ヘッダー画像

*#8*

chapter.1


あの日から、山本くんは毎日欠かさず私の元にやってきた。…あのときのことはまるでなかったかのように振舞う。私はそんな山本君に甘えて、あのときの言葉への返事をずっと避け続けた。それが逃げだってわかっていても、そうするしかなかった。


不器用なキス


「…ごめんね、迷惑かけて」


隣で氷枕をタオルに包む山本君にそういうと、大丈夫っスよ、と軽い調子で返事が返ってきた。


あのあと私はなぜか風邪を引いてしまったのだ。体は丈夫なほうだったはずなんだけど…。病は気からって言うけど、心が弱ると身体まで弱ってしまうものなんだろうか。


心が弱る。…なんて、私らしくないってわかってる。けど、やっぱり色んなことを考えて、弱らずにはいられなかった。


ヅラのこと、山本君のこと。


「…さ、どーぞ」
「あ、ありがとう」


差し出された氷枕を頭の下に敷くと、ひんやりと心地いい冷気が伝わってくる。


山本君は、こうやって毎日やってきて、私の看病もしてくれて…ありがたい。ありがたいけど、正直こう毎日顔をあわせていると、気持ちを整理する時間もない。心にずかずかと入り込まれる感じがして、あまりいい心地もしない。…失礼なことを言っているのはわかってるけど、一人の時間がほしいと思わずにいられない。


ヅラと一緒にいるときは、こんなこと思わなかったな。ぼんやりとそんなことを思った。


「さ、ゆっくり寝てください。風邪のときは寝るのが一番っスよ」
「うん…ありがとう。山本君、ついてなくていいからね」
「わかってますよ。人がいると眠れないんスよね。…じゃ、俺いきますから」


そういって立ち上がり、静かに部屋を後にする山本君。去り際に、ゆっくり寝るようにと同じことを繰り返していた。


言われるがまま目をつぶる。…暗闇がすぅっと心に入り込んできて、よけないものが遮断されて行く。…そうして見て思うのは、やっぱりヅラのこと。


どこで何をしているのか。何を考えているのか。ご飯は食べているのか。つかまっていないか。怪我はしてないか。考えても仕方のない心配ばかりが、浮かんでは消えて、浮かんでは消えて。


浮き沈みする意識の中、私はゆっくりと、深い眠りに落ちて行った。

chapter.2


結局何もできずに数日が過ぎ、今日もまた夜になってしまった。俺は布団の上に座ったまま、ずっと考えていた。…もちろん、のことを。


覚悟といっても一体どうすればいいのか。聞くといっても何を聞けばいいのか。謝るといっても何について謝ればいいのか。…情けないが、自分ひとりで考えていても答えは出ない。女の気持ちなど、この俺にわかるはずもない。


意味もなく立ち上がってみるが、何が変わるわけでもなく、また同じ場所に座りなおす。そんなことを繰り返しているうちに足元の布団にしわがよってしまって、敷きなおしては同じ事を繰り返している。


このままではどうしようもない。俺はもう一度立ち直って、ふすまを開け放った。とにかくに会って話してみれば、何かが変わるかもしれない。…と思ったが、現在時間は深夜を回っていて、皆は当然寝静まっている。だって寝ている時間だ。しかも風邪を引いたと皆が話していたから、なおさら眠っているだろう。


…それでも。顔を見るだけでも。
しばらくの顔を見ていない。だからこんなに、のことがわからない気がしてしまうのだ。…女の気持ち、なんて言葉でがくくれるか。あいつは女であって女じゃない。そうだ、銀時の言ったことは全部あいつの気のせいで、俺の考えすぎだ。…間違いない。


