Episode 28.5

逃げられると追いかけたくなるのが真のS

Scene.1






珍しく夢をみた。


暗い、何もない空間。そこにと俺だけがいる。は俺に背を向けて、今にも泣きそうに、いってきます、と笑う。が闇に消えて行くのを、俺はジッと眺めるだけだった。


「っ…!!」


起き上がって最初に見たのはいつもの天井だった。今まで自分が見ていたものが夢だったと把握すると、汗が一気にひいていく。


……悪い夢だ、が俺の前からいなくなるなんて。


毛布をソファに置いて洗面所に向かう。顔に張り付く前髪が鬱陶しくて髪をかきあげると、手のひらまで汗で濡れた。


風呂にでも入ろうかと思ったが、俺は足を止めた。


夢の中のの顔。泣きそうな顔が、頭にちらつく。ホントの泣き顔を見たわけではないというのに。


…どんだけ女々しいんだ俺はッ。


棚からタオルを引っ張り出して首に引っ掛けながら居間に戻った。和室の襖の前に立って、手をかけたところで動きを止める。


また甘えん坊だとか言われんだろうな。


そんなことを思いながら、出来るだけ静かに襖を開けた。


だが、そこにはいなかった。


キレイに畳まれた布団、整頓された室内には、人どころか、そこで寝ていた気配すらなかった。


いってきます


その言葉が頭の中に木霊したとき、俺の足は自然と動きだしていた。


「―――ッ!!!」


振り返って室内をくまなく見回した。洗面所も風呂場もトイレも台所も確認したが、どこにもの姿はない。それどころか、玄関から靴がなくなっている。


「銀ちゃんどうしたネ、朝っぱらからうるさいアル」
「神楽、がいねーんだ!」
「んー?買い物にでも言ったんじゃないアルか?」
「…」


神楽の言葉に、身体から力が抜けた。…そうだ、何を考えてるんだ俺は。がいなくなるなんてこと、あるわけがねェ。そういや新八が明日の朝食べるパンもないとか言ってたから、買いにいったに違いない。僕が来るとき買ってきますよって新八が言ってたのに、おっちょこちょいだから忘れたんだな。


変な夢なんかみたせいだ。がいなくなると思うなんざ、どうかしてる。大体には、ここ以外行くとこなんてないはずだ。


「まったく…これだから過保護は困るネ」
「……ウルセェよ」


そう言葉を返しながら、首のタオルで頭を拭いた。自分の女のことで過保護になってなにが悪い。人間心配されなくなったら終わりだぞ。それにだってなんだかんだいって嬉しそうに…


いってきます


…オイ。


なんだよ俺。は買い物だって、今納得しただろうが。それがなんだよ、お前はどんだけ過保護なんだよ。


頭を思い切り掻いて幻聴をかき消すと、ソファに腰を降ろした。


俺が寝る前に飲んでいたいちご牛乳は、当然ながら片付けられている。普段なら目覚め一番に、飯とカップといちご牛乳のパックが置かれているはずだが、今日は何もない。


…いや、もうすぐが帰って来て、普段どおりの、当たり前の日常が始まる。


そう思っていた矢先、引き戸が開く音がした。俺は反射的に立ち上がり、玄関へと走り出す。


「…ッ!」
「あ、銀さんおはようございます」
「………新八」


俺の期待に反して、入って来たのは新八だった。俺の様子に驚いているのか、どうしたんですかと怪訝そうな声が帰ってくる。


「朝起きたらがいないからずっと待ってるアルヨ」


洗面所から顔を出した神楽がそう言いながら俺に呆れた目を向けた。


「おはよう神楽ちゃん。さんいないって?」
「きっと買い物にでも行ったネ。…って私は言ったけど全然理解出来てないアル、このクソ天パ」
「まァ、銀さん過保護だからね」


そう言って笑いながら居間に向かう新八。神楽は新八の買い物袋を奪って、定春の方へとかけて行く。二人について居間に戻りソファに座ると、新八が大量のパンをテーブルに広げながら言った。


