Episode 26

本当に人のためになるのかよく考えて発言しよう

Scene.1






『…見間違いだろ。そんなこと、ありえねーよ』
『だけど僕たち全員が見てるんですよ?全員で見間違いなんて…』


そんな声に目を開けると、そこにはいつもの和室の天井があった。そして、みんなが深刻そうな顔をして私をのぞいていた。


「! 気ィついたか!」
「………銀さん」
「よかった…」


そういって、ほうっと息をつく銀さん。よほど心配をかけてしまったらしい。と言っても、まだ頭がぼんやりしていて、今の状況が飲み込めないんだけど…。


「ウワァァン!!よかったネ!」


神楽ちゃんが今にも泣きそうな顔をして抱きついてきた。というか、のしかかってきた。お、重い…。


「オイコラ、抱き付くんじゃないよ、の身体に障るだろ」
「ホント、オメーハバカダナ」
「キャサリン!アンタも逆撫でするようなこと言うんじゃないよ!」


新八くんと神楽ちゃんだけじゃない、お登勢さんに、あのキャサリンまでいる。…そうだ、私はさっきまで、みんなと雪祭り会場にいたはず。で、雪合戦大会みたいになって…


…私、倒れたんだ。ようやくそう思い出すと、銀さんの手が一度、ふわりと頭を撫でた。


「………私…どれくらい寝てた?」
「3時間ってとこだな」
「………起きる」
「いーよ、まだ寝てろ」


そう言って布団をかけ直されてしまった。仕方ないので、黙って甘えることにする。もう倒れそうな感じはしないし、ひどかった頭痛もだいぶ治まっているけれど。


…でも、さっきだって頭は痛かったけど、倒れそうではなかった。自分ではそこまで体調が悪いなんて自覚していなかったのに、この事態だ。…やっぱり、寝てた方がいいかもしれない。


もしまた倒れて、これ以上みんなに心配をかけたらいけないから。


「オイ新八、アイツらに知らせて来い」
「ハイ」
「え…アイツらって…」


銀さんに言われて立ち上がった新八くんが、リビングへつながる襖を開ける。すると、向こう側にヅラとエリー、手前側に長谷川さんとさっちゃんまでいる。…みんな雪祭会場からそのまま来てくれたんだろうか。それぞれつけていたマフラーなんかがソファにかけられている。


「みなさん、さん意識戻りましたよ」


という新八くんの言葉と共に、全員がコチラを振り返る。…ヒラヒラと手を振ると、みんながゆるっと笑ってくれた。


みんなにも、心配かけてしまったんだろう。そりゃあそうだよね、目の前で倒れたんだから。…楽しいイベントに倒れるなんて、ホント、最低。


「…ゴメンね…みんな」
「俺たちのことは気にするな。それより身体は大丈夫なのか?」


そういったのはヅラだ。いつもの通り、腕を組んでこちらを見ている。隣にはエリーもいる。


「うん…頭痛も大分よくなったし…もう平気だよ」
「悪いけど、私貴方が心配だったわけじゃないから。銀さんに会いに来ただけだから」


今度はさっちゃんだ。ぶっきらぼうにそういって、ふん、とそっぽを向く。


「あはは、そーだよね。でもありがと」
「アンタさァ、病人だぜちゃんは!もうちょっと気のきいたこと言えよ!」
『お前もな』


気を使ってくれた長谷川さんに、エリーがそうつっこんだ。お前もなって、そんなことないよ、ここにいてくれてるだけでみんな気使ってくれてるじゃない。


「んだとォォ!俺は人生の先輩としてアドバイスをだなぁ…」
「マダオのアドバイスなんてごめん被るネ」
「なにこれ!なんで俺こんなに扱い悪いのォォォ!」


いや、やっぱり長谷川さんはこういうポジションなんだな。…いきなり目の前で倒れた私に、いつも通りに接してくれる。でも、いつもどおりにしていても、気を使ってくれるみんなに、申し訳なくなった。なんだかんだ言って、優しい人ばっかりなんだから。