そんなことを考えながら、俺の足はの部屋へと向かっていた。

chapter.3


物音に目が覚めると、辺りは真っ暗だった。


ぼんやりした眼であたりに視線をめぐらせると、すぐ枕元に人がいた。タオルをぎゅっと絞っている。ぴちぴちと水音がして、それがなんだか心地いい。


「…山本くん…」
「お、目ェ覚めました?」


横にいたのは山本くんだ。あのあとも何度か来てくれたんだろうか…わからないけど、申し訳ない気持ちになった。


身体を半分起こすと、起きなくていいっスよ、と言われた。…けれど、男の人の隣でのんびり寝てる気にもなれない。…ヅラは、別だけど。


「大丈夫、今はだいぶ気分いいから」
「そうっスか?ならいいんスけど」
「それより…ありがと」
「俺が好きでやってることっスから、気にしないでください」


言いながら洗面器の横にタオルを置いた。…おでこに置いていてくれたんだろう。


「…今、何時?」
「2時過ぎっスね」
「うわー…結構寝ちゃったなァ」
「風邪のときはいくら寝てもいいんスよ。ボカリ飲みます?」
「あ、飲む」


500mlのペットボトルを差し出されたので、頷いてそれを受け取った。ふたを開けようと手をかけてひねるけど、…風邪になると力までなくなるらしい、なかなか開けられなくて、見かねた山本君が私からボトルを取り上げた。そしてふたを緩めたあと、どうぞ、と返してくれる。


「ごめん」
「いえいえ」


にへらっと笑うので、私も微笑み返してふたを開けた。そして飲み干した甘い味は、乾いた身体にすっとしみていく。…風邪のときはこれに限るよね、うん。


「ぷはー、おいし」
「風邪のときはやっぱボカリっスよね」
「うん。普段はそんなに好きじゃなくても、風邪のときに飲むと妙においしく感じるよね」
「あ、それわかります。なんでっスかね?」
「さあ…やっぱのどが渇いてるから何でもおいしいんじゃない?って、ボカリに失礼だなあ」


キャップを閉めて枕元にボトルをおいた。はは、と軽く笑って、ボカリのキャップを閉めなおす山本君。…その横顔がなんとなくいつもと違う気がしてじっと見ていたら、ふっと目が合った。


「なんスか、そんな見つめて」
「いや…別になんでもないけど…」
「恥ずかしいじゃないっスか!あ、さては俺のかっこよさに見とれてましたね?」
「……キモ」
「うわ、ヒドイっスね!実際桂さんよりよっぽど男っぽい自信ありますけど!」
「あいつは顔だけは女みたいにきれいだからねー」
「髪も長いから、なおさら女みたいに見えるっスよ。俺みたいに短くすればいいのに」
「んー、山本君の髪型…かあ…」
「別に俺と同じじゃなくてもいいんスよ。ほら、前に短髪になって帰ってきたときあったじゃないっスか。あれくらいでいいんスよ。ってか、実際あっちのほうが似合ってませんでした?」
「まあ確かに似合ってはいたよね」
「男の癖にずるずる髪伸ばして。…なんなんスかね。…っつーか、さんは長髪が好きなんスか?」
「えっ…」


その質問が、それまでのふざけた感じとはなんとなく違う気がして、一瞬言いよどんでしまった。


「べつに…そういうわけじゃないけど…」
「ふーん。…じゃあ、髪なんて関係なく、桂さんが好きだってことっスね」
「そんなこと言ってないけど」
「…なんで目、あわせないんスか」
「……そんなつもりじゃ」


ないんだけど。言葉尻を飲み込んだ私に、山本君がふぅと深いため息をついた。…まるで責められているみたいで、少し胸が苦しくなった。


「正直わかんないっスよ、さんがなんであんな人が好きなのか」


山本君のその言葉に、心臓が軽くはねる。…なんで好きか?そんなこと、聞かれたって困る。簡単には答えられない。


私が何も言わないでいると、山本君の目が鋭くなって私を射抜いた。ぞくりと、寒気にも似たものが湧き上がってくる。


「…俺にしろよ」
「…え?」


声が、怖い。


「あんなやつやめて…俺にしろって言ってんだよ」


言いながら、ぐっと肩を掴まれた。今までされたことがないくらい強い力で、骨がぎりりときしむ。


「いたッ、いよ…」
「なんであいつなんだよ。俺はこんなに思ってるのに…俺のことも見ろよッ」
「ちょ、山本くッ… やめッ!」


言い終わる前に、ものすごい力で床に押し倒された。抵抗したいのに、風邪のせいか体に力が入らない。山本君の顔が触れそうなほど近くに来て、何とか両手で押さえ込む。


ヤベー感じすんだよ


銀時が言ってたやばい感じって、こういうこと?抵抗していた手も強引に押さえつけられて、そのまま唇を奪われた。なにこれ、私、


襲われる?