さんのことだから、僕が買って来るって言ったの忘れて朝ご飯でも買いに行ったんですよ」
「…わーってんよ」
「だったら落ち着いてください。なんか子供の帰りを待つお父さんみたいですよ」
「俺のどこが落ちついてないんだよ」
「どっからどうみても落ち着いてないでしょ。めちゃくちゃそわそわしてるでしょ」
「まァこれでも飲んで落ち着けヨ!」


そう言って神楽が差し出したのは、いちご牛乳のパックとカップ。前にが買って来た、俺専用のいちご柄マグカップだ。


差し出されたメロンパンを食いながら、いちご牛乳をカップに注ぐ。パックをテーブルに戻すと、そこにはいつも通りの食卓。


だが、違う。俺が見たいのはこんなもんじゃない。飯があっても、いちご牛乳があっても、そこにがいないんじゃなんの意味もない。


「…まっじーな、このメロンパン」
「え、そうですか?僕は結構いけると思いますけど」


同じメロンパンに食いつく新八が、顔もあげずにそういった。っつーかがっつきすぎ。が帰って来たときにはもうなくなってるんじゃねーのか。


…でもまァ、自分で買ってくるんだからいいのか。


そう思いなおしてパンにかぶりつく。…嫌な予感が拭えないのは、おかしな夢なんか見たせいだ。新八や神楽の言うとおり、俺が過保護なだけだ。


そう自分に言い聞かせながら、あんぱんに手を伸ばした。


Scene.2


結局、夕方をすぎてもは帰って来なかった。


お登勢のババアに言伝を頼んで、3人で手分けしてを捜した。…だが、がいきそうなところなんてたかが知れている。いくら街を捜しても、見つかりそうな気はしなかった。


それより俺が考えていたのは、が何でいなくなったのかだった。新八や神楽は事故にでも巻き込まれたんじゃないかと心配していたが、あの夢の中のいってきますが夢ではなく、現実だったとしたら、アイツは自分の意思でいなくなったことになる。


どこにいったってんだよ。何で急にいなくなんだよ。わけわかんねーよ。


「銀さーん!」


向こうから新八が手を振りながら走ってくるのが見える。


「どうですか?」
「どうもこうも…この顔みたらわかんだろ」
「…いなかったんですね」
「そっちはどうだ」
「それが…目撃証言すらないんです。一体どこにいっちゃったのか…」
「………」
「まさかホントに誘拐なんてことは…」
「………ねェ、だろうよ」


俺の言葉に、新八が驚いて振り返った。なぜわかるのか?そう問いた気な顔をしている。


あれは俺の夢だ。現実に見たわけじゃないから断言は出来ないし、そんなものしたくもない。だからこそ今まで見ないふりをしていたが、…俺は、最初から直感していた。


が、俺の前からいなくなったことを。


「…………とにかく早く見つけねーとな…あのバカ思い詰めたら何すっか分かんねーから」
「あっ、はい。…あの、とりあえず万事屋に帰りませんか?神楽ちゃんと合流してから、知り合いの家を一件ずつ回りましょう。ひょっとしたら、どこかに身を隠してるだけかもしれないし…」
「………そうだな」


走り出した新八について、俺も走り出す。一瞬頭によぎったは、相変わらず悲しげだった。


昨日まで普通だったろーが。なんで急にこんなことになんだよ。出かけるときは行くとこ教えとけっていったろーが。それがなんだよ、いってきますって、何勝手にいなくなってんだよ。


もうすぐ日が暮れる。こんな所にいるわけがないと思いながらも、気がついたらそこら中にの姿を捜していた。


Scene.3


スナックお登勢の前には神楽と定春が戻ってきていて、その隣にお登勢のババアとキャサリンもいる。定春の背中に座っていた神楽は、俺達を見てあわてて立ち上がったが、の姿がないことがわかってひどく落胆していた。