「オイ、あんまうるさくすんじゃねーよ。つーか帰れ」
「ちょっと銀さん!」
「いや、でも今日のところは帰ってもらったほうがいいだろ。これだけいても邪魔なだけだからね。…って、さっき言ったんだが、アンタが目ェ覚ますまでいるって聞かなくてねェ」
「え…?」


お登勢さんが、そういってニッと笑う。…やっぱり、気、使ってくれてたんじゃん。


「みんな、アンタを心配してたってことさ。…よかったねェ、」
「…うん」


うれしいけど、やっぱり申し訳ない。と思ってゴメンネというと、みんなが声を合わせて別に、と言ってくれた。ホントに、揃いも揃って優しい人ばっかりだ。


そうして4人が帰って行くのを、私は布団の中で見送った。帰り際、ヅラが今度見舞いに来ると言ってくれたので、じゃあ今度はメロンが食べたいと言ったら、いちごで我慢しろと言われた。


みんなが帰った後、銀さんが、うるさかったな、といったけど、あのいつもどおりのうるささが逆に安心するって言うか、体調が悪いと寂しくなるもんだけど、あれならまったく寂しくならずにすむから私としては別にいい。そんなようなことを言ったら、新八くんがくすくす笑いながら、銀さんの気にしすぎだったみたいですね、だって。確かに、今日の銀さんはなんだか色々気にしすぎだ。…それがうれしいといえばそうなんだけどね。


「ホレ、熱計ってみ?」


そういって体温計を渡されたので、おとなしく熱を計ることにする。


…それにしても、この間といい今回といい、私は本当にタイミングが悪い。向こうにいるときは貧血とかが多くてよく倒れていたけれど、こっちに来てからは割りと調子がよかったのに。


どうしてしまったんだろうか、一体。特にご飯を抜いていたわけでもないし、睡眠が少なかったわけでもない。以前のように、ストレスがあったわけでもないのに。むしろ、この世界にいられることはこの上ないくらいの幸せなのに。


体温計が小さく鳴った。…35度5分、平熱だ。銀さんに渡すと低すぎると言われたけど、私には平熱だと言ったらふーん、と不審気に言いながら体温計をしまった。たぶん、普段から不健康だと思われたに違いない。そんなことないのになァ。


、なんかほしいものないアルか?私持って来るネ!」


神楽ちゃんが、ずいぶん張り切った様子でそういった。そういえば、前に銀さんが怪我して志村家で療養していたときも、銀さんの看病をやけに張り切ってやっていた。…でも確かに、女の子ってそういうところがあるような気もする。そうだなァ、と悩んでいると、新八くんがあ、とつぶやいた。


「そういえば、お腹空いてないですか?お昼ご飯食べてないですし」
「…そういわれれば空いたかも」
「新八ィ!余計なことすんなヨ!は私が看病するネ」
「ガキガ ナマイッテンジャネーヨ!」
「んだとォォォ!」
「ちょ、二人ともやめて。…神楽ちゃん、お水もらえる?」
「! アイアイサー!」


そういうと、神楽ちゃんは台所の方に駆けて行った。途中キャサリンがドタバタウルセーヨ!と突っ込んでいたけど、元気な神楽ちゃんを見ていると、それだけで元気が出て来る。


私が右手を突っ張って身体を起こすと、銀さんがそれを支えてくれた。…けど、やっぱりまだ回復していないらしい。グラリと視界が揺れて、銀さんの方へと寄り掛かる。


「オイ、大丈夫か?」
「うん…」
「あんま無理… …!」
「………?」


顔を上げると、みんなが私を見て青い顔をしていた。…一体、なに?誰も何も言わないまま、ただ私を見ている。


…何?私の顔に何かついてる?そうたずねたかったけど、とても口を開けるような空気じゃなかった。


そこに、バタバタと足音が近付いて来た。


!水持って…


神楽ちゃんの言葉が、そこでプッツリと途絶えた。持っていたコップが、小さな手からスルリと滑り落ち、重力に従って床にたたき付けられる。幸い畳の上だったから割れはしなかったけど、落ちた拍子にこぼれた水が畳にジワリと染み込んだ。


「あァ、神楽ちゃん、コップ…」


落ちたコップを拾おうとして手をのばした。けど、私の手は途中で止まってしまった。


………透けて、る?


