ていたら、自然と気持ちが和らいでいく。


いやなわけがない。ずっと思い続けてきたんだから。いくら突っぱねられたって、絶対に忘れられない、世界でたった一人の存在なんだから。


「そうか」


穏やかにそういって、私の頭をなでる。優しい顔を見ていたら、どうしようもない愛しさがこみ上げてきて、いたたまれない気持ちになった。


ああ、キス、したい。


卑猥な意味じゃなくて、ただ純粋に、小太郎とキスしたいと思った。


一度は、キスで終わった恋。


また、キスからはじめられる?


「…小太郎」
「何だ」
「あのね」


お願いがあるの。そう言い切る前に、私の願いは叶ってしまった。


私が言うより早く、小太郎が私の唇を奪ったから。


私たちの恋は、またここから始まる。


うぬぼれなんかじゃない、心の底からそう思った。


唇がゆっくりと離れる。ぱちりと目が合って、少し恥ずかしくなったけど、小太郎も同じだったようで、くすりと笑った。


銀時、ごめんね。すぐに出て行くのは無理みたい。…でも、もう少し、あとコレだけだから。


「小太郎」
「なんだ」
「…もう一度、キスして」


照れたような小太郎の唇が、私の唇に重なった。


2011.04.23 saturday From aki mikami.