「どうだったアルか?」
「ダメだったよ…見かけたって話も全然聞けなくて…」
「コッチモ客二聞イテミタケドダメデシタ」
「まったく…どこいったんだいあのバカは」
「なんか事件に巻き込まれたりとかしてなきゃいいんですけど…」
「…そんなんじゃねーよ」


俺の言葉に、全員が俺の方を振り返った。


「アイツは、自分で出てったんだよ」
「銀さん…さっきもそんなこといってましたよね。まさか何か知ってるんじゃ…」
「何も知らねーよ。…ただの勘だ」
「勘ッテ…サカタサン、アンタバカデスカ?」
「そうヨ!何でが出ていかなきゃいけないアルか!」
「んなこと知るか。俺が聞きてーよ」
「でも…何か根拠があっていってるんじゃないんですか?」
「……ウッセーな、根拠なんてねーよ!」
「何を熱くなってんだいアンタは!そんなんじゃ見つかるもんも見つからないよ、頭冷やしな」
「…ッ」


自分でも、冷静じゃないことぐらいわかってる。…けど、これが冷静でいられるかってんだ。昨日まで隣にいた奴が、朝起きたら忽然と姿を消してた、なんて。


「……しかし、が自分でいなくなるなんて…。そんなにいけるところもないはずじゃないのかい?」
「それに昨日まで普通に元気だったネ!家出する理由なんてないヨ!」
「でも…さん時々無茶するから。…僕達にいえないようなことが、あったのかも」
「オマエラガ嫌二ナッタンジャナイデスカ?」
「おやめキャサリン! …しかし、アンタらにいえないこと…ねェ… もしかして、あれかね」
「! お登勢さん!もしかして何か心当たりがあるんですか!?」
「……あの子には口止めされてたんだがね」


その言葉に、全員が振り返る。視界の端にちらつく煙草の煙が、ゆっくりと空に昇っていった。


「もうずいぶん前の話だがね…高杉晋介が、ここに来たんだよ」
「…なっ…!」
「アンタが大怪我する前の話さ。…店の前でもめてる奴がいると思ったら、高杉とがいてね」
「野郎は、なんていってやがった!」
「自分が…の秘密を握ってるってさ。お前はもうすぐ俺のものになるとも言ってた。…はその秘密ってのがなんだかわからないっていってたけど…そいつはもしかしたら…」


の、記憶。
一瞬でそう思い至った。


ババアにしてみれば、身体が透けることを指したんだろう。だが…


おっさんの言葉が頭に浮かぶ。


『俺の前に記憶を回収した人間がいる』


それが高杉だとしたら、どうだ?奴はの過去を知っていて、がそれを取り戻しに来るだろうこともわかっていて…
が俺と高杉を戦わせたくないと思ったなら、がこのことを秘密にしていたのも、の意思を超えることが出来ないといったおっさんが記憶を回収したのが高杉だと明言しなかったことも、全てのつじつまがあう。


…だとしたら、なんだ?


「……俺のせいじゃねーか」
「銀さん?」


が思いつめたのも、出て行ったのも、全部。


俺は輪から抜けて、万事屋への階段を上った。新八と神楽が俺を呼ぶのが聞こえたが、責めたてているようにしか聞こえなかった。


夜中に目を覚ましたときに、気がつけばよかったんだ。があんな時間まで起きているなんてない。普段のあの時間なら、俺には毛布がかけられていて、は和室の布団で寝ている時間だ。


引き戸を開ける。誰もいない室内は静まり返り、色がなくなったように見える。


は、どんな思いでこの扉を閉めたんだ?この場にいない人間の心なんて分かるはずもない。 けど。


いってきます


俺には、引き止めてくれって言ってるようにしか見えねーんだよ。


室内に入り、後ろ手で扉を閉める。喧しい音が鳴ったが、そんなことはどうでも良かった。…和室に入って、棚の上から2段目、が使っていた段を開ける。…そこに、ものは入っていなかった。


…銀さん


ん?