「なに、コレ…」


自分の手を通して床が見える。思わず広げた両手とも、まるで三流映画の幽霊のように半透明だ。


「…やっぱり」


静寂を、新八くんの声が破った。


「やっぱり見間違いなんかじゃないんですよ!」


その言葉で、起き掛けの、あの会話を思い出した。


『…見間違いだろ。そんなこと、ありえねーよ』
『だけど僕たち全員が見てるんですよ?全員で見間違いなんて…』


…これのことだったの?だったら、私は今以外にもこんな風になってたことがあるってこと?いや、文脈から考えると、こんな風になったのは倒れたときから?…じゃあ、私が倒れたのは、原因?それとも逆で、こうなったから倒れたの?


…考えても、何も答えは出なかった。


「だって本人にも見えてるんですよ!?全員揃って見間違えるなんて…!」
「ウルセェ!」


新八くんの言葉を、銀さんの張り詰めた声が遮った。


「ウルセェって、銀さん!」
「今はんなことどーでもいいんだよ!」
「どうでもって…!」
「余計なこと考えさせるんじゃねェ!」
「なっ…!余計なことじゃないでしょう!」
「体調悪いっていってる人間に、これ以上負担かける気かオメーは!」
「…それは」


新八くんに対して、こんなに怒っている銀さんを始めてみた気がする。…新八くんは黙り込んで視線をそらす。…私のせいで、言い争ってなんて欲しくないのに。


「……銀さん、あの」
「オメーはいーから、寝ろ。…なんも心配すんな」
「…でも」
「まずは体調を治すことを考えろ。…いいな」
「………うん」


そういった銀さんの声があまりに強くて、頷くしかなかった。まるで、従わないと許さないと言われた気がした。


心なしかシュンとした新八くんに目配せすると、申し訳なさそうに目を伏せる。申し訳ないのはこっちだよ。そう思ったけど、たぶんうまく伝わらなかった。


ゆっくりと目を閉じると、フワリと頭を撫でる手。大きくて優しいけれど、目を閉じる瞬間に見たのは、優しい笑みじゃなかった。


…ヒドく、戸惑っている銀さん。


銀さんがあんな風に感情的になるなんて、あまりないことなのに。そりゃあ普段から自分の感情に忠実に生きている人かもしれないけど、こういう事態に陥ったとき、みんなの中の誰よりも冷静な人なのに。


銀さんが、戸惑ってる。私がそうさせている。でも確かに、人が透明になるなんて聞いたことがないし、普通はありえない。…それを目の当たりにして、平然としていられるわけがない。


…自分の心が、変にざわついた。たぶん同じことを考えているだろう銀さんは、私が眠るまでずっと、頭をなでていてくれた。


Scene.2


翌日起きると、銀さんが私の右手を握ったまま隣で眠っていた。その反対では神楽ちゃんが左手を握って眠っていて、その隣に定春、新八くんはそんな二人から少し離れて、壁に寄りかかって眠っていた。


出来るだけそっと、手を離しながら上体を起こす。二人が起きた気配はないので、取りあえず布団を一枚ずつ上にかけてあげる。その足で、私は洗面所に向かった。


鏡はちゃんと私を映している。鏡を通さなくても、今日はちゃんと見えている。たくさん寝たおかげか、ずいぶんと体の調子もいい。


今思えば、初めて透けてると言われたやきいものとき、…あの時も、いつもより頭痛がひどかった気がする。向こうにいたときから頭痛なんて常だったから、特に気にしてもいなかった。…けど、もし頭痛と体が透けるのとが関係あるんだとしたら、最近の頻繁な頭痛は警告だったのかもしれない。


お前はもうすぐ消えるんだって言う、警告。


たぶん、みんなも薄々感づいているんだろう。だって私がこの世界の人間じゃないってことはみんなが知ってることで、その人間が消えるってことは、自分の世界に帰るってことなんだって、誰もが予想できることだ。