「ッ」


怖くなった。入り込んでくる舌を思い切り噛んで、出せるだけの力で体を突っぱねた。少しできた隙間にひざをねじ込んで、山本君の腹に蹴りを入れる。


「助けて…」
「っ、、さッ…」
「助けて!」


震える足で立ち上がろうとするけど、着物の裾を踏んづけて滑った。畳に情けなくしりもちをつくと、山本君が覆いかぶさるように迫ってくる。…そんなとき、部屋の襖が勢いよく開いた。


っ?」
「……小太郎」


そこにいたのは小太郎だった。…身体から力が抜けて行く。自分でも驚くほど、涙があふれた。


「…助け、て」


擦れる声を、無意識に絞り出していた。


「助けて、小太郎っ!」


私が言ったのと同時に私の上から重さがなくなった。変わりに黒い影が窓の方へと吹っ飛んで行く。後から鈍い声と衝撃音が生々しく響いた。…小太郎が、山本君を蹴っ飛ばしたのだ。


廊下からざわざわと声が聞こえ始めた。ポツリポツリと灯りがともり、人が走ってくる気配がする。私はそれを聞きながら、荒くなった息を整えていた。


最初に部屋に飛び込んできたのはエリザベスだった。ほかの隊士たちも続けてやってきて、破壊された窓に駆け寄り下を覗き込んでいる。そこにはきっと小太郎に吹っ飛ばされた山本君がいるはずで、何がなんだかわからず皆頭を抱えている。


「一体、何があったんですか!」


隊士の一人が言った言葉に、私は小太郎を伺い見た。…小太郎は、私ではないどこか中空を見ながら浅く息をしていて、焦点があってないように見える。…みんなの言葉なんて聞こえてないみたいに、何も反応しない。


「…小太郎?」


恐る恐る声を掛ける。すると、まるで今気がついたかのようにこちらを振り返って、それからゆっくりと周りを見回した。…どうしたんだろう。誰もが小太郎の反応を待っていると、やがてゆっくりとうつむいた。


「エリザベス、後を頼む」


そういうと、私の腕を強引に引っ張って部屋から連れ出した。後ろでみんながざわついているのがわかる。何人かが呼び止めるように呼んでいたけど、小太郎は一度も振り返らなかった。


握る力が強い。微かに震えている。…動揺している?考えがまったく読めない。


やがて小太郎の部屋まで来ると、強引に中に押し込まれた。…いつもの小太郎と違う。そう思って、何か声を掛けようとしたとき、痛いほど強く、小太郎の唇が重ねられた。貪るように舌が絡みつき、後頭部にある手にはまるで掴むような力がこもる。体重が身体にのしかかってきて、そのまま転がるように敷いてあった布団に倒れこんだ。


わけがわからない。どうして小太郎がこんなことするのか。…それよりも、これじゃあさっきの山本君と何も変わらない。さっきまでと同じような気持ちが、頭を支配して行く。…ダメ。


…怖いよ。


その瞬間、小太郎が何かに気がついたように離れて行った。


「…小太、郎」


私は、泣いていた。気がついたら、涙が流れていた。小太郎の顔が見る間に青くなっていく。…違う、そんな顔させたいんじゃない。でも、涙は一向に止まらない。


やがて、小太郎はゆっくりと離れて行った。


「……すまない」


抑揚のない声が、やけに大きく室内に響く。…私は、何も答えられなかった。


「…俺は、向こうの処理をしてくる。…お前は、今日はここで寝ろ」
「……え」
「心配するな。俺は向こうで寝る。…もう二度と、お前に近寄らない」
「こたろ、」
「おやすみ」


ぴしゃりと襖が閉められた。まるで、もう話すことはない、とでも言うように。


違う。
こんな結果望んでない。


おやすみ


そういった小太郎の顔は、傷ついた顔だった。


最低だ。…また、小太郎を傷つけて。


でも、わからない。…わからないよ。だって声が出なかった。涙が止まらなかった。…怖かった。


私、どうすればよかったの?


混乱する。ぐちゃぐちゃになっていく。床に頭をぶつけても痛みが広がるばかりで、答えの出ない迷宮に、私は深く飲み込まれて行った。


2010.01.07 thursday From aki mikami.