………大好き





ずっと一緒にいたい


だったら…


「だったらなんでいなくなんだよッ!」


意味わかんねーんだよ。ずっとって意味知ってんのかアイツ。ずっとっつーのは、片時も離れねーことなんだよ。…テメェで言ったこと、テメェで破ってんじゃねーかよ。


「……銀さん」


静まり返った室内に、新八の声が響いた。振り返ることはしなかったが、襖の前に立っているのが気配でわかった。


「…銀さん、知ってたんですか。さんが出て行くって」
「知ってたら止めるに決まってんだろ…」
「…だったら、銀さんが自分を責めること…ないですよ」


そこで一度言葉を切って和室に足を踏み入れると、更に言葉をつなげた。


「だって、誰にもわからなかったじゃないですか。さんが出て行くなんてこと…」
「……昨日の夜…最後にに会ったのは俺だった」
「え?」
「アイツがいつも寝てる時間に寝てなくて…でも俺は、それに対して何も言わなかった」
「それは、」
「俺はアイツに約束した。一番近くでお前を守るって。…全然守れてやしねーじゃねェか」
「……銀さん」
「結局…俺はアイツになんにもしてやれねェじゃねーか」


『…誰かがそばにいるならそれだけで、何倍も強くなるもんだ』


俺じゃ、その役は出来ねーっつーのかよ。


「……できること、あるじゃないですか」


新八の声が、やけに大きく耳に響いた。


さんを、連れ戻すんです」
「……連れ戻す、だと?」
「そうですよ」
「…アイツは、俺のせいで出て行ったんだぞ」
「だからなんですか? だから連れ戻せないとでも言うつもりですか?…いい加減にしてくださいよ。いつまでうじうじしてるんですかッ」


怒声に振り返ると、すぐ後ろに仁王立ちした新八。今にもつかみかかりそうな顔で、俺を見下ろしていた。


さんが出て行ったのは、アンタと高杉晋介を戦わせたくないからでしょう!あのときみたいに大怪我するのがイヤだからでしょう!アンタのためでしょうが!だったらさんを連れ戻せるのも、アンタしかいないじゃないか!」
「…!」
さんは、アンタを思って出て行ったんだ!だったら戻って来いっていう権利があるのも、アンタだけでしょうが!」
「ッ!」


俺を、思って。


"俺のせい"じゃない。


"俺のため"だ。


は、"俺のため"を思って出て行ったんだ。


「……何が俺のためだよ。余計なお世話だっつーの」
「、銀さん」
「ホントに俺のためを思うんだったら、何があっても俺にべったりくっついてろってんだ」


それこそ、ずっと。片時も離れずに。


「俺ァ束縛するタイプなんだよ」


ゆっくりと立ち上がる。頭にかかった靄が一瞬で晴れていくのがわかる。


「連れ戻してやるよ。んで、一生離れられないように縄でぐるぐるに縛ってやる」
「銀さん…!」
「オー、新八ィ。お前一丁前に俺に説教たれやがって」
「あ、いや、それは…」
「…さんきゅーな」


新八なんかの説教で立ち直るなんざ、普段じゃありえねーけどな。…それだけ俺はどうかしてたってことだ。


「行きましょう、銀さん」
「オウ」


二人で和室を出る。玄関に目をやると、神楽と定春がそこで待っている。


俺はお前を引き止めてやれなかった。…だったら、連れ戻してやるよ。俺から逃げられるんなんて思ったら大間違いだからな。


「銀ちゃん!新八!早く行くネ!はたぶん真選組アル!」
「え?真選組?なんで?」
「昨日買い物に行ったときにドSとジミーに会ったネ!そのときジミーが『例の情報収集』って言ってたの思い出したアル!きっと高杉のことヨ!」
「おーし、でかしたぞ神楽!」


バイクのキーをつかんで走り出す。神楽も定春に乗っかって、外へと飛び出していった。


「おっしゃ、行くぜ!!」


その言葉と同時に、俺は外に飛び出した。


2008.07.19 saturday From aki mikami.