さん?」


そんな声に驚いて振り返ると、そこには新八くんがいた。どうやら顔を洗いに来たらしい。私は一歩退けながら、おはよう、と言った。


「おはようございます。どうしました、ボーっとして」
「なんでもない。ちょっと自分の顔見て惚れ惚れしてた」
「やめてくださいよ、銀さんじゃあるまいし」
「あはは、冗談だよ、冗談」


…案外、普通だ。


昨日あんなことがあったから、もっとギクシャクするかと思ったのに。…いや、それともやっぱり、本当は気まずいのを隠してくれてるんだろうか。


顔を洗って、タオルで拭きながら洗面所を出て行く新八くん。…それをぼんやりと見ていた私を振り返らないで、新八くんが足を止めた。


さん」


その声色がやけに真剣で、心臓が飛び跳ねた。


「な…何?」
「……僕は」


そこで言葉を切って、振り返る。…その目が、時々銀さんがするあの目に似ていると、少しだけ思った。


「僕は、みんながバラバラになるのはイヤです」
「…」
「でも、…昨日思ったんです、もし…もしさんがさんの世界に帰ることを望むんなら…僕にそれを止める権利はないって」
「新八くん…」
「この世界で、その権利があるのは…一人だけだから」
「…」
「でも、…それでも聞いておきたい。…さんは」


二つの目が、じっと私を捉える。私は目をそらすことが出来なかった。


「…帰りたいと、思いますか?」


「……え、と」


咄嗟に言葉が出てこなかった。…帰りたい?帰りたくない?今までずっと考えないようにしていたその話を、いきなり今考えろだなんて。…答えに詰まる私を、新八くんはじっと見つめている。


「…なにやってるネ、二人で」


そこにそんな声が飛び込んできて顔を上げる。すると、目を擦りながら神楽ちゃんが入ってきて、ぺたぺたと足音を鳴らしながら流しの前に立った。


「二人で見詰め合ってるなんて気持ち悪いネ」
「いや、別にそんなんじゃ…」
「…ー、タオルー」
「あ、うん、ちょっと待ってて」


タオルを取りに行こうとしたら、それより早く新八くんが動いて、持ってきてくれた。はい、と渡されたそれを神楽ちゃんの首にかけてあげると、じゃぶじゃぶ顔を洗いながら、ありがとう、といった。


すっかり話がそれてしまって、気まずくなる空気。でも神楽ちゃんはそんなことお構いなしで顔を拭いている。あたりまえだ、さっき私達が話していたことなんて、わからないんだから。





顔を拭きながら、神楽ちゃんが振り返る。…じっとこちらを射抜く目が、どうしてか、新八くんや銀さんと同じような目をしている。なんでこんなに小さな子が、こんな目を出来るんだろうか。


「…私は、に帰ってほしくないネ」
「え…?」


聞いてたの?と聞くより早く、新八くんが同じことを言った。それにウン、と頷くと、タオルを新八くんのほうに放り投げる神楽ちゃん。


「新八の言うことわかるネ。大事なのの気持ち、それ無視したらいけない。…でも、私、にはずっといてほしいネ。だって、みんな仲間。家族みたいなものアル。離れるの…寂しいネ」
「…神楽ちゃん」
が帰りたい言うなら止めないネ。でも、それが私の気持ちネ」
「っ…」


泣きそうになった。こんな風に、私と一緒にいたいと思ってくれる人がいる、でもそれ以上に、私の幸せを願ってくれる人がいる。…そんな、今まで一度もなかったものが、こんなところで、まるで当たり前のように手に入るなんて。


「……ありがとう」


そう答えると、神楽ちゃんがにっこり笑って抱きついてきた。ぎゅっと抱きしめ返すと、の胸くれ、なんて言われてしかも揉まれたのでチョップを食らわすと、ちょっと赤くなった新八くんが朝っぱらからなに言ってるの!だって。まったくだよ。そんなところまで銀さんに似なくていいんだよ、といったら、へー、銀ちゃんってこんな風におねだりするの?なんて標準語で言われたから、もう5発チョップを食らわして黙らせた。


「さて、ご飯作ろっか」


迷惑かけちゃった分、お返ししないと。だけど、新八くんが今日は僕が作りますよ、といってくれて、結局お願いすることになってしまった。まァ、もし今また倒れたらそれこそ迷惑の極みだもんね。


みんなでリビングに移動して、神楽ちゃんが銀さんをぶっ叩いて起こすのを聞きながら、私はテレビの電源を入れた。


ちょうどつけた瞬間入ってきたのは、ニュースだった。どうやら江戸で爆発事件があったらしい。こっちの世界じゃこの手の事件は結構ざらだけれど、それにしても最近はずいぶん多いような気がする。攘夷志士の新手のテロじゃないかという話だけど、その辺ははっきりしていないらしい。狙われている建物が、幕府に関係あるのかと思えば、幕府どころか一般人すらも立ち寄らない廃ビルだったりして、目的がいまいちつかめないからだろう。


ちなみに後ろから聞こえるものすごい叫び声は、無視の方向で。


さん、朝はコーヒーですよね」


台所から顔を出した新八くん。私がそうだよと答えると、砂糖何個ですか?と聞かれたので1つだよ、と指を立てて答えた。新八くんが引っ込んだのを見てから、テレビに意識を戻す。…そのとき、さっきまで出ていなかった名前がアナウンサーの口から紡がれた。


『今回の事件は、攘夷浪士の中でも超過激派と言われる、あの高杉晋介が絡んでいることが明らかになりました』


…高杉。


その名前を思い出した瞬間、アイツのあの言葉が頭をよぎった。


「俺はお前の秘密を握ってる」


高杉の言っていた秘密って言うのは、まさか…こういうこと?私が別の世界から来たこと?…でも、そんなこと知ったからって…


「…、まさか」


帰る方法を、知ってる?


…そんな、まさか。そんなことあるわけ…でも、私が握られるような秘密なんてほかにない。それなら高杉が、お前はいずれ俺のところに来ることになる、そういったのも頷ける。


…でもどうして高杉が?だって、2度しか顔をあわせたことのないのに。


「…なにが、まさかだって?」
「! 銀さん…!」


振り返ると、銀さんが大あくびをしていた。…私は何も答えないまま、視線をテレビに戻す。…内容なんて、全く入ってこないけれど。


私が答えないのを見て、銀さんは洗面所へと歩いていった。


…ゴメンネ、でも、もし私が思ったとおりだとしたら、高杉と私のことに銀さんを巻き込みたくない。ソレじゃなくても、高杉は銀さんを目の敵にしてるみたいだし…


洗面所から戻ってきた銀さんは、あからさまにこちらをうかがっていた。けれど、私は何も言わないで、新八くんが出してくれたコーヒーをすすっていた。


Scene.3


翌日。朝方調子が悪かったので、昼まで寝てろと言われて、ゆっくりと目を覚ましたとき、周りには誰もいなかった。それどころか、物音一つしない。誰もいないんじゃないかと思わせる静寂。


不安になって、布団から起き上がった。


またああなるんじゃないかという不安はあった。けど、それよりも一人になる不安の方が大きかったし、今度は何度確認しても、体が透けることは一度もなかった。


襖を開けると、そこには銀さんがいた。ソファに座ったままピクリとも動かないで、黙って顔を伏せている。…私が歩みよっても、反応はなかった。


「…銀さん」


呼びながら隣りに座ると、オー、と小さく返って来た。その声はいつもと変わらない、気の抜けた銀さんの声だ。


「起きたか」
「うん」
「………体調、どうだ?」


言いながら振り向いた顔も、いつも通りだ。私のおでこに手をあてて、熱はねーな、と笑う。寝る前もなかったじゃん、といったら、そりゃそーだな、と笑われた。


「もう大丈夫。大分よくなったよ。頭も痛くなくなったし」
「そーか」
「それより新八くんと神楽ちゃんは?定春もいないの?」
「新八は買い物、神楽は定春の散歩だ」
「そっか。…なんか、みんなに申し訳ないね。こんな状態じゃ依頼もまともに受けられないだろうし…」
「んーなことはお前が心配することじゃねーんだよ。…俺が怪我した時だって、似たような状況だったろーが」
「そうだけど、あの時は内職をちょこちょこもらって頑張ってたから」
「じゃー俺達もそうする。…だから、お前は気にするな」
「…うん」


頷くと、ポンと頭を叩かれた。…けど、その表情がいつもより硬いような気がする。


「ねェ」
「ん?」
「………銀さんは…何をしてたの?」


あんな風に座って、少しも動かないで、俯いて、何をしてたの?ジャンプも放り出して、何をしていたの?


尋ねると、一瞬表情が固まった。…そしてすぐに私から視線を逸して、あー、と呟く。


「………考えてた」
「…」


何を、なんて聞くまでもなかった。


私のこと、身体が透けてたことだ。


本当は、何をしてたの、なんて、聞く必要もなかった。部屋に入った瞬間、銀さんの表情を見た瞬間、何を考えているのか手に取るようにわかった。…だって、その顔は眠る直前に見た、あの顔だったから。


あんな風に銀さんが考えているところを、正直始めてみた。銀さんはいつも、顔に出さないで思考するから、何を考えているかなんてわからないのに。


ふう、と小さいため息が聞こえた。


「………やっぱ…見間違いなんかじゃねェよな」
「…」
「俺よォ…昨日ので4回目なんだわ」
「え…4回?」
「おー。お前の誕生日だろ、やきいもんときだろ、それに倒れたときと、昨日」
「あ…そっか」


そうじゃないかとは思ったけど、誕生日のときのあれはやっぱりそういうことだったらしい。それだけ見ていて見間違いなんて、殆んどありえない。


「…お前まさかさァ、透明人間になれるとか…そんなんじゃないよな?」


真剣な声のまま、そうたずねてきた。…一見ふざけた言葉だけど、本気で言っているんだろうか。


「まさか」
「実はカメレオン的な何かで周りと同化出来ます、とかでもねーよな?」
「んなわけないじゃん」
「………お前自身には、透明になってる自覚はねーってことでいいんだな?」
「……うん」
「そーかァ」


そう答えると、大きく伸びをする銀さん。無感情な顔も声も、平静を保とうとしているように見えて、胸がチクリと痛んだ。


「…あとよ」
「なに?」
「倒れたのは…俺が飯食わしてやれてないからじゃねーよな?」
「違うよ」
「ストレスたまってたわけでもねーよな?」
「全然ないよ」
「…っつーことはなんだ。やっぱ倒れたから透明になったのか。それとも逆か?透明になったから倒れたのか?」
「…………わかんない」
「なんでだよ」
「なんでって…わかんないもん」
「オメーの身体のことだろうが」
「そうなんだけど…でもわからないものはわからないもん」
「…ったく。どういう生活してたらこんなんなるんだろーな」
「え?」
「お前さ、昨日言ってたろ。頭痛とか貧血は向こうにいるときからだって」
「ああ、うん…そうだけど」
「向こうにいるときから不健康な生活してたんじゃねーの?」


…向こうに、いるとき?


「……わかんない」
「誤魔化すなよー、お前って後ろ暗いときは絶対わかんないって言うよな」
「…そうじゃなくて」
「あ?」


…思い出せない。…私、向こうでどんな生活してた?誰かと暮らしてた?一人だった?何をしていた?働いてた?それとも?


「…思い、出せない」
「オイ」
「自分のことなのに…何にも覚えてないよ」


友達はいた?親は?どこに住んでた?どんな家だった?


「…なんで、え?だって、私は確かに向こうの世界に住んでて…」
「オイ、落ち着け」
「だって!私…覚えてないんだよ、何にも…!」


なんで、なんで、なんで?誕生日とか年齢とか名前とか、そんなことは覚えてるのに、どうしてほかのことは思い出せないの?なに、私、物忘れ激しくなった?違う、そうじゃなくて…


『とうとうこうなったか』


私の思考をさえぎったのは、銀さんの声ではなかった。反射的に二人で振り返ると、そこには


『よ、久しぶり』


はじめてこっちにきたときに会ったあのおっさんが、いつの間にかそこに座っていた。


2008.07.08 tuesday From aki mikami.